29.≫Sクラス
叫び声を上げたコックに、人々の視線が集まる。
そして、彼の手の中にあるスイカを見た一同は、揃ってポカンと口を開けた。
包丁を手にしたコックの右手には、真っ赤な果肉のスイカが、スティック状に切り分けられて持たれている。
コックが引き抜いた部分からバラリ、と崩れたスイカは、全ての欠片が食べやすいスティック状に切り分けられているのだ。
「…?皮が黄色いこと以外、普通のスイカに見えますが。」
首を傾げる無道。
しかし、当然のことであるがそこは問題ではないのだ。
スイカは、コックが包丁を入れようとするよりも前に、既に食べやすいような形状に切り分けられていたのだ。
スイカに向いていた一同の視線が、一斉に無道に向けられる。
コックが無道のパフォーマンスよりも前に包丁を入れておいたのだとしても、崩壊させずにテーブルの上に置くことは困難だろう。
なにより、包丁が入っていたのなら、切断された切り口から赤い果汁が漏れてバレてしまうはずである。
要するに。
「あ、あの一瞬で切っていたんです!スイカを!!木刀で!!!」
例の町娘風の少女が大きな声を上げた。
「ど、どういう事なんだい?」
混乱している古物商が彼女に尋ねた。
「あのイアイ・バットー・スタイル使いのお姉さんは、私達にも見える速さの剣撃を繰り出したのだと思っていました。しかし、スイカに当たった音すらも聞こえなかったことから疑問が生まれ、今、その答えが出たのです!!」
興奮した様子の町娘が、目を見開きながら続ける。
「剣を抜く前、既にトップスピードが出ていたのです!つまり、抜刀の構えで完全な静止を行うことで、次の瞬間に発生するトップスピードが相対性理論的に光速を超え、逆行した逆転時間世界が限定的に発生したのでしょう!」
何がなにやらさっぱりだ。
「その結果、私達には木刀の幻影がスイカを通り抜けたように見えたのです。実際には、スイカは逆転時間世界の中で何度も繰り返し剣撃を受けたのでしょう。…コックさんがスイカを切ろうとした瞬間、幾つもの逆転時空が一つに統合され、スイカが幾重にも切られたという結果が我々の目にも分かりやすいように現れたのでしょう…。恐ろしい腕です。スイカを木刀で切るのだけでも難しいのに…。」
ここまで真面目に読んだ奴おる?
もし居たのなら、ワタシに解説をしてほしい。
それぐらいには訳の分からない解説だった。
「あ、あー…。逆転時間世界ね!美味しいよね!!」
「な、なるほど…。逆転時空が発生したのか。それならばあり得る。」
「は、ははは。なんだ、そんな簡単なことでしたの。うちの勇者様なら、これの5倍は早く剣を振れますわね。」
「ちょ、カリーナ!?ま、まあ確かに。相対性理論?は昔修行したことがあるからねえ…。はっはっは…。」
しかし、彼女の話を聞いた聴衆たちは、納得したかのように口を開きだした。
これはたぶん、知ったかぶり大会が開催されているのだろう。
この場に、彼女の発言を理解できたものはいない。
「お姉さん…、ブドウさんと言いましたか?やはり、かなりの使い手のようですね。あなたのIBSには、幻影剣の名が相応しいでしょう…。」
「いや、鬼歩流古武術です。」
町娘をすげなくあしらった無道は、シエルラに顔を向けた。
「さあ、シエルラ。試合開始の合図を」
「あー…。棄権します。」
スイカの末路を見てしまったカズヤは、顔を青褪めさせながら白旗を振ったのだった。
◆
「頼もう!!」
結局、試合は流れてしまった。
一般的な銅級冒険者である、我らがカズヤ・マシーナリー君が、スイカのような目に合わずに済んだ。
あれだけ息巻いていた船員たちもなりをひそめ、各自の仕事に戻っていった。
せっかく甲板に集まったのだし、スイカを囲んで談笑が始まった。
様々な目的でこの船に乗る人々の話は、様々な体験や価値観を伴っていて非常に興味深いものだ。
なんだか生温かいような空気が流れる中、ギラギラとした闘志を滾らせる男が一人。
恒炎の勇者である。
…いかにも彼が噛ませ犬となりそうな流れだが、もう少しだけ待っていてほしい。
「ブドウ殿と言ったかな。」
不敵な笑みを浮かべつつ、無道の横にやって来た恒炎の勇者。
ちょうど無道とシエルラの間に挟まっていたカズヤは押しのけられる形だ。
「あん、カズヤ君ったら大胆ですねえ。」
「気色悪い声を出さないで下さい。タダでさえ暑っ苦しいんですから。」
イチャつく2人をよそに、無道は恒炎の勇者に目を向けた。
「あなたは…公園の勇者さんでしたか。」
「“恒炎”の勇者だね!そのイントネーションでは、子どもたちの集う憩いの場になってしまうから!!」
無道のボケに律儀に突っ込んでくれる恒炎の勇者。
案外ノリがいい人物なのかもしれない。
「それで、恒炎さん。なにかご用ですか?パーティへの参加は先日お断りさせていただいた通りですが。」
