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目が回るようなドレス選びの日から、お茶会の日まではあっと言う間だった。
というか、歳をとるごとに一日が短くなっていくような気がする。朝起きて食事をして仕事に行き、また寮に帰る。その繰り返しをしているうちに、気がつけばもう四十歳だ。
「この調子なら、いつの間にかお墓のなかね」
ぼんやりとつぶやいたサラは、にぎやかな現実に意識を戻した。
つややかな緑の葉を彩るのは、にじむような色を花びらに乗せた薔薇の花。花盛りの薔薇に囲まれた広場には、丸テーブルがいくつか並べられている。クリーム色のテーブルクロスが緑と花の景色によく馴染んでいた。
そんな素敵な景色を背景に、いっそう輝いているのは王弟殿下だ。
目尻にしわを寄せおだやかに笑う姿は、一幅の絵画のように麗しい。
「お近くで見ても、ほんとうにすてき」
いつも窓越しに見ていたそのひとが、テーブルをふたつ挟んだ程度の距離にいる。サラ自身も、これまで着たことのないきらびやかなドレスを身につけていた。
やたらとふわふわひらひらした薄い色を推してくるカルゴを必死で制して妥協してもらったのは、ドレープの美しい深い緑のドレス。光沢のある生地は何でできているのか、どれほど高価なものなのか、カルゴが頑として支払いを譲らなかったせいでサラにはわからないが、上等なものだということだけはわかる。
そして、そのドレスを身に着け、カルゴの家の使用人に髪を結い上げられ「カルゴさまからです」と出された宝飾品で飾り付けられた自分がいつもよりとても見栄えがよいということも、わかっていた。
けれど、つぶやくサラの声は王弟殿下に届かない。
なぜなら、王弟殿下とサラのあいだには着飾った女性たちが集まっているからだ。
「殿下、お歌はお好きですか? わたくし、良い歌い手になれると楽士に言われたことがありますの」
そう言ったのは海運業を営む商人の娘、エリアルだ。二十代後半の若い笑顔が輝いている。
「まあ、殿下は芸術にも秀でてらっしゃるとご存知ないの? 素人の歌よりも、わたくしに踊りのてほどきをお願いしたいですわ」
おっとりと笑った女性、シンディの家は、大きな鉱山を所持していると言っていたか。三十代にはいったばかりなのだろう、落ち着きのある笑顔を浮かべていた。
「あらあら、なんて図々しいのかしら。殿下は気軽なお茶会を所望されてますのよ。こちらでゆったりとお茶をいただきながら殿下のお話をお聞きしたいわ」
しなだれかかるように殿下の腕に触れたのは、異国の富豪の娘だという女性、カグヤだ。運命の殿方を探しているとかで、彼女がいちばんサラと年が近い。と言っても三十代半ばなのでサラよりはいくつも若いけれど。
青、黄、赤。色とりどりのドレスを着た女性たちに囲まれた殿下が、朗らかに笑う。
「やあ、こんなおじさんが美女を侍らせてしまって。結婚を先延ばしにするのも良いものだねえ」
「まあ、殿下ったら」
「殿下はまだまだお若いですわ」
「大人の色香が加わったお姿がまた、すてきでございます」
うふふ、おほほと沸き起こる笑い声を遠くに聞きながら、サラはほうっとその光景に見入っていた。
居並ぶ女性たちは庶民とは言え、それぞれに社会的な地位を持つ者の娘ばかりだ。ドレスを着てこの場にいるとはいえ、孤児で城勤めのサラは明らかに場違いだ。
できることといえば、ただ、素敵な光景を堪能することだけ。
「あなたはこちらに来ないのかい?」
女性たちに囲まれた殿下を楽しんでいたサラは、不意に近くで聞こえた耳に心地良い声にどきりと肩を跳ねさせた。
ぱちぱちと瞬きをして現実に目を向けると、麗しい王弟殿下がすぐ目の前でサラの顔を覗き込んでいるではないか。
「あ、あの……」
あまりのまばゆさによろめきそうなのをこらえるが、熱くなる頬は止められない。
つい視線を逸らしてしまったサラの手を取って、殿下がにこりと笑いかけてくれる。
