4.女と祭りの気配
「た、助かりました…。」
溺れていた竜人の女性を、カズヤは救出することにしたのだった。
純人間の国の管理地区内にまで、敵国の民である亜人がやって来ているということは問題だ。
だが、それは軍人たちの怠慢が原因だ。
それに、いずれにせよ、カズヤはこの国を出ようと考えている。
純人間の国と亜人の国以外の国では、多少の差別こそあれ、両者は基本的に平等なのだと聞く。
「危ないところだったね。こんなところで何してたの?」
カズヤは竜人の女性に上着を被せながら語りかける。
彼女は緩慢な動きで、蛇のような下半身をその上着で覆った。
全長に対してあまりにも小さい後ろ足が隠れた。
彼女は問いかけに答えようとしてカズヤの顔を見ると、ぎくりと動きを止めた。
「もしかして、密入国?それとも密輸?ダメだよ。別に、憲兵さんに突き出したりしないから安心して。」
カズヤは自分のアイテムストレージから大きいタオルを取り出す。
そうして、火に当たっている竜人の女性の頭をふくのを手伝ってやる。
蛇もワニも竜も、変温動物なのだ。
「え、えっと。じ、実はそうなんです!亜人の国から出稼ぎに来てて…」
そうして、彼女は自分の身の上話を語りだした。
彼女の家系は、亜人の国の没落貴族だったらしい。
両親たちは貴族意識が抜けず、庶民的な金儲けなどできない。弟や妹がいるが、まだ幼く、仕事などさせられない。
つつましく生きていくことができるだけの資産は残っているが、使い続けていればどんどんなくなっていく。
結局、長女である彼女(シエルラという名らしい)が家計を支えているらしい。
「へー、苦労してんね。でも、これに懲りたらもうこの国に近づかないほうが良いよ。みんなが僕みたいな人間なわけではないからさ。」
カズヤはそう言って、おどけたように肩をすくめて見せた。
「…ご忠告、ありがとうございます。そうですよね…。私みたいな亜人が人間の国に近寄るなんて。」
シエルラという女性は、落ち込んだようにうなだれた。
その後、シエルラの体温が上がってくるまで、カズヤは世間話をしていた。
「あ、やべ!老師様が散歩に行ってたんだった!!シエルラさん、エビみたいな腰のお爺さん見なかった?」
カズヤは、依頼人のことをようやく思い出した。
「え、ええ。あ、あっちの方に歩いて行きましたよ。」
シエルラは、そう言って一方向を指さした。
「ほんと?!ありがとう!うちのクライアントなんだけど、その方向なら拠点に戻ったのかな?」
カズヤは、慌てて立ち上がる。
「その上着とタオルは適当に捨てといて!じゃあ、憲兵さんと魔物に気を付けて帰ってね!じゃ!」
これ以上自分がいてもしてやれることはないだろう。カズヤは、シエルラをそこに残して、駆け出した。
「あ、その、ありがとうございました!頑張って下さい!」
シエルラは、自分の危険な立場に気づいているのかいないのか。そんなのんきな返事を返した。
「危ないところでした…。」
後から、そんなつぶやきが聞こえたような気がした。
エビ老師は、先にテントに戻ってきていた。
彼は、薬研で何かを潰しながら、火の管理をしてくれていた。
「老師様、ご無事でしたか?」
『もしかして、探しに行ってくれてましたか?戻ってきたら、出ていく後ろ姿が見えたものですから。』
「な、なんだ。入れ違いだったんですね!すみませんでした。」
言葉と文字でやり取りした後、二人は朝食を食べ始めた。
煮詰まりすぎたスープは、正直おいしくなかった。
その後、しばらく採取の続きをした後、町に帰ることになった。
「シエルラさん、大丈夫だったかな…。」
カズヤは朝方出会った女性のことを思い出す。
別に、恋愛感情がわいたわけではないが、一人で頑張っている姿を自分に重ね合わせ、シンパシーを感じていた。
「…?老師様、どうかしましたか?」
カズヤがシエルラの名を出したとき、エビ老師が体をピクリと動かしたような気がした。
「実は、さっきシエルラさんっていう竜じ…女の人を助けたんです。」
カズヤは、シエルラの素性を伏せた上で、彼女を助けたことを老師に説明した。
老師は、何とも言えないような反応を示しながらそれを聞いていた。
「…というわけで、老師様もオキュートには十分気を付けてくださいね。この森にいらっしゃるときは特にですが。」
老師は、彼の言葉に対してあいまいに頷いた。
それから、エビ老師はたびたびカズヤを指名して依頼を発注した。
「ずいぶん気に入っていただいたみたいじゃないか。」
支部長が、ニヤリと笑いながらカズヤに行った。
「ええ。ありがたいことに。老師様とお話ししていると、僕も薬師に慣れそうな気持になってきますよ。」
カズヤは笑ってそう返した。
結局カズヤに振られた彼女は、今日も窓口で頬杖をついている。
今日は、エビ老師の診療外来の手伝いだ。
50年もの間、弟子も助手も取らなかった老師に目を掛けてもらっているカズヤは、王都でも有名になっていた。
ただ、そんな彼を妬んだのだろうか。
老師に弟子入りを志願して断られた者たちが、不穏な動きをしていると聞いた。
「…付けられてますね。」
カズヤは、老師の耳元でささやいた。
老師は苦々しそうに頷いた。
おそらくは例の志願者たちだろう。背後から複数の足音が聞こえる。
そんな非生産的なことをする暇があれば、薬学の勉強をしていればいいだろうに。
カズヤは少し警戒しつつ、人通りの多い道に出る。
噴水広場の前は、今日も活気にあふれている。
「オウオウオウ、兄ちゃんよう!」
ずいぶんテンプレじみた難癖の付け方だ。カズヤはそう思った。
振り向けば、チンピラの格好をした男たちが徒党を組んで立っている。
「何かご用でしょうか?生憎、これから油問屋のご主人の診察なんですよ。」
「(お、おい。油問屋の旦那だってよ。)」
「(こ、この辺の大商人じゃねえか…!)」
「(お、おい!何ビビってんだお前ら!?)」
本来、荒事は苦手なのだろうか?
