外の景色は 2
クリフォードが、その報告を受けたのは、昼過ぎのことだった。
1人で帰ってきた御者が、彼に伝えに来たのだ。
リリアンナと遅い昼食を取っていたため、少し不愉快だったが、聞かないわけにもいかない。
シェルニティは、ひとまず正妻で、実家のこともある。
嫌々ながらも、御者に報告を聞いた。
シェルニティが滝に落ちたかもしれない。
不機嫌さも消し飛び、うっかり満面の笑みを浮かべかけている。
隣にいたリリアンナの、不安げな表情に、感覚を引き戻されたくらいだ。
妻の不幸を喜ぶのは、夫として無慈悲に過ぎると。
そして、それを御者に見られるのは、非常にまずい、と。
妻の死をクリフォードがどう思ったか。
そんなことは、屋敷中の者が、容易く推測できただろう。
さりとて、推測と事実は異なるのだ。
喜びの笑みなど浮かべたら「事実」になってしまう。
御者は、ほかの者に伝え、誰かが外に漏らす。
クリフォードは、葬儀の場で、どこかの貴族から皮肉を言われたくはなかった。
だから、あえて眉間に皺をよせ、心配そうな表情を装う。
自分が「あんな妻」でも、気遣っている、と印象づけるためだ。
「クリフ様……」
「いや、まだ落ちたとは限らない。少し気晴らしがしたくて、彼を捲いただけかもしれないからね。そうだとすれば、あまり騒ぎ立てると、彼女が帰りにくくなってしまうだろうし」
一生、戻って来なければいい。
願望というより、決定事項として、クリフォードは結論している。
すでに、頭の中では、葬儀の段取りを考えていた。
「ですが、もし万一のことがあれば大変でしょう?」
リリアンナは、本気で心配しているようだ。
顔色を蒼褪めさせている。
彼女を安心させるためだけに、クリフォードは心にもないことを言った。
「それでは、陽が落ちかける前まで待ってみよう。それまでに帰らなければ、探す手配をするよ」
もちろん手配などする気はない。
リリアンナの手前、手配をしているように見せかける必要はあるだろうけれど。
(私は、ツいている。これでブリッジの負けも取り返せたな)
たとえシェルニティが死んだとしても、1度は、レックスモアに嫁いだのだ。
今後も、ブレインバーグの後ろ盾がなくなることはない。
クリフォードは、婚姻の解消を考えていたが、この手段を使う最大の不利益は、ブレインバーグの後ろ盾をなくすことだった。
仮に、シェルニティに非があっての解消だったとしても、後ろ盾を失い、少しは肩身の狭い思いをすることになる。
爵位意識の強い貴族らは、ブレインバーグに配慮して、レックスモアとは距離を置こうとするに違いないからだ。
(葬儀自体の段取りは使用人に任せればいいとして、弔意を示しにきた客たちに、どういう顔をすればいいのだろう。人の葬儀に出たことはあるが、私自身としては祖父の時以来だ。あの時の私は幼かったし、父の挨拶など覚えていないな)
服装はともかく、参列者の前で述べる言葉が、浮かびそうにない。
クリフォードには、シェルニティの死を悼む気持ちなど、少しもなかった。
いなくなれと願っていた邪魔な正妻が、自ら手を下すまでもなく、いなくなってくれたのだから、悼む必要がない。
むしろ、夜会でも開きたいくらいに浮かれている。
「ご実家への、ご連絡はどうなさるのですか?」
リリアンナに言われ、葬儀の前にある「厄介事」に気づく。
シェルニティがいなくなったと報告を受けたあと、なにもしなかったとなれば、縁を切る口実にされるかもしれない。
彼女の父イノックエルとは、ブリッジのこともあり、気まずい関係なのだ。
娘の婚姻を賭けとしたイノックエルを、クリフォードは軽蔑している。
同様に、賭けに負けて婚姻したクリフォードを、イノックエルは侮蔑している。
クリフォードからすれば、理不尽な話だ。
そもそも、賭けはイノックエルが言い出した。
