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(旧)阿呆の旅路と司書  作者: 野山橘
1章 旅路
35/43

34. 治癒藻

 町の役所で行商申請を行ったカズヤとシエルラは、薬を寄付するために憲兵団の本部に来ていた。


 役所ではどうやら職員たちが総出で隣町の件について情報収集を行っていたらしい。

 書類が却下されることはなかったが、商業許可を下ろすための確認作業に割ける人員が足りていない様子だ。

 『審査結果は3日以内に郵送するので今日は待ってほしい』という回答を得た二人は、どうせ憲兵団も同様の事態に陥っているのではないかと予想していた。


 まあ、その予想が的中していたと言うべきか。


 町行く人々の混沌は昨日の今日で秩序のもとにねじ伏せられてしまっていた。

 だが、今度は秩序を作り出した憲兵団たちが隣町の事態に対処するために混沌めいていた。


 隣町の事件との関連性はともかく、昨日の水牛事件と同様の事が起きないように警戒する必要がある。

 そのため、近隣の森林や河川付近での異常の確認、港町内部の警備といった作業に多くの憲兵たちが駆り出されていた。


 それに、ある程度落ち着いたとはいえ、相変わらず事情を問い合わせにやって来る住民たちが少なからずいるのである。

 そう多くはない事務員や倉庫の管理者といった非戦闘員たちの顔にも疲れは色濃く表れていたのだった。


 そんなわけで、休憩する間もなく市民の対応をしていたためか、2人に対応した係員は非常に苛立っている様子であった。

 鋭い目つきでやってきたカズヤとシエルラを睨みながら、もはや常套句となりつつある「情報が開示されるまでお待ちください」というセリフを吐こうとしたのだ。


 だが、カズヤが差し出した薄紫のカード(用件が寄付金及び物資寄付申請であることを示すカード)とシエルラの持つ薬瓶で膨らんだ袋を見た彼は、すぐさまその態度を軟化させた。


「ご用件は別室で伺います。おーい、ディシ。市民への説明(クレーマーたいおう)は任せた!」

 後ろの方で忙しそうに書類を整理していた小人族に仕事を放り投げた職員は、駆け足気味にカズヤとシエルラを誘ったのだった。



 さて、101室と書かれたプレートの下がる部屋へと案内されたカズヤとシエルラ。


 2人に対応した職員の男(ディアという名前らしい)は、先ほどの様子とはうってかわったにこやかな笑顔で薬瓶の寄贈手続きを説明した。


 薬が必要になっているというシエルラの予想はおおよそ当たっていたわけであるが、ここまでの歓待を受けることになるとは思っていなかったらしい。


 どうやら、ピンポイントに傷薬の在庫状況が切迫しているようなのだ。


「そんなに薬が足りなくなることってあり得るんでしょうか。隣町にも薬局や病院はあるでしょう?怪我人が大勢出たとはいえ、こんなすぐに傷薬が枯渇するとは思えないんだけど…。」

 ディア氏が茶を汲みに行ったタイミングで、カズヤはシエルラに問いかけた。


 問いかけられたシエルラは、カズヤのアイテムストレージから延々と出てくる薬瓶を机上に並べながらこう答えた。

「多分、元々保存の効く薬をあまり置いていなかったんだと思います。確か、この辺りではチユモという海藻の新鮮なものを主原料にして膏薬にするのだと読んだことがあります。」


 シエルラの説明が少しばかり長くなるので要点だけをかいつまんで記しておこう。


 新鮮な材料で効果の高い薬を作ることのできる町だからこそ生じた問題なのである。


 隣町はこの港町と同様に海に面した町である。

 しかしながら、こちらの町が様々な船が休む『港町』であれば向こうは船を生み出す『船職人の町』といった感じなのだ。

 そして、隣町の船大工たちの仕事には生傷が付きものなのである。

 というのも、隣町の職人たちは魔石技術が発達したこの時代に、あえて完全手作業にこだわっているのだ。

 そして、そうありながらも町を寂れさせない程度の利益を生み出しているのである。


 彼らの仕事ぶりを支えているのが、チユモから作られる膏薬なのだ。

 一見すれば人とは思えない、()()()()の動きで瞬く間に造船していく職人たちの姿を、誰が始めに言い出したのか、それとも彼ら自から名乗り出したのか、“職鬼”と呼ぶのだという。