ごつい体格をした男たちは、ひそひそと話し合っている。難癖をつけるなら、もっとシャキッとすればいいと思う。
「ご用がないようでしたら、失礼しますよ。」
さあ、行きましょう。
老師にそう言って、カズヤは歩き出した。
「お、おい!待てや!!」
チンピラ風の男たちは、彼らをなんとか呼び止めようとする。
「おい、邪魔だぜ!」
「通れねえじゃねえか!」
しかし、いつまでも突っ立っているものだから、市場の商人たちに怒られている。
彼らは、すごすごと解散していった。
それから一か月が過ぎた。
季節は初夏。祭りの季節だ。
花屋は花飾りを作るのに一生懸命だ。
踊りで使う華やかな衣装を店頭に並べた福屋は、ここがかき入れ時だ。
菓子屋の長男坊は、この時期の伝統的な飴(精巧な男性器の形をしている)を、道行く人に配っている。
美人にはにやにやしながら、不細工と野郎には真顔で。
「せめて、あの形じゃなければなぁ…。」
カズヤはそう呟いた。
菓子屋にニヤニヤ顔で飴を渡されていた元カノの受付嬢を連れて、彼は町をぶらぶらと歩いている。
エビ老師の仕事を受けるうちに名が知られ、貴族からも名指しで依頼を受けるようになった結果、ずいぶんと金が溜まってきた。
この調子でやっていけば、あと1年も頑張れば、この国を出ていける。
これがきっとこの国で最後の祭りになるだろう。
そう思うとなんだか感慨深い。
愛着なんてないと思っていたこの国だが、思い出だけはいくつも作ってきた。
「いて。」
歩き続けていたら、立ち止まっていた受付嬢にぶつかってしまった。
実際のところ、別に痛くはないが、反射的に痛いと言ってしまうアレだ。
足を踏まれて反射的に痛いと言ってしまうアレといっしょだ。
「ちょっとアンタ達、何の用よ?」
受付嬢が、苛立った声を上げる。
「嬢ちゃん、どきな。俺らぁ、アンタの後ろの坊主に用があんだ。」
彼女の前で道を塞ぐのは、いつぞやのチンピラ風の男たち。
彼らはあれから何度も突っかかってきたが、カズヤは腐っていても銅級冒険者。
町人ごときの相手は朝飯前だったのだ。
しかし、今日のチンピラ達は話が違った。
それぞれが剣やナイフ、ハンマー、鋤といった武器で武装している。
対してこちらは丸腰。加えて、受付嬢を庇いながら、となると、かなり分が悪い。
「…またアンタらか。なにか用ですかね?」
受付嬢を下がらせながら、カズヤはチンピラ達をにらみつける。
市場の人々は、不穏な空気に身構えている。
肉屋の店主がこっそり抜け出して、憲兵を呼びに行った。
「話は聞いてやるから、道を塞ぐのをやめてくれませんかね?ここは人が多すぎると思うんだけど。」
カズヤの申し出に、男たちは顔を見合わせてニヤリと笑った。
結論から言うと、男たちは、老師に付け入る方法を求めていたらしい。
カズヤは、彼らにエビ老師と出会った経緯を語った。
「…それで、その採取任務で知り合ったんだよ。あんたらも、花級資格でも取ってみればいいんじゃないか?」
「馬鹿にしているのか!?」
どうやら、この回答は満足してもらえなかったらしい。
男たちは、険悪な雰囲気をますます強めている。
早く憲兵が来ればいいな、カズヤはそう願った。
人通りの少ない場所に彼らを移動させたわけだが、ついてくる野次馬たちは当然いるわけである。
チンピラ達は臆病な者の集まりだ。人の目があれば手出しはしづらいのだろう。
けん制しているようで腰が引けているのが、素人目にもよくわかる。
結局のところ、目的は憲兵が来るまでの時間稼ぎでしかない。
「(しかし、これはまずいな…)」
どんどんとチンピラ達がイラついてきている。
怪我はしたくないし、させたくもない。
せっかく金が溜まってきたのだ。治療費も慰謝料も払いたくない。
そんな中、一人の男が動いた。
「道を開けろ、憲兵だ!」
大声を上げて、野次馬たちをかき分けながら、大柄な男が出てきた。
「お、おい!もう来やがったぞ!」
慌てだす男たち。
「よかった。どうやら血が流れずに済んだ。」
安心する人々。
しかしその中で、カズヤは眉を潜めた。