21.追憶-ある青年の悲劇-
過去
【グラの町】
ここは、グラの町。大変寂れた、辺境の小さな街である。街道からは外れており、旅人がここを訪れる事はほとんど無い。異形討伐隊ギルドや商店も無く、ただ住民だけがひっそりと暮らしている。この街の環境はアイゼン王国の中で最も劣悪と言われている。その為、住居の家賃は非常に安く、身ぐるみを剥がされ行き場を失った者、仕事を失い食いっぱぐれた者は、最終的にこの街に辿り着く。今から語られるのは、この街に暮らしていた、一人の青年と、青年と出会った一人の少女の物語である。
青年は、グラの町の小さな武器工房にて、武器職人ノーマンの雑用として働いていた。雑用というと良い仕事には聞こえないが、この街ではかなりの収入を見込める仕事だったのだ。町の近隣でとれる武器の素材を集めてきたり、武器を注文した冒険者や狩人、異形討伐隊の元に物を届けるなど、武器職人のサポートをしていたのだ。彼はこの仕事にやりがいも感じており、グラの街で生活する事に対しても決して嫌気などは感じていなかったのだ。
青年はここから二地方分離れたキスケ地方にあるマコチタウンの異形討伐軍隊ギルドに武器を届けるようノーマンに頼まれた。今までで一番の遠出だ。道中で凶暴な動物や異形に襲われるかもしれない。そんな心配を抱えつつ、念入りな準備をして町を発った。しかし、彼の心配は杞憂であり、道中で特に災難に巻き込まれる事無く目的地にまでたどり着いた。
【マコチタウン】
色々な形をしたユニークな住宅が立ち並ぶ街マコチタウン。ここの異形討伐軍隊ギルドの受付に、頼まれた武器を渡した。そこにいた人々からの優しい目線、武器を持ってきてくれた事への感謝の言葉。これは青年にとって仕事を続ける理由の一つであった。
他に頼まれた仕事も無く、時間が空いた青年はこの街を散策する事にした。ノーマンへの仕事報告を急ぎ、すぐに帰る必要は無い。それほどの信頼関係は出来ている。街の中を歩いていると、民家と民家の間の影で誰かが倒れているのを見つけた。青年は、心配になり歩み寄った。そこには、自分達のいる地方やこの地方の物とは異なった装いをした、おおよそ十五歳から十八歳くらいであろう少女が、まるで悪夢を見ているかのような表情で眠っていた。何故こんな所で眠っているのか、こんなにも苦しそうなのか。青年は少女の肩を揺すり、起こそうとする。すると、少女は直ぐに目覚め、焦ったような表情で、辺りを見渡す。目の前の青年を見て一瞬警戒する少女だったが、敵意が無いことに気が付き、すぐに落ち着いた。それを見た青年は、少女へと声をかける。
「君は一体、こんな所でどうしたんだい?」
少女は答えを返さなかった。一瞬何かを話そうとしたようにも見えたが、踏みとどまったのか、無言であった。それを見た青年はこれ以上無理に聞こうとするのも良くないと感じた。しかし、それよりも、ここで踏み込んででも話を聞かなければ後悔するのでは無いかという直感が勝った。
「なぁ、教えてくれないかい?何か僕に出来る事があるならさ、言ってよ」
青年は少女を安心させるようなそぶりで話す。またも少女は返事すらしないと思われたが、少し間を空けた後、小さく口を開いた。
「助けて……」
少し掠れた声で少女から発せられた言葉。小さいが声を振り絞って出された事がわかるその声を聞き、青年は少女が何かに恐怖している事に気がついた。
「ああ、いいとも」
何をどう助けて欲しいのか、青年には何も分からなかったが、それでも彼は最初にそう答えた。少女は少しだけ、ほんの少しだけ安心したようで、続きを話す。
「私、追われているの。恐ろしい人達に……捕まったらきっと、怪物にされてしまう」
こんなにか弱げな少女が何故そんな事に。それに、捕まったら怪物にされてしまうとはどういう事なのか。彼女の周りで何が起こっているのか。知りたい事は山ほどあったが、まずは今どうするべきかを決めるべきだ。
