表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/80

外の景色は 1

 

「まあ! なんて大きいのかしら」

「馬としては、普通だがね」

 

 食事が終わった頃には、服は乾いていた。

 着替えを済ませたのち、外に出ている。

 彼が、ヒュッと指笛を鳴らすと、一頭の馬が現れたのだ。

 ゆっくりと歩いてきて、シェルニティの前に立っている。

 

「私、馬には乗ったことがないの」

「こいつは“大人しい”し、女性なら誰でも“乗せる”馬だから、問題はないよ」

 

 彼の口調に含みを感じたが、シェルニティは馬に見入っていて、気づかない。

 青みがかった艶のある毛並みが、とても美しい馬だった。

 瞳も、なんとはなし暗い青色に見える。

 

 と、不意に、馬が顔を寄せてきた。

 シェルニティの右頬を、ぺろんと軽く舐める。

 人から見れば「気持ちの悪い痣」も、馬なので気にならないのだろう。

 なんだか、とても嬉しくなった。

 

「この子の名は聞いてもかまわない?」

 

 彼からは、名乗り合う必要はない、と明言されている。

 なので、あれからずっと彼の名は訊いていない。

 シェルニティには、言われたことを言われたようにする癖がついていたからだ。

 当然、彼女自身も名乗ってはいなかった。

 

「アリス」

「それでは、女の子なの?」

「いいや、“オス”だ」

 

 ブル…と、馬が鼻を鳴らす。

 不服じみた声のようにも聞こえて、微笑ましくなった。

 アリスの頭に手を伸ばしてみる。

 嫌がるそぶりがなかったので、撫でてみた。

 

「大丈夫よ、アリス。あなた、とても美しいわ。きっと女の子にも人気よ?」

 

 すりすりっと、アリスがシェルニティの頬に、鼻づらをすりよせてくる。

 人とのふれあいはなくても、こうした動物とのふれあいはあるのか、と思った。

 アリスは暖かくて、屋敷の勤め人たちより、ずっと親しみが持てる。

 

「あまり懐かせないほうがいい。こいつは、メスの尾が揺れるたび、追いかけずにはいられないくらい、放蕩な馬なのでね」

「それでも、いいのじゃないかしら? アリスは美形だもの。追いかけられるほうも、嫌な気はしないと思うわ」

 

 彼が、呆れたように肩をすくめた。

 やはり癖のようだ。

 シェルニティは、くすくすと笑う。

 少しずつ考えが変わりつつあった。

 

 生きていれば、なにか楽しいと思えることに出会える可能性がある。

 死んでしまえば、そのすべての可能性を失うのだ。

 思えば、死なないから、という程度でも、生きているほうがいいのだろう。

 ひとまず生きていけているのだから、可能性をすべて捨ててまで、自ら死ぬことはない。

 

「さあ、そろそろ、行こう」

 

 彼の声に、少し気分が落ち込む。

 とはいえ、ずっとここにいることはできない。

 彼に、迷惑がかかる。

 もとより、釣りの邪魔をして、食事のメニューを変更させているのだし。

 

「いいかね?」

 

 え?と思う間もなく、抱え上げられた。

 そのまま、アリスの背に乗せられる。

 横向きに座っている状態だ。

 すぐに、彼が、アリスにまたがってきた。

 

 手綱を握ると、まるで彼女を腕の中に閉じ込めているような格好になる。

 近づいた距離に、ひどく胸が騒がしくなった。

 肩や腕が、彼の体にふれていて、そこから、ぬくもりが伝わってくるのだ。

 鼓動が、速くなっている。

 

「あの……2人も乗せて、重くはないかしら?」

 

 落ち着かない気分に、まるで関係のない話を口にした。

 実際に乗ったことはないが、馬についても多少の知識はある。

 戦場で駆けるのでもない限り、2人乗せるくらいは平気に違いない。

 見た目に美しいだけでなく、アリスは頑丈そうでもあったし。

 

「きみが、全身くまなく鎧を身につけていたとしても平気さ。走るたびに、カチャカチャ鳴る音をうるさいと思うことはあってもね」

「それなら、よかったわ。私はドレスだから、音は鳴らないもの」

 

 彼が、手綱を持つと同時に、アリスが歩き出した。

 地面を歩く蹄の音が、聞こえる。

 

(このまま屋敷に戻ったら、どうなるのかしら?)

 

 屋敷の者たちから、喜ばれないのはわかっていた。

 が、それはどうでもいい。

 シェルニティにとっては、そのほうが「普通」だからだ。

 それより、気になっているのは、彼のことだった。

 

(もう会えないの?)

 

 わずかな時間だったが、彼女にとっては、特別な時間になっている。

 ちゃんとした会話や笑いのある食事。

 なにより、見つめ合える、ということ。

 彼の瞳を見つめて話し、彼がシェルニティの瞳を見つめて話す。

 表情や仕草を見ていても、叱られることはないのだ。

 

 かぽっかぽっという、ゆるやかな音に、彼女は少しだけ励まされる。

 せっかく死なずにいたのだし、生きている時間を大事にすべきではなかろうか。

 これまでのように、ぼんやり生きていくことはできる。

 だとしても「楽しい」ことがあると、シェルニティは知ってしまったのだ。

 

 このままだと「死に際」に未練や後悔を、たっぷりと遺すはめになる。

 

 彼女は、彼の顔を見上げて言った。

 

「また森に行ってもいい?」

 

 彼は、前を見ている。

 返事はなかった。

 うなずくことも、首を横に振ることもない。

 シェルニティは、彼がどう思っているのか、判断ができずにいる。

 

「馬車は使わないがいいね」

 

 言葉に、ハッとした。

 彼は「来てもいい」と言っているのだ。

 胸の奥に、ふわふわとしたものが漂い始める。

 

「それなら、歩いて行くわ」

「もし、きみに自死する気がないのなら、やめたほうがいい。きみは、馬ではないのだよ? 森に着くまでに、間違いなく行き倒れるね」

「それは、馬に乗る練習をしたほうがいいということ?」

「まさか。乗馬を嗜むのはいい。だが、現実的ではないのじゃないかな?」

 

 彼の言うように、シェルニティが乗馬の練習をしたいと言っても、許されるとは思えなかった。

 協力してくれる者もいないだろうし、夫からは叱られる。

 ただでさえ、必要がなければ外に出るな、と言われているのだ。

 今日は、特別だった。

 リリアンナが勧めたため、夫は反対しなかっただけで。

 

「これを渡しておこう」

「これは、笛?」

「空のかなたから聞こえてくる音色のごとく、さ。まぁ、音は出ないがね」

 

 渡された銀色の小さな笛を、シェルニティは、ぎゅっと抱き締める。

 森に行くためには、これが絶対に必要なのだ。

 どうなるのかまでは説明されていないが、それでも、わかる。

 

 屋敷まで、百メートルほど手前にある、昔の見張り小屋の手前で、アリスが足を止めた。

 今は誰も使っておらず、放置されているため、屋根が抜け落ちている小屋だ。

 彼が、シェルニティをアリスから抱き下ろす。

 そして、再びアリスにまたがってから、言った。

 

「帰ったら、御者に言うといい。バスケットをありがとう、とね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