5.喧嘩と怪我と手ブラ
「さあ、お前ら。今回ばかりは見逃してやろう。さあ、散った散った!さっさとしないと応援を呼ぶぞ!」
やって来た男は一人だけだった。
そして、カズヤは彼の顔に見覚えがあった。
「(ヨリックさん…?何で?)」
現れた男はヨリックという名前の銀級冒険者だ。
カズヤとはわりと親しい間柄の、酒好きのおじさんだ。そんな彼がたった一人で、しかも衛兵を騙って現れたのだから、不安にもなるだろう。
ヨリックはチラリとカズヤの方を向く。そして、小さく頷く。
実はこの男、バカである。
大方、衛兵のふりをして登場すればチンピラ達を散らせると思ったのだろう。
しかし、いくら衛兵が武装しているとはいえ、10人近くいる男達を一人でどうにかできるものでもない。
それに、彼は第三支部でも数少ない銀級冒険者の一人だ。名が知られている分、住民たちからは彼が偽物の衛兵だとすぐに気付かれた。
「よ、ヨリックさん!何してんのさ!?」
頭を抱えてパン屋のおばちゃんが叫んでしまう。
このおばちゃんも、また浅はかだった。
「そ、そういえばアンタは『大斧』ヨリック!憲兵じゃねえじゃねえか!」
おばちゃんの言葉を契機に、チンピラ達も気が付く。
「憲兵じゃねえのか!じゃあいいか!!オメエら、やっちまえ!!」
完全にオフの日だったのだろう。
哀れ、ヨリック。丸腰のまま、ハンマーで殴られて戦線離脱。
「お、おい!ほんとにやっちまったのか!?」
鋤を持った男が慌てだす。
「なんだてめえ!!今更ビビりやがったか?!」
ナイフを持った男が大声で返す。
血を見た暴徒たちはもう止まらない。いや、今更止まれないというべきだろう。
一斉にカズヤに向かって斬りかかってきた。
慌てて距離を取り出す野次馬たち。
カズヤはその辺に落ちていたモップを拾い上げると、倒れ伏したままのヨリック氏を蹴っ飛ばした。
カズヤはモップで善戦した。しかし、彼はしょせん銅級冒険者。複数の刃物を持った男達に構うべくはずもない。
五人目を叩きのめした後、息も絶え絶えなカズヤ。
「カズヤ!」
受付嬢が、建物の2階から声を荒げる。
カトラスのような剣を振り上げたチンピラが、カズヤの前に立っている。
そんなに大振りなら、避けることも容易い。
カズヤは余裕を持って体の軸をずらした。
「死ねえええ!!!!!!」
カズヤは実質無傷。
彼らの余罪は憲兵が介入してきた時点で傷害未遂程度だっただろう。
しかし。
「危ない!!!!」
ザシュッ!
肉を切り、骨を折る鈍い音が響く。
「だ、大丈夫…、でした、か…?」
黒く長いローブが揺れる。
フードの中から、灰白色の長髪がこぼれる。
自転車のハンドルのような巨大な角が、欠け落ちる。
倒れ伏す彼、いや、彼女の姿に、人々は絶句する。
「ぜ、全然エビじゃねえじゃん!」
空気の読めない菓子屋の長男坊が何やら叫ぶ。
その言葉でまるで時間が動き出したかのようだ。
悲鳴や怒号が市場に鳴り響く。
カズヤは、切り裂かれたローブから除く灰白色の鱗姿にふらふらと歩み寄る。
「ろ、老師様…。いや、シエルラさん!?」
あの時助けた竜人の女性、シエルラが、血を流して倒れていた。
チンピラ達は、全員、傷害やら器物損壊やらでしょっ引かれていった。
勝手に憲兵を名乗ってぶん殴られていたヨリック氏は、憲兵たちから厳重注意を受けた上で帰された。
カズヤは、『王の薬箱』ことエビ老師、またの名を密入国者シエルラ・エヴィナリスについて聴取を受けた。
「なるほど。では、君は容疑者の密入国に関しては何も知りえないというわけだね?」
眼鏡をかけた小太りの女憲兵は、調書を取りながらそう言った。
「…ええ。」
カズヤはその言葉に頷いた。
「憲兵さん、老師様は、シエルラさんはどうなるのでしょうか。」
カズヤはそう尋ねずにはいられなかった。
「それが、なかなか悩ましいところでね…」
女憲兵は、頭が痛そうにこめかみを指で押した。
シエルラは密入国者だ。しかも、入国が禁止されている隣国の亜人だ。
慣例では、そういった者は見せしめに死刑になるか、犯罪奴隷として国家の慰み者となることとなる。
しかしながら、シエルラは素性こそ偽ってきたものの、長年この国に多大な恩恵を与えてきた薬師だ。
彼女のおかげで様々な不治の病と言われてきた病が治療可能になった。
高価だった薬剤も、今では庶民の手元に届くほどまでに安価になった。
そしてなにより、王家に仕えて三代の王を支えてきた功績は非常に大きい。
50年もの間、王たちと顔を合わせてきたのだ。
きっと、王たちは彼女の素顔を知っていたことだろう。
彼女を死刑にするのならば、彼女の潜伏に手を貸し続けてきた王家にも責を負わせなければならないだろう。
しかし、ここは王国。王の威信を落とすことはできないのだ。
「だから、えらい法律家の先生方がみんなして、老師さ…容疑者の処遇を悩んでるんだよ。」
小太りの女憲兵はここまで話すと、ため息をついた。
「私の息子も、小さいころにあの人に命を救われたんだ。悪いことにはならないでほしいというのが本音だよ。」
机でトン、と調書を揃えた女憲兵は、小脇にバインダーを挟んで立ち上がり、カズヤに頭を下げた。
