35.灰色のおじさん
「…と謂う訳次第に御座いますれば、滅亡した古龍族の末裔は、今や純粋なる真人へと姿形を変えまして、その宿命を継いでいると謂う事情に相成って居りまする。もしも拙僧らの拙き語りに、おぜぜ一枚の意味でも見出して頂けたので御座いましたら、その有難きお心こそが我らの糧と相成りまする。代わりと言いましては何ですが、是非、是非とも、拙僧どもの礼拝堂までお訪ね下さりませ。さて、続きますは、全ての亜人の罪とそれをお許しになった神竜のお話…」
頭を丸めた噺家の集団が市民相手に公園で物語を語っていた。
用事を終えて暇を持て余していたカズヤとシエルラは何となく聴衆たちの輪の外縁部に混じって話を聞いていたのであった。
途中までは有名な『騎士の国』の伝承を元にした、愉快で痛快な冒険譚が繰り広げられていた。
純人間の国でも人気のあった魔剣の騎士の飛竜退治の物語に、ほんの少しのスパイスとばかりに付け加えられた宗教的観点からの注釈はなかなかに皮肉が効いていて興味深かった。
ところが、冒険譚が一区切りした辺りから話の流れが途中から少しずつおかしくなっていったのである。
噺家たちはこの冒険譚の主人公、魔剣の騎士の人種は純人間であったということをやたら強調し始めたのだ。
そして、そこからさらに妙な方向に発展していき、純人間がいかに多人種よりも純粋で優秀な種族なのかという話になっていった。
港町に住む亜人の子どもたちが、何となく貶されていることに気付き始めた頃、噺家たちは奇妙なロゴの入った灰色の旗を掲げ始めたのである。
「シエルラさん、行きましょう。」
噺家、否、宗教家たちの正体をようやく思い出したカズヤ。
彼は、不快さを眉に滲ませるシエルラの手を引いてその場を後にしたのだった。
「丁度、10年ぐらい前だったかな。僕の実家あたりの土地を治めてた貴族家が取り潰しになったんですよね。」
宗教勧誘の場と化した公園を去った二人は、冒険者ギルド支部の中に備えられた休憩所に座っていた。
一般市民も利用できる休憩所は、ちょっとした食堂のようになっている。
調理を行うのはプロの料理人ではなく支部のスタッフなので、レストランほどの味は期待できない。
だが、料理の価格が安く、冒険者たちが採取・狩猟してきたばかりの新鮮な食材が回されるので品質は保証されている。
小腹を満たしたいときや、ちょっと友人と話しながら休憩したい時には丁度いいのだ。
「10年前…、というとバルザック子爵家でしたか?そうすると、カズヤ君の出身は公爵領…?」
冷たい果実ジュースを嘗めていたシエルラが、少し目を輝かせながら恐る恐る聞いてきた。
宗教家たちの話を聞いて少し落ち込んでいた様子の彼女を元気づけるために始めた話だった。
だが、あまり触れたくない実家の話に興味を持たれてしまった。
話し始めた手前、こちらから始めた話を止めるというのも気まずい。
仕方がないので、カズヤは微妙に誤魔化しながら話を続けることにした。
「うーん。まあ、そんなところですね。現公爵領の外れの森に一番近いワイン農家でしたよ。子爵家が潰れたのは僕が出てった後なので、件のクーデターの様子を見ていたわけではありませんが。」
カズヤは両手を軽く上げながら肩を竦めて見せた。
バルザック子爵家に起きたクーデターは、当時の王国で大きな波乱を引き起こした。
事件の内容自体は王国史の中でもさほど珍しいものでもなかった。
重税で農民を苦しめていた悪徳貴族のバルザック子爵家が、現地の住民による謀反と王命を受けた公爵家の兵によって滅びたという単純なお話だ。
だが、貴族家が取り潰しになるという事例はここ数100年の間無かった。
それに、公爵家はバルザック子爵家の一族郎党を、当時10歳だった末娘や家に仕える従者たちまでに至るまで皆殺しにした。
これは明らかに異例の事態である。
それゆえに、王が腐敗した貴族家に対する変革を目論んでいるのではないか、などと様々な学者たちが大袈裟に警鐘を鳴らしたものである。
また、戦果に巻き込まれては大変だ、と国民たちが起こした行動は社会現象になった。
しかしながら、王はバルザック子爵家を取り潰しただけで不穏な動きを止めたのである。
それはそれでまた別の陰謀を産み、社会現象を引き起こすことになったのだが今は特に関係ない。
