23.兄として
ルリアーンは、巨大な馬を思わせる禍々しい異形と対峙していた。ブルブルと震えながらゆっくりとルリアーンの元へと近づいてくる。それを見たルリアーンは感じ取った。懐かしく、暖かい、あの日の、あの人の面影を……
「お兄ちゃん……」
ルリアーンはそう声をかけた。この異形からは、ルリアーンの兄であるカッツの面影は感じられない。しかし、ルリアーンは心で感じていた。そこに確かに兄はいると。
「ぶるるるッひひひーん!!」
ルリアーンに向かって思いっきり突撃する異形。回避しようと動くルリアーンだったが、立ち尽くしてしまう。このままでは馬に跳ね飛ばされてしまう。
「ルリアーン!!」
前線からやってきたオリオンがルリアーンを抱えて走り抜ける。異形は勢いよくその真横を駆け抜けて行った。
「オリオンさん!」
「ボーッとしてはいけないよ」
「は、はい」
オリオンはルリアーンを下ろし、馬の異形に向けて棍棒を向ける。
「オリオンさん、お願いがあるんです。」
「なんだい?」
「あの異形にトドメを刺さないで下さい」
「どうして?」
「あれは、私の兄、カッツだからです」
オリオンは異形を見る。人間が異形になる事は、入団試験での戦いの際に目の当たりにしている為、もちろん知っている。しかし、その姿を見て、元の人間が誰かなど分かるのだろうか。ふと、そう考えたオリオンだったが、すぐに頷いた。
「分かったよ。あくまで止めるだけ。その後は君に任せるよ」
「ありがとうございます!」
「それじゃあ君には、回復を任せるよ。どんどん攻めるからね!」
「はい!」
そう言うとオリオンは空高く飛び上がり棍棒を振り上げる。そして、突進してくる馬の異形の背中をめがけて落下しながら振り下ろす!
「君、良い妹を持ったね!」
「ブルルルァ!ヒューン!!」
オリオンは異形へと語りかける。異形にはそれが聞こえているかも分からない。激しく鳴きながらオリオンの元へと繰り返し突進していく。それに対して、飛んでは頭上から攻撃を繰り返すオリオン。重たい攻撃が綺麗に当たってこそいるが、異形も怯む様子を見せない。何発も何発も異形の硬い身体を殴り続けた結果、棍棒は大きな音を立てて割れてしまった。破片は飛び散り、使い物にならなくなった。
「中々……頑丈じゃないか」
オリオンは棍棒を後ろへと投げ捨てる。勢い余って遠くへと走っていた異形がこちらへと轟速で引き返してくる。オリオンはその正面に立ち、大地を踏みしめ、腕を大きく広げ構えた。
「あ、あれは!獅子狩りの構え!!」
遥か昔、この地に生息していた全ての獣の王。獅子と呼ばれるそれに、人が抗うために生み出された奥義。それが獅子狩りの構えである。意図的に全身の筋肉へと負担をかける事により、力を何倍にも増大させる。
「アレスがずっと特訓しても身につけられなかったあの技を、オリオンさんが!?」
ルリアーンは驚きながら、彼の構えを目の当たりにする。
「ウォォォオオオラァ!!」
突撃してきた異形を、オリオンは正面から受け止める。
「よく見るんだ!!そして、思い出すんだ!!あそこにいるのは君の、妹だ!!!!!」
異形の首をガッチリと掴み、ルリアーンの方へと無理やり向けた。
「ブルルルルルルヒィィィイン!!」
異形は鳴き叫んだ。その姿は、先程よりも悲しげだった。
「ブルルルルルルルリァァァァァアアアン!!」
「お前は!!ルリアーンの兄なんだ!!兄なんだよ!!」
異形の瞳には、オリオンの消耗している肉体を魔法で必死に回復させているルリアーンの姿が映っている。
「ルリリリリリリリアァァォォォァァァン!!」
異形は暴れ回った。オリオンもその勢いに仰け反り、遠くへと飛ばされた。悶え苦しみながら暴れ回って、その末に倒れ、横になった。
「……ヒィン」
「お兄ちゃん!!」
倒れた異形の元へと走って近づくルリアーン。彼女は異形の顔の目の前でかがむ。
「ほん……とう……に……ルリ……アーン……だ……」
馬の鳴き声混じりだが、それは確かにルリアーンの兄、カッツの声であった。ルリアーンは咄嗟に彼へ回復魔法をかける。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!!やっぱりお兄ちゃんだ!!」
「……ごめんな」
歓喜するルリアーン。カッツの傷も癒えていき、呼吸が整っていく。
「お前は、こんな姿になった俺に気づいてくれたって言うのに……俺はお前を傷つけようと……」
「そんな事はいいんだよ。こうして再開出来たんだから!」
「ああ……それにしても、大きくなったな、ルリアーン」
「だって、五年も経ってるもの」
時の流れに驚くカッツ。異形となっていた彼は、時間の感覚を失っていた。再会を果たした二人に、オリオンが近づく。
「信じてたよ。君が妹の事を思い出してくれるってさ」
「本当にありがとう。俺の目を、覚ましてくれて」
「いいんだ。当たり前の事をしたまでさ」
ルリアーンの治療魔法により、カッツの傷はほとんど治り、立ち上がれるまでになった。その後、オリオンについた傷も、回復していった。
「二人とも、俺に乗ってくれ!君達の仲間も、異形になってしまった黒の番犬のみんなもできるだけ助けてやりたいんだ!」
「ええ!」
「元より、そのつもりさ」
二人を軽々と背中に乗せたカッツが走り始める。正気を失っていたあの時よりも丁寧に走っており、乗り心地も悪いものでは無かった。
「この闘いでバデスを倒す事が出来れば、奴の隠し持っているオルペウスの詩の楽譜も見つかるはずだ!そうすれば、みんな!」
「異形になった人達を元に戻せるのね!行こう!お兄ちゃん!!オリオンさん!!」
三人は、闘いのする方へと全力で駆けていった。