32.不味いサンドイッチ
ベッドにうつ伏せになったまま図鑑を調べ終えたカズヤは、そのまま眠りに落ちかけるのと目を覚ましかけるのを行ったり来たりしていた。
夢枕には久しく会っていないドラゴンゾンビが立っていて、こちらに向かって手招きしている姿が見える…気がする。腐ったドラゴンの死体の姿で。めっちゃでかい。部屋に収まっているのがおかしいぐらいでかい。
そういえば最近、疲れることが多くて夢を見ないぐらい熟睡することが多いなぁ。
カズヤは重たくなっていく瞼に意識を任せて、目を閉じながらそんなことを思った。
肉体と精神がだんだんと乖離していく。
抜け殻となった肉体から、真っ暗なところへと零れ落ちるように落下していく精神。
このまま深淵の底まで落ち切ってしまえば熟睡だ。
だが、そんな漂うように落ちていくカズヤの魂を、白骨じみた髪をした乙女の双腕が抱きとめる。
…。
………。
………………。
「おはよ。」
夢の中でカズヤは目を覚ました。
彼は目覚めの挨拶を枕元に立つ人物に投げかける。
「え、どこここ。」
白髪の合間から逞しい3本角を覗かせ、肉が腐り落ちて骨だけになった尻尾をお尻から垂らした美女・ドラゴンゾンビのフローラルが、困惑した様子で辺りを見渡した。
2人…否、1人と1柱は、見慣れない部屋の中にいた。
広さ3メートル四方ぐらいの小さな部屋だ。
板張りの壁には、丸い時計と暦が飾られている。
床には、草で作られたマットのようなものが敷き詰められている。
本棚には見慣れぬ文字で書かれたカラフルな背表紙の本が幾つか並んでおり、紙の表紙なのにまるでニスを塗ったかのようにてらてら光っている。
窓の傍には座卓が置かれており、その上に銀色の円筒が不安定に積み重ねられている。
部屋の角に畳まれているのは敷布団だろうか。
そのすぐ隣には、中央に丸い穴が開いたヒョウタンのような形をした箱に、板を張り付けたり金属線を掛けたようなよくわからないものが埃をかぶっている。
「なんだこれ。」
部屋を見渡したカズヤは、天井から何かが垂れ下がっているのに気付く。
それはロープであった。
ロープなのだが、丁度人間の頭が通るぐらいの輪っかの形に括られている。
絞首台で首を括るためのロープにそっくりだ。
なんとなく、カズヤはそれを引っ張ってみる。
カチリという硬質な音を立てて、世界が暗転した。
「くらい、こわい…。」
子どものように不安げな声を上げるフローラルが、カズヤの手を握る。
「真っ暗だね。」
カズヤはどうでも良さそうにそう返すと、もう一度頭上にあるのであろう、ロープを引っ張った。
もう一度、カチリという音が聞こえた。
それと同時に、今度は明転した。
「ここでいいや。」
次に彼らが立っていたのは、のどかな小川の畔だった。流水量は多くないが、白い花をつけた水草が青い水の中を揺らめいている。
「いまの、なに?」
不思議そうな顔で辺りをキョロキョロと見渡すフローラルは、くるぶしぐらいまで小川の水に浸かっている。
「あれ、位置ズレしてる。」
そんな彼女を見て、カズヤは首を傾げた。
「何だったんだろうね?ともかく、上がっておいでよ。ジュースでも飲もう。」
「ぺっしぇ!」
バシャバシャと水しぶきを上げて河原へと上がって来るフローラル。
彼女の足元で、銀色の小魚たちが逃げ惑っていた。
……。
「それで、今は立ち往生してるんだよ。何が起こってるんだと思う?」
カズヤは氷の入ったコップをからからと回しながら、現在の旅の状況を話した。
「うう?あうはうはうー。」
「飲み込んでからでいいよ。」
大きめに割られた氷を口いっぱいに頬張っている彼女は、目を白黒させながらそれを噛みわろうとした。
「んむ、あえー。」
しかし、顎関節の可動域が足りなかったらしくそれをコップに吐き戻した。
カラカラと音を立てて、氷と石英ガラスのコップがぶつかり合う。
「きったね。」
それを見て顔を背けたカズヤに対して少しムッとした表情を浮かべた後、フローラルは答えた。
「のうみそがくさりかけてる。だから、むずかしいこと、わからない。」
そう言うと彼女は、手をぎゅっと握りしめて、力むような様子を見せた。
スポン、という音を立てて、彼女の背中から腐りかけの翼が生えた。
「ちょっと、臭いもの出さないでよ。…ヒントでもいいだけど、何か分からないかな?僕は一種のタコなんじゃないかと思うんだけど。」
カズヤがこうして隣町の事件のことを問いかけているのには、特に深い理由はない。
依頼を受けているだとか、謎を解き明かして報酬をもらいたいだとか、そういうことが目的なわけではない。
ただ、何となく気になって仕方がないだけだ。
「…わるくないかんがえ。」
暫く思案していたフローラルは、考えがまとまったのかそう呟いた。
「やっぱりか。」
「でも、せいかいではない、とおもう。」