 実際、造船用魔石機械の作業精度が上がってきたとはいえ、熟練の職人の腕には敵わない。

 独創的な細かい装飾も、量産品にはない価値あるものだ。

 職鬼一人一人の作品に現れるクセは一種の性能に関する保証書、言い換えるならばブランドとして信頼されてきた。


 しかしながら、良い品には人が集まる。

 領地外の貴族たちがこぞって注文しにくるし、通信技術の発達により口コミで海外需要も増加してきている。

 職鬼たちは仕事に遅れを出さないためにますます無理な働きをするようになるし、それにつれてますますチユモの膏薬に依存するようになっていく。

 チユモの消費量は船の需要と比例して増加しており、10年前と比べると約8倍近くにまで膨れ上がったというデータも出ている。


 まあ当然の結果なのだが、高まった需要による採取圧で岸側のチユモ場はどんどん沖へと後退していってしまったのだ。


 また、当たり前のことではあるが、海というものは沖に行くほど深くなっているものである。

 本来浅場で生育するはずのチユモだが、多少の深場でもある程度の生育は出来る。

 しかし、深場に追いやられることで十分な光合成を行うことが出来なくなるのだ。

 その結果、採取されるチユモの質は低下してきており、十分な効果のある膏薬を作るために使用される原料の量も増加している。


 今回の薬不足の背景にはこんな事情があったのである。


「…それに、あまり考えたくはない事なのですが、空気の読めない人たちが薬を買い占めてしまったのではないでしょうか。」

 シエルラは、曇った表情でそう付け加えた。


「いやはや…。隣町のことながらお恥ずかしいことで。まさにおっしゃる通りでしてな。」

 と、そんな話をしているうちに臨時係員のディア氏が戻ってきた。


 盆の上の2つのティーカップをそれぞれ2人の前に置いた彼は、腰を痛そうにさすりながら席に着いた。


「おおよそはエヴィナリス殿のおっしゃる通りです。ただ、少しばかり違っているようでしてな。というのも、因果関係が逆のようです。」

 腰を落ち着かせたディア氏は、自分用のマグカップを傾けて一呼吸置いた後、隣町ネクストポートに住まう一人の長者の話を始めた。


 ネクストポートの町には、とある金持ちが暮らしている。

 町で二番目に高い建物である灯台に住まう彼は、不思議な雰囲気を纏った、不可思議な力を持つ、齢13の少年だ。


 彼はどうやら予知能力を持っているらしく、昔から自分の身の回りに起こる未来の出来事を言い当ててきたのだという。


 彼の住まう灯台に備えられた高級な調度品が、全て彼が株式で儲けた金や宝くじに当たって得られた賞金によって揃えられたものだと言えば、その予知能力のすごさがよくわかるのではないだろうか。


「ところで、もしかしてその子、インナーカラーだったりしません?」

 胡散臭そうに聞いていたカズヤが、ディア氏の話に茶々を入れた。


 どうやらその茶々が的中したらしく、目を丸くしながらディア氏は答えた。

「いかにも、予言の子ノストルの髪色は北方の海色の内にサクラサンゴの桃色。…もしや、この辺りにいらっしゃったことがおありで?」


「いやあ、実は僕もちょっとした預言者なんですよー、…なんてね。冗談ですよ。…その、うちにもインナーカラーの優秀な人材がいるもんですから。ブドウさんって言うんですけどね。……えっと。それで、その予言者くんが何をしでかしたんでしょうか。」

