39.精神樹
「やあ、よくぞ来てくれた!さ、どうぞ座ってくれたまえ。」
勇者ルークスに連れられて、冒険者ギルドのカウンターの奥、普段は職員たちが仕事をしているスペースの更に奥へと案内される。
ルークスの仲間たちはルークスの正妻であるレイピア使いを除いて、邪魔にならないようにギルドの食堂で待機しているとのことだ。
古いが丁寧に磨かれているブラウンオルク材の扉を開けば、中は支部長の執務室である。
いきなり支部長室に通されるというのもなかなか珍しい話のように思えるが、スペースがないので応接室を兼ねているという事情があるのだそうだ。
さて、支部長室には、豪華な服を着た背が物凄く高いエルフの中年男性と、エルフの中年男性ほどではないものの背が高くて目つきの鋭い…。
この人、男なのかな、女なのかな。
ともかく、中性的な純人間の若者が彼らを出迎えた。
「ルークス殿、どうもご苦労だった。すまんな、遣いっ走りのようなことをさせてしまって。」
大柄なエルフの男性が恒炎の勇者ルークスに向かって親し気に手を上げた。
「全くだよ、男爵殿。伝言係なんて聖剣に認められる前、軍部の下端だったころっきりさ。それはそうと…。」
苦笑気味にそう答えたルークスは、後ろに控えるカズヤを右手の親指で示した。
「おお、君がマシーナリーか!噂はかねがね。吾輩はギルポン・シオウポン・ハルキゲニアス男爵という者だ。この冒険者ギルド・グレイハーバー支部の支部長をやっておるよ。気軽にギルおじさんと呼んでくれて構わない!」
そう言うと、彼はその巨大な両手でカズヤの右手を包み込んだ。
古傷だらけでガサガサしているが、支部長の内面を表すかのように熱い手だ。
「そして、こちらはわが盟友にしてこの町唯一の金級冒険者、副支部長のテルキア君だ。さ、テルキア君。マシーナリー君に挨拶を。」
ギルポン支部長にそう促されたテルキア氏は、ゆらりと立ち上がると、フラフラとした足取りでカズヤの前にやって来た。
「………アル・アキア・タルレキア・テルキア。………所持資格は金と花。……………よろしく。」
声の低い女性か、声の高い男性のような声でボソボソとそう言ったテルキア氏は、長いローブの袖を被った右腕を差し出した。
おそらく握手を求めているのだということは分かるが、どう反応すればいいのかカズヤは悩んだ。
「………すまない。………ヒトの肌の感触が苦手で。」
話を聞くと、どうやらそのテの恐怖症があるらしい。
カズヤはテルキアの手に触れないよう、ローブの袖を握ることで握手の代わりとした。
「うむ!若いのに配慮もできる、と。結構結構!ところでルークス殿。マシーナリー君の隣の方はもしや、近頃話題の?」
ギルポン支部長は、意地になって付いてきたはいいものの、やはり居心地が悪そうに縮こまっているシエルラに目を向けた。
「いかにも、彼女は優秀な薬師のシエルラ殿。マシーナリー殿の旅仲間であり、大切な友人のようだよ。」
気取った様子でルークスが紹介する。
「あ…。申し遅れました。ご紹介に預かったシエルラ・セルペント・エヴィナリスと申します。」
「よろしく頼むよ、エヴィナリス殿。…ふむ、竜人族でエヴィナリスと言うと…。」
ギルポン支部長はシエルラの苗字について何か思い当たる事があるようだ。
「はい、先代のザラクポン様にはお世話になったと祖父から聞いております。その節は、うちの者がどうもありがとうございました。」
どうやら、エヴィナリス家が貴族家だったころに彼女の先祖と交流があったらしい。
エヴィナリス家が没落し改易されたという話を聞いたギルポン支部長は少し寂しそうな顔をしていた。
「おっといかん。ついつい雑談に花を咲かせてしまったな。早速本題に入ろうか。リエ君、例の資料を。」
「かしこまりました。」
いつの間にか支部長の隣には秘書と思しきネコ科亜人の女性が控えていた。
リエと呼ばれた彼女は、部屋にいる者全員に右上をクリップで留められた書類を手渡した。
本来であれば来る予定のなかったシエルラの分まで用意してあったので、なかなかに有能な人物なのだろう。
「えー、これは先日、当ギルドが憲兵団と合同で派遣した調査隊が持って帰ったデータ群だな。ここにいるルークス殿のパーティも参加しており、非常に有用な情報が手に入った。」