「以上で聴取は終わりです。どうもお疲れ様でした。本件におきましては災難でした。」
コンコン。
「入ってまーす。」
拘置所に備え付けられた病室の扉をノックすると、そんな、のんきな答えが返ってきた。
「お加減はどうですか?」
カズヤはベッドに寝かされている患者に声をかけた。
「なかなか大変です。仕事柄、色々な毒を試してきました。だから、内臓は強いんですけど、怪我はダメダメですねー…。」
「動かないでいいですから。寝ていてください。」
体を起こそうとするシエルラを制止する。
「顔から胸部にかけての裂傷に、右鎖骨と第一・第二・第三肋骨の骨折でしたか?なんだか、王都のギルド支部みたいですね。」
「あはは、第四支部までは到達しませんでしたね。ふふ。」
カズヤの笑えない冗談を聞いて、愉快そうに笑う包帯でぐるぐる巻きのシエルラ。
「笑い事じゃないですよ、まったく。僕は時間稼ぎがしたかっただけなのに、急に飛び出してきて…。」
「ど、どうもすみません。」
今回の件に関しては、カズヤに何の非もない。勝手にしゃしゃり出てきたシエルラが、勝手に大怪我をしただけだ。
憲兵局からはそのような結論が出された。
なにより、シエルラはこの国の民ではないのだから、司法的に被害届をどうこうするのは難しい。
「私のせいで、憲兵の方から何かされませんでしたか?」
シエルラは、申し訳なさそうにそう言った。
「別に、何もありませんでしたよ。まあ、3時間も聴取で拘束されてましたけども。」
「縛られてたんですか!?3時間も!!」
「言葉の綾ですよ、老師様。」
そう言ってカズヤは笑って見せた。
「包帯替えの時間です…、時間だ。」
白衣を着た職員がやって来た。彼女はなんだか、シエルラに恐縮した様子だ。
「よろしくお願いします。」
シエルラは、動きにくそうに患者衣をはだける。
「だいぶよくなってきたみたいで、包帯の下がかゆくて仕方ないんですよ。」
彼女は、職員の手を借りながら、頭の包帯を外していく。
血が固まった包帯は、ぺりぺりという音を立てて剥がれていく。
「さすが、老師様の考案した傷薬…。」
女性職員は思わずため息を漏らした。
自然治癒の経過に任せていただけでは大きな傷跡として残っていたであろう切り傷は、もうふさがっている。
「まだ、表面しかふさがってないんですよ。笑ったり泣いたりして、筋肉を動かしたらまた開いちゃうかも。」
「すごい、さすがです…!あ、さすがだ…。」
この職員はエビ老師を尊敬しているらしい。
会話の節々から、尊敬の念がにじみ出ているのが分かる。
「ただ、骨が治るのはちょっと遅いみたいで、あと一週間は歩けそうもないですね…。乳房の裂傷も思ったより深いみたいで、寝がえりを打つのも一苦労です。ま、この角があるせいで、寝がえりうてないんですけどね。ふふ。うふふふふ。」
シエルラは自分で言っておいて、ツボに入ったのかおかしそうに笑っている。
そんなに笑っていたら、顔の傷口が開くのではないだろうか。
「巻き直りました。…直したぞ。ええい、面倒くさい!胸部の方をお見せください。お手伝いいたします。」
職員はだんだん敬語を直すのが面倒になって来たらしい。高圧的な命令口調への努力をかなぐり捨ててしまった。
包帯の下から白磁のような肌が覗く。
少し血に汚れてしまっているが、それはまるで釉薬でも塗られているかのようだ。
包帯は肩、鎖骨、と徐々に解かれていき、なだらかな曲線を描く大きな…
「ちょっと、あなた。いつまで見ているの?デリカシーがないのではなくて?」
「あ、そうですね。すみませんでした。」
…残念ながら、カズヤがつまみ出されてしまったので、これ以上の精緻な描写ができないようだ。ぐぬぬ。
「あ、こうすれば大丈夫ですよ。せっかくだし、カズヤさんも見てってください。」
しかし、何かごそごそしていたシエルラが、カズヤを呼び止めた。
裸を見てってくださいというのも変な話だ。
「どうせ、あの時全部見られちゃいましたからねぇ…」
彼女は遠い目をしていた。
シエルラは、両手で胸を隠している。
いわゆる手ブラだ。やったね。
彼女の白い肌には、醜い一文字の傷がついてしまっている。
しかし、その傷跡をよく見てみると、その傷の大きさのわりに、すでに流血は止まっているのだ。
「最近、血止め薬を開発していたんですけど、その効果なんです。」
「ああ、あの時の!」
数週間ほど前にカズヤがエビ老師を訪ねたとき、エビ老師は、チドメソウという植物を用いて流血を止める薬を作っていた。
この薬は、血中のフィブリノーゲンに作用することで血液の凝固速度を速める作用を持つ。
止血にはもってこいなのだが、傷の直りを早くする作用があるわけではないので、他の薬剤を併用していく必要がある。
「ウィンプスラットで実験したときは、傷跡が残りやすくなるっていう副作用がありましたからね。そこをなんとかしていくのが今後の課題です。」
彼女はきっと、自分が処刑されるかもしれないなんて思ってもいないのだろう。
無垢な彼女の笑顔を見ていると、カズヤも、職員の女性も、なんだか悲しくなってしまった。