 肩を竦めながらそう言ったカズヤは、冗談が滑った時特有の生温かい空気感を誤魔化すために茶髪を掻いた。

 そうして話の続きを促した。


 釈然としない何かを感じながらもディア氏は、同じような雰囲気のシエルラと、何かを誤魔化したカズヤのために話を続けることにしたのだった。


「ええ、ご想像の通り。今回の件が起こる大体1月前、ですかな…?その頃から、予言の子はネクストポートや近隣の村の傷薬を買い漁り始めていたようなのです。こんなことが起こるまでは『金にならない古い在庫を買って富を回してやっている』などと御大層なことを語っていたと報告されております。今となってはこんな状況になることを予知しての行動だったとしか考えられませんがな…。」


 予言とは、何らかの形でもたらされたこれから先の未来の形を、()め誰かに()うということである。

 何者かによって知らされた未来の形を誰にも言わなければ、それは未来視か予知である。


 要するに今回は、予言者が予言しなかった、という話である。


「薬瓶の中に封入された薬というのはなかなか劣化しないものでしてな。ただ、劣化が遅い分作る際になかなかの手間がかかるそうなのです。だからこそ、多少値が張るという理屈なのですが…っと、これ以上はエヴィナリス殿にとっては竜に託宣といった感じですな。」


 竜に託宣、要するに、神であるドラゴンに導きを与えるという比喩であり、専門家に畑のことを語るという意味のことわざである。

 竜人のシエルラにこの言葉を使うというのは言い得て妙である。


「確かに。この辺りで使われている保存薬が何であるかはさておき、どれにしても生成に時間が掛かる物です。」

 シエルラはディア氏の言葉を肯定した。


「なるほど。予言者くんは買い占めた高価な薬瓶の値段をさらに引き上げて、原価との差額で儲ける心づもりなんですか。いやあ…、予言者というよりも転売者ですね。」

 予言者の所業に呆れたようにカズヤはそんな相槌を打った。


「薬剤の転売に関する規制が行われている国家も少なくはないようですが、残念なことに我が国では傷薬程度に関しては特に罰則も定められていないもので。なにぶん、この辺りで傷薬と言えば誰でも作れる民間薬頼りでしたからなぁ…。」


 簡単に用意できて、かつ効果の高いチユモ。

 勿論、さすがにプロである薬師による調合と素人である民間人の調合では効力に差が出るものだ。

 だが、この生薬はあくまで民間薬である。

 非科学的ではあっても合理的に洗練されていった、家ごとの調合方法が口伝で伝わっている。

 求めている薬効を自分たちで作ることが出来るので、材料さえあれば船職人やその家族たちが自由勝手に作って使用するのである。


 まあ、今は謎の魔物を警戒しているため、船が出せない状態にあるのだが。

 チユモを取りに沖へと向かう船が無いので、膏薬を作る材料がそもそもない。


 結果、彼らに残されたのは、予言の子が買い占めた高価な保存薬入りの薬瓶を買うという道だけだ。


 船職人たちは船の需要で潤ってはいるが、貴族や商人ではない。大金を持つことに関しては慣れていない。

 宵越しの金は持たぬと言わんばかりに様々な方法で浪費していくものだから、材料費や人件費といった仕事用以外の貯金なんてものが碌に手元にないのである。


 金を儲けるためには仕事をしなければならないが、彼らの仕事には傷が絶えない。

 しかし、これまで頼りにしていたチユモは、漁師達が動かない限り流通量が激減する。

 漁師に金を握らせようにも、なまじ職人魂が根付いているだけに、仕事の経費には手を付けられない。

 担保に出来る物は彼らの自慢の工房か商品の船だ。だが、それを手放すこともできない。


 そうなれば、彼らは予言の子に借金をする形で薬瓶を買うしかなくなるだろう。

 なんせ、仕事の速さがウリの職鬼が効率を落とすわけにはいかないのだから。


 予言者ノストルにどんな意図があるのかは不明だが、本件を通じて彼はますますの財力、そして権力を付けていくことになるだろう。


「予言の子は予てより自分の配下を欲していたと聞き及んでおりますからな。今まで通り“予言者”をやっていれば勝手に信者たちが集まってきたでしょうに。」

 どうやらディア氏ら憲兵団は、これらのことから予言者が国家転覆を企んでいるのではないかと睨んでいるようだ。

 田舎町ネクストポートで権力を得ることが国家転覆の足掛かりへとなり得るかということはともかく、予言の子がこのような動きを取っていること自体が治安維持組織である憲兵団の気に障っているようだ。


