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夕食時まで 2

 

「本当に美味しいわ」

「私は、きみが苺の食べ過ぎで、昼食が食べられないのじゃないかと心配したよ」

 

 彼女は、少し恥ずかしくなる。

 畑には、イチゴも育てられていて、摘んだ先から食べてしまったのだ。

 いわゆる「つまみ食い」をした。

 もちろん、これまで、そんなことはしたことがない。

 できる環境でもなかったし。

 

「だって、アリスが、あんまり美味しそうに食べるものだから」

 

 収穫の途中、アリスが、ひょこひょこと戻ってきた。

 そして、彼を無視するかのごとくプイっとして、彼女のほうに寄って来たのだ。

 鼻を摺り寄せてくる仕草が可愛らしかった。

 アリスには、好かれていると思える。

 

 その際、シェルニティは、イチゴを持っていた。

 それを、アリスが欲しそうにしたのが、きっかけ。

 シェルニティも、ついイチゴを口に運んでいる。

 瑞々しさと甘さに、アリスと分け合いながら、次々と食べてしまった。

 

「だから、言っただろう? アリスは、“悪い子”なのだよ。きみに、つまみ食いを(そそのか)したのさ」

「それは違うわ。私が、アリスにあげたのよ? アリスを責めないで」

 

 彼が、ぷっと笑う。

 笑顔に、心臓がドキドキと鼓動を速めた。

 さっきも、そうだ。

 不機嫌な顔しか見ていなかったからか、驚いたけれども。

 

(とても優しい顔をして笑うのね)

 

 その笑顔が、自分に向けられていると思うと、胸が暖かくなる。

 同時に、安心もしていた。

 これが「安心する」ということなのだと、実感している。

 というのも、シェルニティには、安心なんていう感覚がなかったからだ。

 

 1人ではあれ、生活には困っていなかった。

 クリフォードに叱られるのには馴染めずにいたものの、だからと言って「不安」を感じたこともない。

 ただ、本当に「生きている」だけだった。

 だから「不安」という感覚をいだく必要すらなかった。

 

 不安がなければ、安心も存在しない。

 

 もう彼と会えないのだろうか、と思った時に、初めて、シェルニティは、不安を感じている。

 そして、こうやって再び会えて、彼がシェルニティを不快に感じていないことに、安心していた。

 

 最初、あれほど明確に「迷惑だ」と言われたのに、あれ以降、彼から、その言葉は発せられていない。

 会話も、どんどん堅苦しさが抜けている。

 彼は笑うようになったし、昨日より気楽な調子で話してもいた。

 

「ああ、わかったよ。私も寛大なところを見せておくとしよう。今後、アリスが、苺をすべて食べ散らかしたとしても(とが)めない。ただし、きみが一緒なら、だがね」

 

 今後。

 

 言葉に、胸が高鳴る。

 今後も、ここに来ていいと、彼は言っているのだ。

 

(どうすればいいのかしら。なんだか屋敷に帰りたくなくなってきたわ)

 

 このまま、ここにいたい。

 シェルニティの中に、そんな気持ちがわきあがっていた。

 とはいえ、それはあまりにも迷惑に過ぎる。

 それに、自分は、クリフォードの妻なのだ。

 実際的な役を果たしていないとしても、ほかの男性の家で寝泊まりはできない。

 

 シェルニティは、貴族教育を受けてはいる。

 が、本に載っていることや、建前的な内容しか教わっていなかった。

 現実には、貴族の間で、夫が別の女性と、既婚女性がほかの男性と性的な関係を持つことも少なくないだなんて、知らずにいる。

 

 サロンは遊蕩の場ではあっても、男女がベッドをともにする場ではない。

 表向きは、そうなっている。

 実際には、サロンにある個室にはベッドが置かれているし、使う者も多かった。

 そうした裏事情を、シェルニティに教える者はいなかったのだ。

 

 ただ、後継ぎのことがあるため、男性には側室や愛妾を迎える「権利」がある。

 対して、女性には貞淑さが求められていた。

 婚姻相手以外の子を身ごもらせないためだ。

 シェルニティは、その禁を破るつもりはない。

 

(旦那様より、彼のほうが話し易いし、楽しいのだけれど)

 

 彼女を煩わしげに追いはらう夫とは違い、彼は、シェルニティをまっすぐに見て話をしてくれる。

 しかも、楽しそうに。

 

「きみは美男子が好きなのかい?」

「なぜ?」

「アリスを美男子だと言って、気に入っているみたいだからさ」

「美男子だからアリスを気に入っているのではなくて、気に入っているアリスが、たまたま美男子だったのよ?」

 

 彼が、ひょこんと眉を上げた。

 知り合ってまだ間もないので、彼のことは、ほとんど知らない。

 にもかかわらず、いちいちの仕草に、なぜか、とても「彼らしい」と感じる。

 

「精一杯、滑稽な芸を披露したのに、ちっとも笑ってもらえなかった、舞台役者のように嘆かわしいね」

「あら、どうして?」

「気づいているかい? きみのイスを引き、給仕もしているのに、私は、まだ褒められていないのだよ。なのに、アリスは、つまみ食いをしているだけで褒められている。これは、とても不条理なことだよ、きみ」

 

 彼が、ひどく「もっともらしい」顔をして言うので、おかしくなった。

 小さく笑うシェルニティに、彼が言う。

 

「きみの前に(ひざまず)いて手の甲に口づけをし、懇願したら称賛してもらえるのかな」

 

 心臓が、ばくばくと波打った。

 気楽な口調とは真逆に、なにか別の意思を感じる。

 彼の瞳に囚われてしまいそうな、なにかだ。

 けれど、その雰囲気は、すぐに掻き消える。

 

「冗談が過ぎたようだね。気にしないでくれたまえ。きみが、アリスばかり褒めるものだから、当てこすりを言いたくなっただけさ」

 

 彼が、肩をすくめてみせた。

 いつもの癖だ。

 雰囲気が戻ってホッとはしたが、どこかで小さな落胆も感じている。

 その落胆の理由が、シェルニティにはわからなかったけれども。

 

「ところで、きみは、どのくらい、ここにいられるのかな?」

「夕食には、呼ばれないようにしてきたわ」

「ということは、ここで夕食を食べていける時間まで、ということだね」

「ええ、そうよ」

 

 話題は変わっているが、彼女は、彼の言葉を気にしていた。

 自分の小さな落胆と併せて、どうすればいいかを、考える。

 

「昨日、食べ損なった魚でも釣りに行こうか」

「今日は邪魔をしないようにするわね」

「それはどうかな。きみにも、食材を確保する義務がある」

「私も釣りをするの?」

 

 彼が、にっこりした。

 釣りにも、心が弾んだが、それ以上に、彼の笑顔に気持ちが明るくなる。

 

「あなたは、とても素敵よ」

 

 唐突な言葉が、シェルニティの口から飛び出していた。

 褒められたことがない、と言った彼の言葉が頭に引っ掛かっていたのもある。

 とはいえ、それだけではなく、本当に、そう思ったので口から出たのだ。

 

 彼は、きょとんとした顔で、彼女を見つめていた。

 彼が見つめてくるのには慣れてきたはずだったが、なぜか恥ずかしくなる。

 ほかの人たちに感じる「恥」のような感覚とは違う、恥ずかしさだ。

 

「そこは“あなたも”に、訂正すべきじゃないかい?」

 

 言って、彼が声を上げて笑う。

 そんな彼に、やはりシェルニティは見惚(みと)れるのだった。


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