「さぁ、僕に着いてきて。僕が住む町まで逃げればきっと安全だ。」
青年は一旦、少女を自分の町に匿う事にした。少女も青年を信じ、ついて行くことを決めた。大変空腹そうな少女を見て、青年は素早く街の屋台で食べ物を購入し鞄へと入れた。マコチタウンを出発し、二人はグラの町へと向かって歩き出した。
【ポコルル地方:石の道】
マコチタウンがあるキスケ地方と、グラの町があるムッポス地方を繋ぐ地方、それがポコルル地方だ。ポコルル地方の整備された石畳の道を青年と少女は歩いて行く。時々、商人や馬車とすれ違い、会釈を交わす。この辺りはかなり整備されており、凶暴な動物や異形の目撃情報も少ない。アイゼン王国の三十二の地方の中でも、三本の指に入る程安全な地方だ。少女もそんな地方の雰囲気を飲み込み、安心したようだ。彼女の心も落ち着いた今、青年は話を始める。
「そろそろ、君が逃げている理由を教えておくれよ。誰に追われているんだい?」
「黒の番犬……」
「え!?黒の番犬って、あの異形討伐隊の!?どうして……」
「……私、見てしまったの……黒の番犬のメンバーが子供をさらっていくのを……」
先程まで落ち着いていた少女だったが、話しながらその時の事を思い出し、再び呼吸が乱れ始める。
「ごめん。思い出させてしまったみたいだね。やっぱり大丈夫だよ」
改めて冷静を取り戻した少女。それを見てホッとした青年は、鞄から何か食べ物を取り出した。
「さっきの街で買ったパン。真ん中に穴が空いてて面白いでしょ?ドーナツって言うらしいよ!」
ドーナツを半分に分け、少女へと渡す。ずっと何も食べて来なかったのか、少女はドーナツをすぐに口へと運び咀嚼する。青年は、分けた半分を口にしながら、その姿を優しく見ていた。
【グラの町】
二人はグラの町へとやって来た。青年にとっては自分の町に帰ってきたというだけだったが、少女にとっては初めての町にやってきたという事になる。辺りを見渡し、街の様子を観察するチヨコ。寂れた町を見て、少女は落胆すると思っていた青年だったが、そんな事も無く、立ち並ぶ町の建物を興味深く見ていた。
「さぁ、ここがノーマンさんの鍛冶屋だよ」
仕事場に帰ってきた。ここに来るまでの道で、ノーマンについて少し話していた。厳しく、態度が強めな所があるが、その実力は本物で素晴らしい武器を作る正に職人だと。二人は鍛冶屋に一緒に足を踏み入れた。少女は少しだけビクビクしていたが、隣の青年の姿を見て震えを抑えた。
「ただいま戻りました!」
「おう、帰ったか。ちゃんと渡してこれたようだな。おや、あんたは誰だい?」
ノーマンは少女に問いかけた。少女は答える。
「チヨコ……」
少女はチヨコと名乗った。青年と少女はここまで一緒に歩いてきたが、今だにお互いの名前を話していない事に気がついた。
「よろしくね!チヨコ」
二人はお互いを見合って笑った。ここまでの道での緊張や恐怖は薄れて来たようだ。青年もここで自分の名を名乗ろうとする。
「そうだ、まだ名乗って無かったね!僕は……」
青年が名乗る途中、突然何者かがやってくる。
「やぁーっと見つけたワァン!」
身体に蛇を巻いた女王のような格好をした女が目の前に現れた。突然の殺意を持った来客。ノーマンと青年は身構える。
「ヒィ!」
チヨコの顔が思いっきりひきつる。そして更なる恐怖へと歪んでいく。青年はそっと彼女と、蛇を巻いた女の間に立った。
「行きなさい!」
女は身体に巻き付けていた蛇に命令する。蛇はチヨコの元へと飛びかかっていく。青年は咄嗟にカバンからナイフを取り出し、蛇を切りつける。蛇はキシャア!と声を上げながら怯み、女の元へと帰っていく。
「ノーマンさん、チヨコを安全な所に連れて行ってあげてください」
