3
背中にべったりともたれかかってくるカルゴを必死で支えて、表通りに出る。
城の近くとあって、辻馬車はあまり通らない。カルゴはいつも徒歩で登城するため、呼ぶ馬車もない。
しかたなしに、サラは重たいカルゴの腕を肩にかけてのたのたと歩き出した。
「重いか」
レンガ敷きの地面見つめながら歩いていれば、頭のうえからぽつりと声が落ちてくる。
「うん。重たい。カルゴ、大きくなったものね」
「俺はもう子どもじゃない」
認めれば、のしかかる腕がすこし軽くなる。
素直な行動に添えられた声がすねていて、それがまさに子どものようでサラはくすくす笑ってしまう。
「そうねえ。わたしもすっかりおばさんだもの」
「そんなことは……いや、俺もいい歳だからな……そうだな」
否定しようとして、けれど思い直したのだろう。素直なカルゴの太い腕をよいせ、と抱えなおしてサラはもたもたと歩く。
道行くひとは、自然と避けてくれる。もしかしてカルゴが怖い顔で蹴散らしているのだろうか、貴族街の通りだから品良く譲り合うのが常であってほしい、とサラが胸のうちで祈っていると。
「さっきは、その、なんの話をしていたんだ」
不意にカルゴが問いかけてきて、サラはぱちりとまばたきをした。
いつになく遠慮がちな彼の物言いが珍しくて返事を忘れていると、その沈黙をどうとったのかカルゴが慌てて付け足してくる。
「いや、その、サラは書庫統括主任のことをよく話に出すだろう。だから、その」
「ああ、ルクロスさまね。あのかた、貴族なのにこんな庶民のおばさんにも誠実に対応してくれるから、王弟殿下のことで相談に乗っていただいてたの」
もごもごといつになく歯切れの悪いカルゴのことばをつなぎ合わせて、サラはようやく彼の意図する質問がわかった。
仕事柄、書物とばかり向き合うサラの話題になにかと名前が出てくるのは上司のルクロスくらいのものだ。カルゴもきっと気さくな貴族であるルクロスのことが気になるのだろう。
「殿下の……?」
つぶやいて、カルゴがぴたりと足を止めた。
大きな彼に引っ張られる形で「おっとと」とよろめいたサラを難なく抱き留めて、カルゴがサラを見下ろすものだから、サラは彼を見上げて続ける。
「あなたから招待状を受け取ったでしょう? ささやかだと言っても王族のお茶会だもの。何を着て行ったらいいのかわからなくて困っていたら、ルクロスさまが相談に乗ってくださって」
けれど仕立て屋うんぬんと言い出されるとは予想外だった、と言い終えるよりも早く、カルゴがその場にしゃがみこんだ。
大きな図体を丸めてサラの前でちいさくなった彼は、広い手のひらで顔を覆って唸っている。
「ああ! カルゴ、どうしたの。立ち眩み? 馬車をひろって……ううん、ここからならあなたの家に走ったほうが―――」
「待ってくれ」
慌てて助けを呼ぼうと駆け出しかけたサラの手首が、がしりと掴まれる。
振り向けば、手首をつかんだカルゴが立ち上がるところだった。
「カルゴ、大丈夫なの? 疲れでめまいがしたんじゃないの? 無理しないで、通りの端に行って座って……」
「大丈夫だ。いや、大丈夫じゃないな」
促すサラのことばは、しゃきりと背筋を伸ばしたカルゴに遮られた。
けれど聞こえた返事は「大丈夫じゃない」。サラは慌てて彼の腕に手を添えて休めるところを探して視線をさまよわせる。
「やっぱり! ほら、はやく端に……」
「そうじゃない」
「え?」
再びの否定。そして、カルゴが手首をつかんだまま歩き出せば、サラはあっけなく彼に引っ張られてついて行くほかなくなってしまう。
「カルゴ? そっちはあなたの家じゃない。どこいくの」
ずんずんと大股で進む彼の脚が向いているのは、サラが目指していたのとは別の方向だ。
カルゴに連れられるまま歩いていけば、しだいに周囲の建物が華やいでいく。
貴族の屋敷から馬車で行ける通りに並び建つのは、貴族御用達の店の数々だ。
贅沢なことに、おおきなガラスの入った店の一角には商品だろうドレスが通りから良く見えるように飾られていた。
「よし、いるな」
サラとは縁のないきらびやかな店のひとつに目をつけたカルゴは、迷いのない足取りで店に向かっていく。
「え、カルゴ! なあに? 贈り物を買うの? 体調はいいの? だったらわたしはもう……」
「俺だけで入ってどうする。大丈夫だ、顔見知りの店だ」
驚くサラをよそに、カルゴは堂々と店の扉に手をかけて開けてしまった。
掴まれた手首は相変わらず離してもらえず、さっそうと入店するカルゴに引っ張られる形でサラも店のなかに入ってしまう。
「いらっしゃいませ……おや、あなたはイールの」
「ああ、イール商会のカルゴ・イールだ。あなたに個人的に服を作ってもらいたくてな」
迎えてくれたのは、すらりと背の高い女性だ。年のころはサラとそう変わらないだろうか。けれど、ぴんと伸びた背筋と短い髪を後ろに撫でつけた紳士然とした髪型とぴっちりしたパンツスタイルがよく似合うさまは、とても恰好が良くて、同じおばさんだとはとても思えない。
「私は女性の服しか作らないと……おや?」
「あの、お邪魔しております」
カルゴを相手にきびきびとしゃべっていた彼女は、カルゴの大きな体の影に隠れてしまっていたサラに気が付いたらしい。
切れ長の目に見つめられたサラは慌ててカルゴを押しのけて女性の前に立ち、頭を下げた。
城のなかで貴人に会った場合に、サラにできるのはこれだけだ。そうして立ち去ってくれるのを待つのだが……。
すい、とあごに細い指が触れてサラの顔は上向かされてしまう。
「ふむ、彼女の服だね? きみもようやく腹をくくったか。よろしい。引き受けよう。期限は?」
「え? あの……」
澄んだ瞳がサラの目を覗き込んでいるが、そのくちから出ることばはカルゴに向けられているようだ。
「ひと月……いや、もう三週間だな」
「なんと! なぜもっとはやく来ない! いや、ここで口論したところで無意味だな。時間が惜しい。まずはデザインを決めようじゃないか。さあ、奥へ。きょうはもう店じまいだ」
言うが早いか、サラのあごから指を外した女性はつかつかと歩いて店の扉に「閉店」の札を出してしまった。
そして、サラの背を押し店の奥へと歩き出す。
「あの? え? なんなの、カルゴ?」
助けを求めてカルゴに視線を送るが、彼もおとなしく女性の後ろをついて歩いてきていた。
混乱するサラに女性がぱちりとウインクを送って笑う。
「なに、あなたはいくつか指をさして、あとはじっと立っていればいいだけさ。支払いはもちろん、彼が持つからね」
「ああ」
軽快に喋る女性にカルゴはすんなりとうなずいた。
ただひとり、サラだけが訳も分からぬまま、彼らに連れられて行くのだった。