 なんせ相手は予言者。

 これから起こることを見据えて、自分に有利な行動を取り続けるに違いない。


 ずっと静かだったシエルラは、予言者ノストル少年の所業に怒りを感じていたのだろうか。


 黙りこくって何かを考えていた彼女は、寄付品納品書の『傷薬50ml:50本』の『50本』という数字に二重線を入れた。


 そして、その上に『100個』と書き直した。


 ◆


「なんか、物凄いことになってたみたいですね。」

 遠くに予言者ノストルの住む灯台を眺めながらカズヤが言った。


 彼とシエルラの二人は、憲兵団での用事を終えた後、昼食がてらカフェで休憩していた。


 海沿いに建てられた古民家を改造して作られたカフェで、エクヴァレという白身魚を使ったフィッシュフライが名物だ。


「陰謀論ってどこからともなく湧いてくるくせに、無視をするには大きすぎたりしますからねえ。まあ、何事もなかったら良いんですけど…。」

 カズヤの向かいに座るシエルラは、そう言うと名物であるフィッシュフライを挟んだバンズを乱暴に齧った。


 ザクザクという、衣と葉野菜による2種類の音が小さな店内に心地よく響いた。


 ちなみに、先ほど憲兵団本部で聞いた予言の子に関する情報は、一応、表向きにはまだ非公開という事になっているらしい。


 口を滑らせてしまったディア氏が誰にも言うなと頼み込んで来たが、元より二人とも確証のない噂を広めるようなつもりもなければアテもない。


 だが、店員が二人の話を聞いていないとも限らないので、ボカしながら話のネタぐらいにしたのである。


「それにしても、チユモか。なんか懐かしいな。」

 カズヤが沖を行く船を眺めながらそう呟いた。

 船の形から察するに、商船だろうか。

 おおかた、隣町で起こっている事件に関する通信が入って引き返している所なのだろう。


「確か、僕が花級冒険者資格を取った検定の最終問題が藍藻類に関する記述問題だったんですよね。ガンペキクラゲみたいな陸生藍藻とチユモって実はわりと近縁なんですよ。」


「へー…。ガンペキクラゲって外国では高級食材なんでしょう?美味しいんでしょうか。」


「さあ?食べたことがないので何とも…。」


 そんなとりとめのない話をしつつも、食事は進んで行く。


「チユモが藍藻類ということは、近縁種に同じような治癒促進作用のある種があったりするんでしょうか?」

 シエルラは薬師だが植物学者ではない。


 趣味の読書でそれなりの知識を持ってはいるが、細かい分類や薬効植物の分布を把握しているわけではない。


 だからこそ彼女は、豊富な知識を持つカズヤと仲良くしているのだろう。


「不思議なことに、治癒能力があるのはチユモ一種だけなんですよ。亜種変種に至るまで、チユモ本種からちょっとでも離れたら効果がなくなるんです。ただ、チユモと同じようなメカニズムで治癒力を高めるシダ類があってね。」

「へー。この辺には生えてないんでしょうか。」

「文化的な背景は分かんないけど、ずっとチユモばかりが使われてきたということは無いということなんじゃないでしょうか。まあ、探してみないことには何とも言えませんが…。」

 歯切れの悪いカズヤが脳内に思い浮かべたシダ植物は、大陸内では発見されていない高山植物だ。


 そのシダ植物のような代替品が見つかるか、もしくは別の方式の治療法が定着するか、はたまた船大工たちが現在の働き方を変えるか。

 いずれかの対策を取らない限り、ネクストポートの町は苦難することになるだろう。


 それこそ、予言の子が容易く掌握してしまうぐらいには。

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