3話:祭祀場にて
女神パート。まだグロくない。
勇者の体を起こす。私の意識をほんの少し入れているので、私が何の操作をしなくとも彼の体は私の意のままに動きました。
台を降り、体の自由を確かめるように動く。手の可動を確認し、軽くストレッチをする。その動き方はまるで生前の勇者そっくりで、まだ生きていると錯覚しそうになるほどでした。
ですがもう、勇者は生きていない。その事実が私の心に深く影を落としていました。
私の前で彼が跪いた時、カチャンと音がなりました。音の方を見ると、そこには祭祀場の長、神官ライヤがいました。こちらを見て、震えています。仕え始めの頃から随分と歳を取り、老婆となってしまった彼女とは長い付き合いでしたが、勇者の死体が動いているところを見られてしまいましたので、彼女の出方次第では殺すことにしましょう。
「女神様…人の似姿で現れるなど…何百年ぶりでございましょう…」
ライヤはそう言って、深く跪きました。私を恐れているようで、近寄っては来ません。
「神官ライヤ、私の愛しき従者よ。私が何故こうして現れたかわかりますか?」
「…あなた様は、怒りと悲しみをもって我らを罰する為に参られたのでしょう。あなた様のお顔から、はっきりと失意が伝わって参りますから…」
私はライヤの元へと歩き、こう言います。
「あなたは私を止めますか?」
するとライヤは震えを押し殺し、強い意志を持って言いました。
「止めるなど…。他ならぬあなた様がお決めになられた事、我らは受け入れる他ありませぬ。勇者様のお身体を、あなた様の象徴としてお使いになられる事も、いずれ多くの民の命をあなた様が奪われるであろう事も、我らは受け入れなければなりませぬ…」
自らの立場を分かっているのは良いことです。ライヤは神官としての役割をしっかりと果たしました。
「…しかし、もし私めに何かをお伝え出来る機会を与えてくださるのであれば、一つだけ、お伝えしたいことがございます」
「言っても構いませんよ。機嫌を損ねるようなものであればすぐに切ってしまうだけですから」
そう言って私は、側にあった儀礼用の剣を勇者に持たせ、ライヤの横に立たせました。
ライヤは臆せずに、私をまっすぐに見つめて言いました。
「あなた様は、厄災の時よりずっと我らの元にいてくださった。人の心は分からずとも、我ら人間と、去ってしまった魔物達の事を見守り、加護をくださいました。そんなあなた様に、真に信頼出来る存在が現れた時、私めも自分事のように嬉しゅうございました。あなた様が、神託の他に、あなた様自身のお気持ちを伝えてくださった時、それはもう嬉しくて…」
ライヤの目からは涙が零れていきます。それが深い悲しみによるものであろう事は分かりました。
「ですからどうか、事の終わりがあなた様にとって良きものになりますよう、お願いしたいのです。あなた様の笑顔こそ、私めも、そして勇者様や姫様も、望んでいたことですから…」
…まさか。人間からそのような言葉が出てくるとは。
私は女神です。私が人間一人の幸せを望みはしないように、人間もまた私一人の幸せを望むことはないと思っていました。
互いが互いの心に無関心であるからこそ、加護と信仰の関係が続いているものと思っていましたが、あなた達は違ったのですね。そしてライヤ、あなたは苦しみや死を受け入れてなお、私を気遣う言葉を心から言ってくれるのですね。
ライヤの言葉が正しければ、私もまた、少しずつ変わっていたのですね。心の通った関わりを、していたのですね。
あぁ、何ということでしょう。この心の暖かさは。まるで縄のように私の心臓を締め付ける。
「…聞き届けました。努力はしましょう」
勇者に剣を置かせ、安置所の事務室へと向かわせました。そこには雨が降ってきた時のために丈の長いローブがいくつか掛けてあります。一つ借り、勇者に被せました。
その間、私はライヤに敬意を払い、一つ祝福をかけました。私の復讐でどのようなことがあっても、不幸に死ぬことの無いように。私の幸せを望み、今なお生きていてくれるあなたに、せめて私からも幸せを望ませてください。
「もう、私は行きます」
勇者が戻ってきた頃合いを見て、祭祀場を出る事にしました。ライヤに背を向け、振り返らず出口へ向かいます。
「いってらっしゃいませ。どうか、お気をつけを」
後ろから、かすかにそう聞こえました。
月が見える。
大きく、夜を照らす満月。満月は、姫の好きな月だった。こういう月の日はテラスで勇者と語らい、夜だというのにティーパーティのようにお菓子と紅茶を用意し、話に花を咲かせ、たまに紅茶の飲み過ぎで眠れなくなっていたことも。
そういえば、そんな日は一人分余計に用意していましたね。私の分だと。もしあの時、この姿で二人と共に語らえたのなら、きっとどんなに楽しかったか。
気づけばまた涙が出そうでしたが、堪え、勇者と共に歩き出す。
まずは拠点を作りましょう。人間の戦争のように。