報復覚悟で跳ねつけなかったからといって、侮蔑される謂れはない。
イノックエルにしても、クリフォードが、そんな意地を見せるなんて期待はしていなかったはずだ。
そんなふうに、イノックエルは狡猾で、理不尽な「貴族らしい」貴族だった。
なにか口実さえあれば、レックスモアとの縁を切るだろう。
今は、シェルニティを引き受けた、その「代価」として、後ろ盾になっているに過ぎない。
シェルニティの死後、慣例として後ろ盾となり続けるのを、イノックエルが望むとは思えなかった。
レックスモアは侯爵家であり、上位貴族はキャラック公爵家なのだ。
キャラック公爵家は辺境地の貴族の取りまとめ役的なところはあるが、はっきり言って、パッとしない。
つきあう価値を、どこにも見いだせないほどだった。
だからこそ、クリフォードも、義父の後ろ盾を必要としている。
(伝えれば、すぐに探せと言われるに決まっている。あちらも体裁があるからな。本当は死んでほしいと願っている娘でも、探させなかったなどと外聞の悪いことはしないだろう)
死に際までも、忌々しい女だ、とクリフォードは不快になった。
さりとて、連絡をしないわけにもいかないし、いずれにせよ探す必要もある。
遺体がないままでは、死が確定されず、次の正妻を娶ることができない。
少なくとも3年は待たなければならないのだ。
結果、クリフォードは、おかかえ魔術師を使わず、使いの者をブレインバーグに送ることにした。
魔術師を使えば、即座に連絡が取れてしまう。
時間稼ぎのため、あえて使いを出したのだ。
それが良かったのか、悪かったのか。
リリアンナと夕食をすませ、そろそろ形だけでも捜索しようとした時だった。
悲壮な表情を浮かべた執事が、クリフォードに告げた。
「奥様が……お帰りに、なられました」
「なんだとッ?!」
彼は、食堂のイスから転がり落ちそうな勢いで問い返す。
執事は無言でうつむいていた。
クリフォードの全身から力が抜ける。
やっとシェルニティから解放されるとの期待が大き過ぎたのだ。
「クリフ様の仰られた通りでしたわね。シェルニティ様は、ただ気晴らしをされたかっただけなのでしょう。お帰りになられて、本当に良かったわ」
無邪気に言うリリアンナに、クリフォードは、力なく微笑んでみせる。
彼女は、本当に、自分を想ってくれているのだ。
側室という立場で居続けることも厭わないほどに。
(あの女が生きていようがくたばろうが、どうでもいい。リリーを、必ず私の正妻にする。あの女と婚姻するまでは、ブレインバーグの後ろ盾などなくとも、やってこられたのだからな。縁が切れるのなら、こちらも清々するさ)
得られていた利益に、多少の未練は残るが、リリアンナには代えられない。
いよいよ、シェルニティとの婚姻の解消が現実味を帯びてきた。
こうなれば、イノックエルに大きな打撃を与えてやる。
思っていると、食堂にシェルニティが姿を現した。
カッと頭に血が昇る。
この女さえ死んでいれば、との思いが心に渦巻いていた。
「森に行くのを許しはしたが、こんな時間まで、ふらふらしていていいと、言った覚えはない!」
「クリフ様、そのようにお叱りにならないで。シェルニティ様は、気晴らしをされたかっただけなのですから」
「気晴らしにもほどがある! 屋敷にいるのが嫌なら、別荘にでも行くがいい!」
クリフォードは、リリアンナの手を取り、立ち上がる。
うつむいていたシェルニティの横を素通りし、食堂を出た。
「それにしても、このような時間まで、どこで気晴らしをしておられたのかしら」
「森で、ふらふらしていたのだろう」
言ったあと、クリフォードも、ふと考える。
彼女は、御者を「捲いた」のだ。
シェルニティとは接しないようにしていたので、気づかなかったけれども。
(今までも、私の知らないところで、外に出ていたのかもしれない)