「思い出してきました…。寝る間も惜しんで公爵領に送る分の傷薬をたくさん作ったんです。あの時はお肌が荒れて荒れて……。」
暗い瞳で机の木目を見つめるシエルラ。
今日も寝ぐせが跳ねていたりとあまり美容に気を使っているような素振りを見せないのだが、意外にも気になるものは気になるらしい。
ただ、そのつやつやたまご肌はワタシから見ても羨ましいとしか言いようがない。
「もしかしてシエルラさんがよく昼寝してるのってそういう…?」
「それ以上言うと、脊椎が歪むことになりますよ?」
机の下から聞こえてくる風切り音に背筋を凍らせつつ、カズヤは話を元に戻すことにした。
「えっとね、その反乱の時に公爵家と一緒になって裏で糸を引いてた宗教組織があったんですよ。」
「ははあ、なるほど。」
ここまで言えばなんとなくお分かり頂けるだろうか。
子爵家が掃討され、残されたバルザック城には公爵が直ちに移り住んだ。
その時子爵家を称える旗がたなびいていた旗立てには、公爵家の赤い旗だけではなく、灰色の見慣れぬ旗が掲げられていたのである。
これは補足。
王家が子爵家を潰すことにした理由は、領民を重税で苦しめたこと、その税収で国家転覆を企んでいると考えたこと、そしてもう一つ。
禁止されている亜人との交流の現場を取り押さえたことである。
亜人排斥傾向にある王国と、純人間昇陽を教義とする灰色の教団。
王国からすればぽっと出で勢いのある彼らは邪魔なバルザック子爵家を潰すための体のいい手駒となり得た。
一方で当時新興宗教に過ぎなかった灰色の教団からすれば名を上げる丁度いい機会となったわけである。
「まあ結局、灰色の教団はほぼ詐欺師集団だったわけで、公爵家が子爵家を正式に受け継いだ2週間後に潰されることになったんですけどね。」
怪しさ満点の宗教団体は王家ら中央政府の次の獲物だったようだ。
熱烈な宗教勧誘を行う裏で灰色の教団には黒い噂に付きまとわれていた。
酒、賭博、女。
金に困れば錦旗を振りかざして信者たちを恫喝。
白昼堂々とそんなふうに生臭坊主を行っていたところで彼らは纏めてしょっ引かれてしまったのだ。
「待って下さい。仕事柄、王様とは親しかったはずなんですが、そんな宗教があっただなんて初耳なんですけど…」
しかし、ちょうどその時期王都の自宅で引っ込んでいたシエルラは彼らの宗教勧誘に遭遇した事が無かった。
「そりゃまあ、今でもその話に関して箝口令が敷かれてますからね。王都でこの話を堂々してたら怖いおじさんたちに連れてかれて即日処刑ですよ。ははは。」
「そんな危ない話を雑談交じりに話さないで下さい!!!!」
びたーん。
地面を叩く尻尾の音。
思わず周囲の客たちがこちらを振り向いてくる。
「ここは王国じゃないので、何話そうが自由ですよ。だから、ふくらはぎを締め付けるのをやめてくださいよ。割と痛い。」
カズヤの右足は、シエルラの逞しい尻尾に巻き付かれてしまったのだ。
「…すみません。やりすぎました。」
「やっと離してくれた。ともかく、そんな胡散臭いお坊さんたちがまた力を取り戻してきてるみたいですね。シエルラさんも、食い物にされないように気を付けてください。」
王都で処刑された教団の残党なのか、同じ教義を掲げる別の集団なのか。
詳細は分からないが教義が教義なだけに竜人のシエルラは警戒が必要だろう。
そんな心配の込められたカズヤの言葉に、シエルラは少し照れながらこう返した。
「いやあ、私ってば純粋な女のコなので、コロっと騙されちゃうかもしれませんねえ。カズヤ君、ちゃんと守って下さいね?」
「そうですねー…ってあれ?ブドウさんとジズさんだ。」
妙な流れになってきた話を断ち切ろうと視線を外したカズヤは、視界の端に無道とジゼルの姿を認めた。
彼女らはクエストボードに貼られた1枚の依頼表を眺めているようだ。
ちょうど陰になっていて内容までは見えないが、2人と同じ依頼表を眺める者が何人か見える。
どうやら、人気の高い依頼のようだ。
ところで、無道は冒険者資格を持っていないし、ジゼルは冒険者を引退しているので資格を返納している。
2人とも冒険者として依頼を受注することは出来ないはずなのだが、どうしてクエストボードなんぞを眺めているのだろうか?