合計10枚の用紙にびっしりと記された情報は、化学分析、生物学的見解、物理学計算といった様々な文字や数値の羅列だ。
近くで見ても、無数の黒い虫が真っ白な紙面上に集っているようで、眩暈を起こしそうだ。
勉強家のカズヤとシエルラも、これにはさすがに目を白黒させている。
「吾輩の専門は討伐なので、こういった小難しいデータはさっぱりでな。カンニングペーパーを使わせてもらうとしよう。そうだなあ…。まず、2枚目の左列中央の図‐5を見てもらえるか。」
彼が始めに示したのは、ネクストポート町や近隣地域を通る河川や水路を流れる河川水成分分析の結果だ。
ミネラル、つまり金属イオン量は正常値、毒素となるような重金属類にも異常は検出されず。
魔素量がコントロールと比較して跳ね上がっているように見えるが、これは恐らく荒れ狂う魔物たちによる捕食行動の結果なのだろう。
同じ理由で、死骸由来の有機物の増加もモデルデータと比較して十分にありえる範囲だ。
だが、カズヤには1か所だけ気にかかる点があった。
「気付いたようだな。さすが、ヴァンダルの奴が太鼓判を押していただけのことはある。」
ヴァンダルとは、カズヤが王都にいた時に所属していた王都第三支部の支部長の名である。
ちなみに彼は商家出身の一般人であり、かつては有名な冒険者だったものの、それに準じた爵位を授かるったりはしていない。
それにしても、亜人の国の没落貴族に、純人間の国の支部長とも知己があるのだから、この男はなかなかに貴族として優秀なようだ。
「知人の生化学者に確認させたのだが、このPGP …、Phantom Glycoside Peptide なる物質の、25番目が通常値よりも多く検出されているようだ。たしか、この物質の仲間は幻覚を引き起こす物質なのだったかな?」
訳して『幻(を見せる)グリコシド結合を持ったタンパク質』という、なんとも安直な名前の物質ではあるが、その恐ろしさは名の通りだ。
古来より幻覚剤の主成分として規制されてきた、大変危険な物質群なのである。
「さらに、この25番を詳しく調べさせてみた。それに関しては三枚目の表‐9を見てもらえるか。」
表‐9は PGP‐25の化学的特性から、より詳しくこの物質の特定にアプローチしたデータとなっているようだ。
近隣の研究機関や冒険者ギルドで保管されていた比較用サンプルをかき集めてきたらしく、物凄い数の項目が羅列されている。
「それで、一番近かったのが精神樹毒、と…。」
河川で得られたサンプルと比較用サンプルを一々比較していては時間が掛かってしまう。
すぐ下の行に記してある結論の欄を見たカズヤは少し暗い声でそう言った。
「うむ、その口ぶりから察するに、既に知っているようだな。テルキア君、頼む。」
支部長は黙って資料を見つめていた副支部長に手で促した。
そういえば、この副支部長も花級冒険者資格を持っていると言っていた。
「………8ページから9ページに書かれているように、これら精神樹毒が検出された河川は、全てモヌケノカラ山脈にある上流域で一つになっている。つまり…」
そこまで言うのであれば結論まで行ってしまえばいいだろうに。途中で面倒臭くなったのだろうか。
中性的な副支部長閣下はダルそうな流し目をカズヤに向けた。
「クリフォルートが上流域にある、と?しかし、アレはこの辺りの植物じゃないでしょう。」
植物の話となってくると彼の専門分野だ。
彼は同じく専門家である副支部長とこのデータについて議論を始めた。
支部長、ルークス氏、そしてシエルラが入る余地もない。
「あ、あの!こちらの図から考察するに、精神樹近辺の植生環境はc型なのではないでしょうか?そう考えると、予測地点は少し北部側にズレるのではないかと…」
ルークスに恥をかかせないためか、彼の妻であるレイピア使いが2,3言口を挟んだ。
「いや、そこはですね。この下層植生の勢力図からも分かるように、ナギナタコケモモ‐ハクビシンイーター混生林が………」
「それに、参照式が違う。仮にこの辺りの土壌硬度を代数とした所で……」
ただ、オタク…いや、花級冒険者たちによる専門用語飛び交う早口な返答にたじろいでしまった。