「気分がすぐれない、というわけではなさそうだね。良かったよ」
やさしいことばをくれる殿下の後ろに、不機嫌そうな顔をした女性たちの姿が見えた。そして、それ以上に不機嫌そうに眉間にしわを寄せたカルゴの姿が殿下の横にある。
どうしたの、と問いかけたいが貴人が話しかけている最中によそ見はできない。サラは気持ちを静めるためそっと目を伏せながら答える。
「はい。あの、あまりに素敵な光景で。つい、絵巻物を見ている心地になってしまいました」
「ふむ? 絵巻物というと?」
正直に告げたサラの発言に、殿下は興味を持たれたらしい。促されるままサラは続ける。
「あの……この年で恥ずかしいのですけれどわたしは童話が大好きで。それぞれ違った魅力ある女性たちなのでつい、物語の姫君になぞらえて眺めてしまって」
こんなことを言ったら叱られるだろうか。そう思いながらも、サラには貴族のかわし方などわからない。ちらりと視線を向けたカルゴはむっとくちを引き結んでいつものガーゴイル顔をしているから、まずいことを言ったのかどうかもわからない。
「ほう、それは興味深い。あちらで、どの女性がどんな物語の姫君なのか教えてくれないかい?」
どきどきしていると、殿下はにこりと笑ってサラの手を取って誘ってくれる。
気分を害されなかった、と知ってサラはほっとした。
けれど、敵意をむき出しにした女性たちの真ん中に連れて来られてしまって焦る。
「彼女があなたがたを物語の姫君のようだと見とれていたそうでね。さ、どんな物語の姫君なのか、聞かせておくれ」
殿下がサラの肩をやさしく叩いて言う。そのことばに、居並ぶ女性陣の目もやわらいだ。
「まあ、どんな物語かしら」とはずむ声にサラはおずおずとくちを開く。
「あの、エリアルさまは青いドレスが波のようですから、豊かに波打つ御髪と相まってまるで海歌姫のようだなあ、と」
サラが言った途端、エリアルの顔がぱっと華やいだ。
「まあ! わたくしあの物語大好きでしてよ! 歌が得意なわたくしにぴったりの物語ですもの」
「そうね。王子さまを好きになった姫が王子さまに歌で気が付いてもらうところなんて、胸が苦しくなるほどすてきよね」
シンディまで相槌を打ってくれるものだから、サラはうれしくなった。
そのシンディが、期待のまなざしをサラに向ける。
「では、わたくしはどんな物語なのかしら。知りたいわ」
「はい。シンディさまは黄金のような御髪をなさって、きらめくドレスがまるで舞踏会のようですから、あの……失礼かもしれないんですけど、灰かぶり姫を思い出しました」
はじめは貧乏な娘が主人公の物語を挙げるのに、サラはすこし迷った。けれど言い切ってしまえば、シンディは「まあ!」とうれしそうに目を細める。
「自分の力で王子さまの愛を勝ち取り、成り上がるあの物語ね。失礼だなんて。むしろうれしいわ」
本当にうれしそうに言ってくれるシンディにほっと息を吐いたサラの背を、つんとつつくものがあった。
振り向けば、折りたたんだ扇子の先でサラの背中をつつくカグヤの姿がある。
「それで終わりかしら?」
「え? ……あ! カグヤさまももちろん、すてきなお姫さまです! 月夜姫と申しまして、異国の物語なのだそうですが」
促されて話し出した途端、カグヤが「んまあ!」と扇子の影で声をあげた。
「月夜姫は我が故郷の物語なのよ。あなた、見る目があるわ。ぜひ、もっとお話しを聞かせてちょうだい」
「ずるいです、わたくしもお話したいわ」
「あら、みんなでお話しましょう。殿下もどうぞ、よろしかったら。王子さまがいないとお姫さまが輝けませんもの」
きゃあきゃあと盛り上がりだした女性陣に、王子殿下はにっこり笑った。
「いいねえ。やはり、美しい花は競い合うより寄り添い合うほうが麗しい」
優雅に笑う殿下となぜか隣に座らせられてしまったサラを取り囲むように、女性たちが椅子に座る。一気に華やいだ視界にどぎまぎしながらも、サラは乞われるまま話しだすのだった。