そう言って、彼女はだ液まみれの氷が入ったコップを差し出した。
「つづきがききたいなら、もういっぱい。」
「もっと欲しいなら続きを言え。」
差し出されたコップの半分ぐらいまでジュースを注いだカズヤはそのようにやり返した。
「…。まちに、かくれてはいったのは、まちがいない。でも、それは、まものじゃない。」
不服そうにそう言ったフローラルは、一気にジュースを飲み干すと、コップを再び差し出した。
夏の川辺の風景に音はない。なんせ、夢の中なのだ。
有るのは、現の世界と連動した暑さと偽物のジュースの甘さ、氷の冷たさぐらいのものだ。
空いたコップに、カズヤはジュースと新しい氷を入れる。
「新しい氷もあげるから、もっと纏めて話してくれないかな。」
「ざんねん、じかんぎれ。」
なみなみと注がれたジュースを一気に飲み干したフローラルは、勝ち誇ったようにそう言った。
そして彼女は煽り立てるように、べーっ、と舌を出した。
穏やかな原風景がぼんやりと霞んで行き、辺りは薄暗くなっていく。
舌を出すドラゴンゾンビの輪郭もぼやけていく。
「みずば、きをつけて。」
薄暗い景色に溶け込んだ、野晒しにされたしゃれこうべのように白い影が最後にそう言った。
そして、カズヤの意識は浮上していった。
…。
………。
………………。
「水場、気を付けて…、か。ここ、海の上なんだよなぁ。」
「あ、カズヤ君。おはようございます、ごはん買ってきましたよ。」
例によって薬の調合を続けていたシエルラが、椅子の上に置かれた紙袋を尻尾で指した。
「シエルラさん、ずっとやってたんですね。ご苦労様です。…ブドウさんは?」
部屋の中に無道はいない。
「ジズちゃんとごはん食べてくるそうです。」
「いっしょに行ってくればよかったのに。」
「屋台の料理が食べたい気分だったんですよ。」
薬研で擦っていた粉末を刷毛で瓶に移した彼女は、そう言って伸びを1つした。
「私も今日はこの辺にしておきます。ごはん食べましょう。」
彼女はテキパキと乳鉢や試験管立てなどの器具を机の隅に積み重ねていく。
すぐに机の上に食事を置けるだけのスペースが確保された。
だが、視界の端にチラチラと見慣れない道具が入って来るし、薬草独特の匂いが漂ってくる。
食事をするには落ち着かない環境だ。
額に皴を寄せたカズヤは逡巡した。
アイテムストレージに机の上の雑多物を放り込むのか、甲板のデッキチェアで食事することを提案するのかという2択を悩んだ。そして結局、何も言わずに席に着くことにした。
紙袋の中身はこの辺りで獲れる海鳥のローストが挟まれたサンドイッチと、削られたチーズが載った海藻と野菜のサラダ、そして辛くて酸味の強い海産物の冷製スープだった。
ソーサーの上に置かれたカップにシエルラが調合したハーブティーが注がれる。
甘い匂いの中に、鼻がスッと通るような香りが混じっている。
「さあ、どのハーブが使われているでしょうか?」
カズヤの目の前の席に座ったシエルラは、スカートの裾を直しながら問いかけた。
「タルダコルン、サウアーミント、ムラサキカンゾウ、石英マリモ。」
その質問に淀みなく答えるカズヤ。
「おー、さすが花級冒険者。正解です。」
回答を聞いて、シエルラは満足そうに頷いた。
「石英マリモなんてほんのひとかけら入れただけなのに。よくわかりましたね。」
「まあ、何となくですよ。」
曖昧に返したカズヤは、手を合わせると早速サンドイッチに手を伸ばした。そして、大きな口を開けてそれにかぶりつく。
ローストされた灰色の胸肉は、海鳥の持つ独特の臭みを消し切れていない。
元々の臭みよりは抑えられていて、臭い消しの処理の努力が伺えなくもない。
いかんせん古い羊皮紙の匂いが漂ってくるのはいただけないが、独特のクセといえば聞こえがいい。
このクセが好きだという人はいるだろうが、食べ慣れていないカズヤとしては飲み込むのに躊躇するぐらいだ。
また、ソースに臭み取りとしてジャージンという植物の根茎が使われているのだろうが、あまり肉との相性が良いとは言えない。
葉野菜もシナシナしていて食感が台無しだ。
ただ、よく炒められたオニヨだけは評価できた。
「お腹が空いてたんですか?」
あまり美味くないサンドイッチをさっさと片付けようとする姿を、貪り食っているのだと勘違いしたのだろう。
サラダに入った紅藻をフォークに刺しながらシエルラが言った。
「いや別に。これ、どこで買ったんです?」
サンドイッチに気分が落ちたカズヤは、元凶の店名を押さえておくことで再犯を防ごうと目論んだ。
「確か、クリスタル子猫かオリハルコン犬みたいな名前の屋台でしたよ。サンドイッチが微妙なことで有名なサンドイッチ屋さんの出張店らしいです。」
やはり、この辺りでも評価が低い店の品だったらしい。
つまり、シエルラは不味いとわかっていてこのサンドイッチを買ってきたことになるが…?