またシエルラも、分からないなりに2人の議論を聞きながら一生懸命に資料を参照しようとしていた。
非常に健気で結構な事だが、素人が数字や図形を見た所で中々意味を見出せない。
「あー…。ゴホン。時に2人とも、そもそもクリフォルートとはどういう植物なんだね?」
そんな様子を見かねたのか、支部長がとぼけた様子で挙手しながら質問した。
ソファの背もたれに体を預けたルークス氏は、船を漕いでいる。
「………失敬。………マシーナリー、説明してやってくれ。………自分の専門は土中生物だ。」
専門家同士で議論するのが思ったよりも楽しかったのだろうか。
少し気まずそうに目を逸らした副支部長。
「了解しました。まず、クリフォルートとはサボリバナヤドリの一種で…。」
カズヤとしては簡潔に説明したつもりなのだろうが、それでも30分以上かかっている。
こういう話を好まない読者もいるだろうから要点だけ説明するとしよう。
クリフォルートは、異様な生態を持った、いわゆる寄生植物の一種である。
小さな種子が包まれた甘い果実を鳥やコウモリなどに食べさせることで生息地域を広げる。
種子は消化されにくいので、フンと一緒に排出されるのだ。
運よくサンミザクラの枝に付着することが出来たクリフォルートの種子は、第一禍根と呼ばれる根状器官をサンミザクラの組織内部に侵入させ、そこから養分を吸い取ることで成長を始める。
成長するにつれて栄養を蓄えた茎が球状に膨らんでいき、重量を増していく。
傍から見ればサンミザクラに柑橘か何かの果実が付いたように見えることから、この成長段階の事を柑橘期と呼ぶというのは豆知識である。
さて、柑橘期後期になると、クリフォルートは自重を利用して第一禍根を切断する。
そして、地面に落下すると、植物体を固定するために第二禍根と呼ばれる根状器官を張り巡らせる。
第二禍根から吸い上げられた水分と茎に蓄えた養分、小さな円筒形の葉にある葉緑体で合成された有機物を使い、1mほどの高さにまで成長する。
ここからがこの植物が精神樹と呼ばれる所以になって来る。
そこまで成長した所で、クリフォルートは空気中に、様々な化合物が入り混じったガスを内包したシャボン玉を放出するのだ。
ガスは特定種のシカ類の魔物に対して、フェロモンに似た誘因効果や幻覚効果を及ぼす。
そう。シャボン玉の構成成分の一つ、この幻覚効果のある物質こそが精神樹毒と呼ばれるPGPである。
精神樹毒などを含んだガスによってクリフォルートに引き寄せられたシカ類は、まるで葉巻を吸うかのようにシャボン玉の放出口となっている葉を咥える。
ガスを放出口から直接吸い込むかたちになるわけだ。
この状態になってしまった魔物はもう理性的な行動を取ることが出来ない。
白目を剥いてただひたすら気体を吸い込み続けるゾンビのようになるのだ。
じっと動くことなくただただ生命活動を続けるシカ類を作り出したら、クリフォルートは第三禍根と呼ばれる器官をシカ類の口から侵入させ、養分や水分を吸収していくのである。
最後に残るのは、骨と皮だけが残ったミイラのような残りカスである。
時には、このミイラのようなカラカラの残りカスになっても生存し続けているシカが居るのだから驚きだ。
獲物を活かしたまま養分を奪い取る様が、まるで養分と同時に精神を吸い取っているように見える。
精神を吸い取って成長する樹木ということで、精神樹という俗名が付いたのである。
「ちなみに、クリフォルートのシャボン玉に含まれる精神樹毒はシカを含む偶蹄目以外の脊椎動物に対しても多少の効果を発揮するようです。種によって効力に一定の差があるようですが。あと、当然人間にも作用するんですけど、普通は飲料水を沸騰させたり濾過したりするので、熱に弱い PGP は効力を発揮する前に失活します。人間的な生活をしている人間が影響を受けることはまずないと思っていいでしょう。」
カズヤはそこまで言うと、資料束を机の上に置いた。
それに続けて、テルキア副支部長が一言添える。
「………変な動きをしている魔物のほとんどが脊椎を持つものだ。…………ネクストポートを荒らした魔物の正体は分からないが、その魔物が暴れる原因になったのが精神樹毒だと考えるべきだろう。」