「お前一人で大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですよ!僕、強いですから。それにここには、貴方が作った武器たちが沢山あります。さぁ、早く!」
「……気をつけるんだぞ」
震えるチヨコを担いで建物から飛び出すノーマン。それを確認した青年は女へと話しかける。
「どうしてここが分かったんだ?」
「この子が見つけてくれたのヨォン!」
蛇を撫で回しながら女は答える。どうやら彼女の使役している知能を持っている蛇が、どこかのタイミングで二人を見つけ、その状況を女に伝達していたようだ。
「お前の目的はなんだ!?」
「様々な種族、年齢の人間を異形化させる事ヨォン!!」
「人間を異形に!?そんな事が……どうして!?」
「これ以上は教えてあげませんわヨォン!さぁ!貴方も異形にしてさしあげますワァン!」
女は蛇と一緒に、青年の元へと瞬足で接近する。青年は女に首を掴まれそうになるが間一髪で回避。そして、少し離れた所にあるノーマンが作りあげた剣に向かって走りそのまま手に取る。
「えぇい!」
青年は剣で女へと斬り掛かる。この攻撃は避けられてしまう。そしてそのまま女に右腕を掴まれてしまう。
「なっ!」
「捕まえましたワァン!」
掴まれた青年の右腕は、黒い霧を撒き散らしながら変形していく。右腕は黒く黒く染まり、闇を放つようになった。
「うわぁぁぁぁぁああああああ!!」
「よぉし、このまま異形になりなサァイ!オーッホッホッホホォー!!」
右腕から更に広がるように、右胸、肩が黒い霧を放ちながら染まっていく。このまま異形になってしまうのか。否、青年は抵抗した。がむしゃらに力を振り絞り、叫んだ。
「やめろぉぉぉぉおおおおお!!うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!」
すると女の右脇腹とそこにいた蛇が少しずつ色を無くし、灰になっていった。女は驚いたような顔でその状況を見て、すぐさま青年から離れた。灰になった女の身体の一部は地面へとサラサラと落ちていった。
「ア、アナタ……異形の力を自分の意思で使ったの……!?このままだと、まずいかもしれませんワァン!!」
女は焦ったような口ぶりでそう話し、突然その場から去って行った。右脇腹が灰になり消し飛んでいながらも、それを思わせないほどのスピードで撤退した。
「おぉい!!待て!!」
何が起きたか分からないまま、女を逃がしてしまった青年。漆黒に染まった自分の腕を見ながら呟く。
「今のは……僕がやったのか?」
女によって異形と化した腕を見ながら、青年は呟く。対象を灰にする力。その恐ろしく無慈悲な自身の力に彼は震えた。何も考えられず、暫くその場で立ち尽くした。そして、そこにノーマンがやって来た。
「おーい、無事か?」
ノーマンがこの場へと戻って来た。青年の身をあんじ駆けつけたのだ。そこにチヨコの姿は無かった。上手く隠れさせる事が出来たのだろうか。
「うん、大丈夫だよ!ノーマンさん!ってえ……」
心配させまいと笑顔でノーマンの元へと振り向く青年だったがその瞬間、ノーマンの全身は足元から一気に灰となり床へと落ちていった。
(ノーマンさん?)
(嘘でしょ……?)
(僕が……?)
(そんな……これは夢?)
(嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……)
目の前にあるのは灰となったノーマンだけだった。異形の力で恩師を、消し去ってしまった。青年は錯乱し、叫ぶ。
「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!」
溢れ出る思い。しかし、思いが溢れることにより、それとともに彼の力が強く開放される。青年の周囲にあるものから順番にあらゆるものがどんどん灰になっていく。
僅か2分と37秒
グラの町とその住民は全て、灰となった。
そして、青年の心は壊れた。