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外の景色は 4

 昨夜、シェルニティが帰ったことを、クリフォードは喜ばなかった。

 わかっていたことなので、彼女は、なんとも思っていない。

 リリアンナが、庇ってくれたことのほうが驚きだ。

 シェルニティと視線は合わせられないようだが、それでも、彼女は、いい人なのだろうと思う。

 

(なんだか、ここは窮屈ね。食事も、美味しいかどうか、わからなくなったわ)

 

 元々、出されたものを食べていただけだ。

 美味しいとか不味いとか、たいして気に留めてもいなかった。

 食事は、空腹を満たすものでしかないと受け止めていたからかもしれない。

 けれど、美味しいと思える食事を知ってしまうと、どうにも屋敷での食事が味気なく感じられてしまう。

 

(彼は、偏食家だと言っていたわね。この屋敷の食事は、彼の口に合うかしら)

 

 おそらく、合わない、という感じがする。

 貴族的な話しかたは嫌いだ、と言っていたのも思い出した。

 とすると、彼は、貴族全般を良く思っていないのだろう。

 偏見があるとも言っていたし。

 

(私には良くしてくれたけれど。なにか嫌なことを、されたことがあるのかもしれないわ。貴族は、平民を区別しなければならないのだもの)

 

 貴族教育では、そう教わっている。

 社会的秩序を保つために「威厳」を示さなければならないのだという。

 それを「区別」だと、シェルニティは聞かされていた。

 

(でも、彼は、とても紳士だったし、区別する必要がある?)

 

 確かに、不躾とも言えることを問われた、ような気もする。

 夫との関係について踏み込んだ内容だった。

 が、彼は、あとから「不躾だった」と口にしている。

 シェルニティに偏見をぶつけたことにも、謝罪の意思を示してくれた。

 

 そして、彼女と、常に視線を交えて話してくれたのだ。

 シェルニティの言葉に耳を傾け、都度、返事をくれてもいる。

 周りにいる、どんな男性より「紳士」だった。

 うなずくことくらいしか許してくれない夫より、ずっと。

 

(彼女がいるし、旦那様が私を呼ぶことはないわよね?)

 

 夫が、リリアンナに夢中なのは、明白だ。

 まだ昼前だが、きっとベッドの中にいるに違いない。

 呼ばなければ、メイドもこの部屋には来ないとわかっている。

 シェルニティは、書き物机に歩みより、紙に羽ペンで短い文章を書きつけた。

 それを、扉の下から半分だけ差し出しておく。

 

(これで、昼食にも夕食にも呼ばれないはず)

 

 紙には「体調が優れないので、食事はいりません」とだけ。

 2度と帰らないと思っていたシェルニティの帰宅を、喜んだ勤め人はいない。

 彼に言われた通り伝えると、なぜか御者は顔色を蒼褪めさせていた。

 それほど、自分が帰ったのが嫌だったのだろう、とシェルニティは思っている。

 

(だから、彼は馬車を使わないほうがいいと言ったのね。御者が嫌がるから)

 

 納得して、彼女は出かける準備をした。

 彼に合わせて民服を着たいところだが、生憎、持ち合わせがない。

 しかたがないので、フリルやレースのない、いたってシンプルな室内用のドレスに着替える。

 そして、部屋の奥にある扉を開いた。

 

 城塞を屋敷としているレックスモアならではの造り。

 2階であっても、裏階段があるのだ。

 彼女の部屋は、城全体からすると、端っこにあった。

 クリフォードの部屋とも離れている。

 裏庭にも近いため、そうっと出て行けば、誰にも見(とが)められる心配はない。

 

 シェルニティは、一応、周りを気にしつつ、裏庭に出た。

 そこから、彼がアリスで送ってくれた場所まで、一気に走る。

 部屋にいる生活を長く続けていたので、すぐに息切れがした。

 なのに、気分もいいし、気持ちがいいと感じる。

 

(ここなら、笛を吹いても大丈夫)

 

 彼のくれた小さな笛を口にして、思いきり吹いた。

 が、音は出ない。

 彼からも「音は出ない」と言われていたけれども。

 

(昨日の今日で呼び出すなんて、図々しいと思われたかしら)

 

 音の出ない笛を渡したのは、自分を納得させるためだけだったのだろうか。

 屋敷に戻らないと言われても困る、と思ったのかもしれない。

 その気のない女性をあしらう手段に、そういうものがある、との知識はあった。

 もしそうなら、彼が来ないことも考えられる。

 

(とても、そういう人には感じられなかったけれど……迷惑をかけたのは事実だし、我儘を言ってしまったのだわ)

 

 大きな落胆に、シェルニティはうつむいた。

 その足元に影が落ちて来る。

 

「ずいぶんと待たせてしまったようだ」

 

 パッと顔を上げると、アリスに乗った彼がいた。

 胸が、ほわっと暖かくなる。

 自分をあしらうために笛を渡したのではなかったのだ。

 

「だが、文句はアリスに言ってくれたまえ。こいつは、夜になると放蕩三昧して、たいてい昼過ぎまで、眠り呆けているものでね」

 

 言いながら、彼が、ひょいとアリスの背から降り立つ。

 シェルニティは、アリスの顔を両手でつつみ、顔を近づけた。

 

「まあ、そうなの、アリス?」

 

 ブル…と、アリスが不満げに鼻を鳴らしたので、思わず笑う。

 と、不意に腕を掴まれ、体を後ろに引かれた。

 見上げると、不機嫌そうな彼の顔が見える。

 

「あまり顔を近づけると、頬を、べろりとやられるよ?」

「かまわないわ。だって、アリスは、こんなに美男子なのだもの」

「きみのハンカチが、馬の涎に嘆いて身投げをしたくなるかもしれないだろう?」

「私は困らないけれど、魚が逃げてしまってはいけないわね」

「そうとも」

 

 カッカッと、アリスが、また不満そうに蹄を鳴らした。

 それを無視して、彼は、シェルニティを抱き上げる。

 昨夜と同じように、アリスの背に乗せられた。

 

「いい子ね、アリス」

 

 ちゅ…と、軽くアリスのたてがみに口づける。

 とたん、アリスが耳を、ぴくぴくっとさせた。

 動物の習性は、よくわからないが、喜んでいる気がする。

 もう1度、と思った彼女の体が、彼に引き寄せられた。

 

「勘違いしてはいけないよ、きみ。アリスは“いい子”ではない。甘やかして調子に乗せると、もっと“悪い子”になるに決まっている」

「厳し過ぎるのじゃないかしら?」

「若馬には躾が肝心なのさ」

 

 言うと、彼が手綱を少し引く。

 すぐにアリスが走り出した。

 昨日よりも、ずっと速い。

 

「ほらね。アリスは、とても“悪い子”だ」

「でも、すごく気持ちがいいわ。風に乗っているみたい」

 

 彼に腰を抱えられながら、シェルニティは流れる景色に見惚(みと)れる。

 本当に、自分が風になったようだった。

 どこまででも行けると、感じられる。

 部屋の中に閉じこもっていた時間が、今さらに、もったいないと思えた。

 

「本当に……外って、こんなにも広いのね」

「広いよ。きみが、一生分、寝返りを打っても、転がり落ちないくらいには」

 

 シェルニティは、笑う。

 彼といると、次々に、新しい世界を見ることができるのだ。


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