「ただ、サンドイッチセットに付いてくるスープが絶品だ、って工房の見習いのお兄さんが言ってましたよ。今度一緒に食べに行こうって誘われました。」
そうネタバラシした彼女は、言い終わるとドヤ顔でカズヤを見た。
「よかったじゃないですか。」
カズヤは心底興味なさそうな顔でそう返した後、サンドイッチの包み紙をぐしゃりと握りつぶした。
そして、空っぽの紙袋にそれを放り込んだ。
「少しぐらい、嫉妬してくれても良いんですよー…?まあ、本当なら明日出発の予定でしたし、そもそもタイプじゃなかったのでお断りしたんですけど。」
クスクス笑いながらそう言ったシエルラは、フォークに刺さったチーシャの葉にチーズを絡めて口に運んだ。
「そうそう。ジズちゃんが行商の仲間に入れてほしいって言ってましたよ。なんでも、今回の取引が魔物の襲撃でキャンセルになったらしくて。それでここまでの旅費が赤字になって困ってるんだそうです。」
「ふーん…。」
無難な味付けのサラダに手をつけたカズヤは、荷馬車の空きに想いを巡らせた。
「…そうすると、女性部屋の方が手狭になりそうだけど。それでも良いんだったら、別に構わないんじゃないですか?」
同時に、物置のようになっているカズヤが寝床にしている方の馬車にも荷物が増えることになる。彼はそれをあえて口には出さなかった。
「私もカズヤ君も、行商なんてしたことが無いですからね。ジズちゃんが居れば心強いと思ったんですが…。そうだ!ブドウちゃんが学校に通ってる間なら大丈夫なんじゃないでしょうか?」
確かに、無道が通う予定の冒険者学校は全寮制だ。
無道が資格を取り終えるまでは、今までと変わらない人数で馬車を走らせることが出来るだろう。
口の中に残っていた根菜をボリボリとかみ砕いていたカズヤは、返答するためにそれを飲み込んだ。
「ま、結局は本人と話してみてからですね。」
サラダの入った容器をあっという間に空っぽにした彼は、食事の速度がかなり早い。
別段行儀が悪いわけではないのだが、口に入れてから、咀嚼し、嚥下するまでのスパンが短いのだ。
この悪癖に関しては、王都にいる間に元彼女のリーサによく怒られていた。
曰く。体に悪いぞ、と。
最後に残ったのは、美味いと噂の海鮮スープ。
具は魚の切り身と二枚貝だ。港町なだけあって、それがふんだんに入っている。
やや猫舌の気があるカズヤとしては、冷たく冷やされたスープは飲みやすいので好ましい。
ただ、それがさらに早食いを助長することになるのだが。
深めの皿に入ったスープの水面下はオレンジがかった赤色をしている。
そして、水面には、魚から出た金色の脂が浮いている。
辛いスープというだけあってトウガラシが使われているというのもあるだろうが、この赤味は様々な食材の旨みが溶け込んでいる色だ。
匂いから察するに、柑橘の果汁が絞られているのだろう。大量の魚介と数々の野菜から出た出汁を、爽やかな柑橘の香りが引き立てているようだ。
スプーンで掬うと、金色の脂の玉が砕け、幾つもの小さな油滴になって広がって行った。
期待に胸を膨らませ、カズヤはスプーンを揺らさないように口元へ持って行く。
「そういえば。」
スープが口に入った瞬間にシエルラが喋り出したので、カズヤはどんな味かを感じる前にスープを飲み込んでしまった。
「…なんですか?」
絶妙なタイミングに少し苛立ちを覚えつつカズヤはそう返した。
サラダを一度置き、海鳥サンドイッチのロースト胸肉のみを取り除いていたシエルラは、椅子から立ち上がると、自分の荷物の詰まった布袋をごそごそと探り出した。
そして、その中からぐしゃぐしゃになった新聞紙を取り出すと、それをカズヤの前に置いた。
「今日の夕刊です。ネクストポートの事件のことが書いてありますよ。」
スープ皿に橋を架けるようにスプーンを置いたカズヤは、文句ありげな顔でそれを受け取った。
「ただいま帰りました。」
無道が帰って来たのは、日がすっかり落ちてしまってからのことだった。
シエルラに言い渡された禁酒をちゃんと守っているのだろう。
顔色はいつも通りだし足取りもしっかりしている。
ただ、護身用に持っていった木刀に返り血が付いているように見える。
「お帰りなさい。チンピラにでも絡まれたの?」
カズヤはノートから顔を上げて無道を迎えた。
夕刊で得られたネクストポートの魔物侵入事件の情報を纏めていたところだ。
ちなみにネクスポートというのは、ご想像通り隣町のことである。
ポート(港)のネクスト(隣)なのでネクスポートとはなんとも安直なネーミングだ。
カズヤの軽口に対し、無道は眉尻をちょっと下げて困った表情を浮かべた。
「それがですね。町中に魔獣が出たんです。」




