32歳女性の場合 part11
高層マンションということもあって、エレベーターに乗る時間が異様に長い。うちの会社でもこんな長いことエレベーターには乗らない。マンションで自分の部屋に戻る感じなので、エレベーター内で2人っきりの時間が続いた。その中では何も話さなかった。
最上階に着くと3つほどの扉が見えた。本来なら3家族分を補える部屋があったのだろうが、壁がぶち抜いてあるということだったので、二つの扉は意味を成していないのかもしれない。当然のようにオートロックで、カードキーと指紋認証、虹彩認証で鍵を開けていた。
「入ってください。」
彼の言葉に従い、部屋に入る。無駄にでかい玄関と人が住めそうな広さのあるウォークインクローゼットが迎えてくれた。しかし、せっかくこんなに大きな収納があるのにそこにあるのは靴が5足くらいだった。
「僕、靴にはあまり興味がないんですけど、こんな大きさの靴箱どうしようかと思って困ってるんですよ。」
彼が言った言葉に理解が遅れた。
「靴以外を入れればいいんじゃないの?」
私が不意に言ったその一言に彼は目を輝かせながら、
「それだ。」
と、まるでそんなんこと考えたこともないみたいな感じで言った。
「普通こんな大きかったら、他にも水とかのストック置くもんじゃないの?」
「そうなんですか?僕、父親からこの部屋をもらった時に下駄箱って言われたので靴以外おいてはいけないのかと思ってました。」
馬鹿なのか、純粋なのか、少し抜けているのか、世間知らずなのか。おそらく最後のやつだと思うが、そんな彼の一言にため息が出た。
彼の世間知らずさは、実はもともと知っていた。初めて彼と会ったのは、彼が入社して、私が彼の教育係になったときだ。礼儀正しいし、敬語も完璧、清潔感もあってとても好印象だった。彼のことをおや?と思い始めたのは、入社して3日目のこと。私は彼が昼食に桃の缶詰を食べようとしているところを目撃した。昼食に桃の缶詰?と思うところもあったのだが、桃の缶詰がめちゃくちゃ好きなのかなと自分を納得させていた。自分のデスクに戻ると20分経っても彼は戻ってこなかった。何しているのかなと心配になった私は最後に彼の姿を確認した給湯室を見にいった。結果的に彼はそこにはいたのだが、買ったままの状態の、桃の缶詰の前で腕を組んで立っていた。「どうしたの?」と聞くと「開け方がわからない」とかえってきた。最近の子はそうなのかなと、仕方なく自分が開けてあげると驚いた顔でお礼を言ってきた。それだけではなく、電話のかけ方が分からなかったり、ファミレスのピンポンで感動したり。一般的な人が日常生活で必ず体験するようなことを知らなかった。今回、彼の家に来て確信した。この子、本物だって。