「おーい、ブドウちゃーん。ジズちゃーん。」
そんな2人に向かってシエルラが手を振った。
手を振るシエルラにようやく気付いた無道とジゼルは、カズヤとシエルラの座る席の傍へと歩み寄ってきた。
むしろ、今まで白髪に巨大な片角が目立つシエルラに2人が気付いていなかったことが不思議である。
挨拶も無しに目を輝かせながらカズヤの手を取った無道。
「カズヤ、仕事をしませんか?」
彼女は開口一番、脈絡もなくそんなことを言った。
「な、なんなんだいきなり…。どういう事です?」
脈絡のない言葉に思わず面食らうカズヤ。
彼は助けと説明を求めてジゼルの方へと顔を向けた。
彼に同情するように首を振ったジゼルは、事の経緯を語り始めた。
「ほら、ギルドの制度で『銅級以上の冒険者は自己責任で依頼者以外の資格非所持者を同伴して依頼に行くことが出来るよーん』みたいなのがあったでしょ?ブドウはキミに連れてってほしいクエストがあるんだってさ。」
「…あー…。『よーん。』は知りませんけど。そういえばそんなんあったなぁ…。」
無道とは対照的にやる気のなさそうなジゼルの話によると、無道は修繕された滄溟を振るいたくて仕方がないということらしい。
そう言われて見れば、無道の腰には流麗な黒い鞘に納められた北方刀が下げられている。
シンプルだが実用性の高そうな柄が輝いているその刀こそが修理された滄溟なのだろう。
さて、2人は仕上がったばかりの滄溟を受け取った後、装飾工房で魔石人形相手に試し斬りをしていたらしい。
斬っているうちにもう少し実践的な相手(傍点)を斬りたくなってきたようだ。
何とも物騒な話だが、真剣を使った模擬戦で怪我人を出すわけにもいかない。
…むしろ、怪我人程度で済めば儲けものだが。
ともかく、木刀での試合だったとはいえ、勇者を軽くあしらった無道を相手取って模擬戦をこなせる者などそうすぐに見つけられるものでもない。
かといって、何がいるのか分からない異国の地の森の中へと素人二人で入って行くわけにもいかない。
この辺りの森林地帯への出入りは自由だとはいえ、そこで怪我をしても自己責任なのだから。
結局、冒険者ギルドでクエストボードの依頼表を参考にしつつ、安全そうな魔物を相手にしようという事になったらしい。
だが、依頼表を見ている途中で、ジゼルが件の制度の話をしたらしい。
さらにその直後、無道が興味を引かれる依頼に気付いたようだ。
極めつけに、シエルラが彼女ら2人に向かって手を振った。
無道がシエルラの正面に座るカズヤに気付いた結果、現状に至るというわけである。
「うん。とりあえず依頼表を見てみるといいよ。出来ることなら、お姉さんはご一緒したくない類のクエストだけどね。」
ジゼルはそう言うと、よっこいせ、という年寄り臭い掛け声とともにカズヤの隣の席に腰かけた。
◆ ◆ ◆
青々とした梢の隙間から、帯のような光が漏れてくる。
林冠が意外にも隙間だらけなのは、港町や近隣の集落の住民が枝打ちしているからに他ならない。
歪みを少なくして真っ直ぐに育てられた木々は、港町の隣にある船職人の町・ネクストポートで船を造る材木として利用されるのだ。
ここはそんな『船を育てる森』。
今日もあちこちから、育て上げられた大樹を斧で伐る音が響いてくる。
「船が作れない工房もあるのに、木を伐るのはやめないんですね。」
足取りも軽く、器用に松葉杖で木の根を避けながら歩く無道がそう言った。
絶賛謎の海魔と予言の子の買い占めに苦しませられている隣町では、一時的に造船作業を停止することになっているらしい。
とはいえ、実際には大きな工房は既に予言の子から瓶入り傷薬を買い取って作業を再開しているようだ。
それに対し、小さな工房はランニングコスト削減のために半ば形骸化したルールを順守しているのだ。
「そりゃそうだよ。材木にするためには切った木を乾かさなきゃいけないんだから。」