「というのが、この資料の結論なわけだ。解析がもう少しだけ早く済んでいれば、被害を抑える助けになったやも知れんな…。まあ、結果論でしかないんだが。」
支部長がまとめるようにそう言った。
要するに、カズヤにしつこく声が掛かったのは、データ解析の途中で精神樹の存在が見えてきたためであるようだ。
精神樹の周囲には高濃度の精神樹毒が漂っている。
その上、第三禍根を発生させるまで成長段階の進んだ精神樹の処理は複雑な手順を要するようになる。
そのため、精神樹の処理という仕事は一般の駆除業者や冒険者にとっては荷が重いのである。
国によっては、クリフォルートの伐採専門の花級冒険者育成を奨励するほどだ。
カズヤと副支部長という花級冒険者2枚体制で、より安全かつ迅速にクリフォルートを片付けたいというのが冒険者ギルド側の魂胆なわけである。
「クリフォルートの餌食となったシカを狙って大型の肉食獣が集うと聞いたし、護衛としてルークス殿と仲間たちにも協力してもらうつもりだ。君の相棒になる副支部長は金級資格所持者なので言うまでもなく強いしな。それに、君の仲間には、聖剣を持ったルークス殿でも勝てないという剣豪が居るのだろう?その御仁にも是非とも力添え願いたい処だが。」
どうやら、先日のソードテイルウルフ狩りの結果やルークスの話から、無道の存在も耳にしているようだ。
ただ、無道はまだ冒険者資格を持っていない非組合員なので、ギルドの規則に則った強引な招集に応じる必要がない。
だからこそ、友人であるカズヤを通して彼女を勧誘したいのだろう。
まあ、彼女ならば、カズヤが声を掛ければすぐに力を貸してくれそうであるが。
話し合いは暫く続けらられ、カズヤが気付いたときには、形式上自主的な参加という形で調査隊に協力することになってしまっていた。
彼にとっては少々不本意なことであったが、支部長から提示された報酬金は多すぎるのではないかというほどだった。
それに、物資も全て支部が持つということになったので強制に近い招集にも納得することにした。
なにより、この支部ではさほど依頼をこなしていないわりにやたら評価されている理由をなんとなく理解できたので、不信感が拭われたのが良かった。
話が纏まってからは情報交換を交えつつ和やかな談笑の時間だった。
和やかというのは冗談で、シリアスな空気の中でギルド・カズヤ・勇者パーティの間での方針の擦り合わせが行われていたわけであるが。
「あ、あのう…。」
その中で1人浮いていたシエルラが、ここにきて居心地悪そうに声を上げた。
「成り行きで付いてきてしまったものの、私がこの話を聞いていて良かったんでしょうか…?この作戦に関しては、私に出来る事は薬の提供ぐらいのものですが…。」
彼女は冒険者資格を持っているものの、100年も前の等級区分がない時代に成り行きで取ったものである。
いわば、ペーパー冒険者と言ったところか。
前衛、魔法使い、弓兵の3つの旧区分でいう所の魔法使い枠資格を持っているようだが、王都でカズヤを護衛として雇っていたように、魔法使いとしての戦闘能力に自信はないらしい。
そんな彼女がまさかこの危険な調査に付いていくことが出来るはずもない。
聞くべきではなかったであろう情報を聞いてしまったことでオドオドしているシエルラに対し、背の高いギルポン支部長は首を傾げた。
「ん?ああ、そういうことか。なんら問題ないよ。元より、君には回復役の依頼をするつもりだったし、作戦の概要を知っていれば準備規模も掴みやすいだろう。まあ後程、詳細な契約書と一緒にこちらから正確な納品数を提示させてもらうのだがね。」
どうやら、カズヤに声が掛かったのは彼の周りにいる無道とシエルラという優秀な人材を囲い込むという目的もあったようだ。
この町の憲兵団と冒険者ギルドは協力しているように見えるが、水面下では物資や人材獲得を狙った小競り合いをしているのかもしれない。
現在の事態を解決した立役者に、国から予算という名の報酬が出るのだろうから。
「それにな。」
支部長はさらに、ニヤリと口を歪ませながら爆弾を落とした。
「エヴィナリス嬢は、マシーナリー君の恋人なのだろう?危険な依頼に赴く彼の事情を知る権利があって然るべきさ!」