なし崩し的に無道の頼みを受け入れたカズヤが、なにか珍しいものが落ちていないかと地面を見ながら答えた。
なんだかんだ言っても彼の本業は冒険者だ。
リアラの木を調べる依頼で多少は潤っていたものの、旅をするならば貯金が有るに越したことはない。
無道の見つけてきた依頼はそれなりに割りがいい魔物討伐依頼だったし、人数制限もなかったので同業者に恨まれるようなこともなさそうだ。
こんないい仕事を捨て置くというのも勿体ない話だ。
「うーん、清純な空気!帰りたい!」
そしてカズヤと同じくなし崩し的に付いてくることになったジゼル。
彼女は、無道に余計なことを吹き込んだため、その責任とばかりに任務に引っ張り出されたのだった。
怪我で引退したとはいえ、元銀級冒険者。
戦力として期待できるはずなのだが、どうも元気がないように見え、頼りにならなさそうだ。
「ああ、ちょっと楽しそうとか思ってしまった自分を恨みたい…。シエちゃんと一緒に商品の手入れをしてる方がよっぽど良かった…。」
シエルラはジゼルのぼやくように船室で行商の準備をしているので留守番である。
無道の次ぐらいに森に行きたがっていた彼女がジゼルの代わりに留守番になったのはなんとも気の毒な話である。
さて、そんな3人の討伐目標となる魔物は、近くの山から降りてきたソードテイルウルフという名前の狼の一種である。
名前の通り、尾が硬くて鋭い毛皮に覆われていて刀剣のようになっている獣だ。
まあ、硬いとは言ってもさすがに金属製の武器に匹敵するほどの硬度はない。
ただ、硬い野生動物の毛皮や肉を断つことが出来る程度には鋭利で危険だ。
そんな上位捕食者であり群れを成して生活しているはずの彼らが、何かに追われているかのように散り散りになって森の中をうろついているのだ。
タイミングがタイミングなだけに、明らかに隣町の一件と何らかの関係がありそうなものである。
その上、ソードテイルウルフの他にも山から逃げ出すように何種類かの魔物が降りてきているようである。
果たして、山で一体何が起こっているのだろうか?
「お、アレですね。」
木々の少し開けた場所があった。
日光のよく当たるその場所には、大きな切り株が1つ残されていた。
幹を切り株の脇からは新たに枝が伸びていて、再び生命としての営みを始めたようだ。
切り株の根元にはヨコアナウサギが巣を掘っている。
本来なら枯れ枝で封じられているはずの巣穴の入り口は、しかしながら掘り広げられて、間抜けに口を開いているかのようだ。
安全なはずの巣の中で親兎の帰りを待っていた子兎は、残念ながら巣の外へと引っ張り出されてしまったのだろう。
哀れな子兎の腹の中に長い鼻面を突っ込んでいるその魔物こそが、今回のターゲット、ソードテイルウルフである。
ソードテイルウルフは腹が減っているのか、3人の近づく気配を気にも留めず、一心不乱に子兎を貪っている。
「おお、本当に尻尾が刀身みたいな形をしていますね!カズヤ、さっそく戦ってみてもいいでしょうか?」
ヒソヒソ声の中に期待を滲ませている無道は、刀の柄に手を当てて今にも飛び出そうとしている。
「まあまあ、一旦待って下さい。ブドウさん、剣で狼と戦った経験は無いんでしょ?対人戦とは大分違うので、とりあえずジズさんの動きを見ていてください。」
カズヤはそう言うと、アイテムストレージから取り出した直剣の予備をジゼルに手渡した。
「えぇ…、なんでお姉さん?そこはカズヤさんがカッコいいところを見せるシーンでしょ?しかも、お姉さんは剣で戦うのは苦手なんだよ…。」
ジゼルはそう言うと、物凄く嫌そうな顔で差し出された直剣を押し返した。
その際の手が妙に震えていたことから察するに、ソードテイルウルフまたは狼系の魔物に何か悪い印象があるのだろうか。
「…話しながら戦うのって苦手なんですよね。」
なんとなく事情を察したカズヤは、予備の直剣を再び仕舞うと、自分の直剣を構えて、食事に夢中なソードテイルウルフへと忍び寄った。