「そうだね。残念だけど、意志は固いようだ。ここで僕が君を打ち破ったとしても、君は彼らとの旅を優先するんだろうね。」
鼻の下を伸ばしながらシエルラの顔を見る恒炎の勇者。
そして、その後で忌々しそうな目でカズヤを見る恒炎の勇者。
まあ、傍から見れば美女2人を侍らせて旅をするカズヤの姿は羨ましく思えるだろう。
「ふむ。その口ぶりから察するに、試合をご希望ですか?」
糸目の左目をほんの少し開いた無道は、その光を吸い込みそうな黒い瞳で恒炎の勇者を見た。
「な、なんと暗い瞳だ…。そ、そうだとも!是非とも、手合わせ願おう!」
ニヤリと笑みを深めた勇者は、手に着けていた手袋を外し、無道に手渡した。
「…?」
差し出された手袋を見つめたまま、無道は首を傾げた。
恒炎の勇者曰く、手袋を投げつけるのは決闘という意味なので、手袋を手渡すのは模擬戦を申し込むという意味になるらしい。
そんな謎めいた風習はともかく、カズヤとの試合が不戦勝に終わって不完全燃焼な気分を抱えていた無道は、二つ返事で彼の申し出を了承したのだった。
◆
「えー、では。武器は木製、急所狙いは反則、先ほどと同様のルールですね。それでいきましょう。」
もう何度目の審判になるのだろう。
そろそろ肩の上下にも飽きてきたカズヤは、欠伸混じりにそう言った。
絶技を見せた無道でも、歴戦の勇者の前ではさすがに手も足も出ないのではないか。
…というのが観戦者たちのもっぱらの予想だった。
ただ一人、逆張り根性甚だしい商人の男だけが、無道は接戦を繰り広げるも最終的に負けるのではないかと意見した。
実際、どうなったのか。
なんと、手も足も出なかったのは、恒炎の勇者の方だったのだ。
聖剣の担い手である勇者は、その聖剣の性能ばかりに目を向けられがちである。
しかし、聖剣の精霊に認められるには、それ相応の実力がないといけないのだ。
武器スキルの有無に左右されない、純然たる剣技が身に着けられていない限り、聖剣を抜くことすら叶わない。
要するに、勇者は聖剣を手放しても強い。
恒炎の勇者もそんな勇者のうちの一人。
当然のことだが、常人には辿り着くことのできぬ高みにて剣を振るう者だ。
聖剣を手に入れる前はとある国の騎士団長を務めていたという彼は、しかし、痩せた無名の居合剣士から一本も取れずにいた。
「ふふふ。強いとは思っていたけど、これほどまでとはね…。」
汗まみれの額を拭いつつ、恒炎の勇者が笑った。
「どうしてブドウ殿がこれまで名を馳せて来なかったのか、不思議で仕方ないよ。」
「まあ、この世界の者ではありませんからね。っと、これに関してはあまり口に出すなと叱られているのでした。」
上段からの攻撃を抜く剣で払った後、続く2太刀で胴に一本当てながら、無道が答えた。
「そこまで。」
試合終了の合図を、ダルそうなカズヤが告げる。
「うーむ、もう一度お手合わせいただきたい。」
試合があまりにも一瞬で終わってしまうので、せめて少しでも食い下がろうと躍起になる恒炎の勇者。
試合を続ければ続けるほど、体力の消費も激しくなっていき、体の動きも鈍る。
しかしながら、対する無道は、肩で息をしながらもそれほど苦痛そうではない。
病み上がりの身体の上、元々タフなわけでもないという彼女が戦い続けられる理由は何か。
幼い頃から居合術を修めてきた彼女は、対人戦において必要最低限の動きに習熟しているのだと語った。
そして、鬼歩流居合術という彼女の流派は、それに最適化されているのだという。
無駄な動きのない分、体力の消耗も少ない。
理論としては単純だが、それを無道のレベルにまで実現するとなると、どれだけ困難な事か。
「そこまで。」
恒炎の勇者が剣を振ろうとすると同時に、一陣の風のような斬撃が彼の腕辺りを撫でる。
木剣ではなく真剣であれば、その逞しい腕は飛んでいただろう。
「いやあ、本当にお強い。これで、ユニークスキルを持っていないというのだから、なおさらビックリだよ。」
とうとう疲れ切った恒炎の勇者が、地面に腰を下ろした。
勇者ともあろうものがこんなにすぐに値を上げていいものか、と思う人もいるかもしれないが、対人戦とは精神がすり減る者である。
「いやあ、久々にボロ負けしちゃったよ。勇者になってからは、負け無しってことで有名だったんだけどね。」
はっはっは、と快活に笑う恒炎の勇者。
読者諸君のうちにも予想していた方が少なくなかっただろう。
残念ながら、彼は噛ませ犬となってしまった。
「お、おかしい…!ルークス様がこんな女なんぞに負けるなんて…ッ。貴様!不正をしているのだろう!」
まあ、ありがちというかなんというか。
勇者ルークス氏の仲間の女騎士が、無道に突っかかってきた。
「不正も何も…。これでも、我が流派を磨き続けてはや22年。抜刀術には自信を持っています。」
実際のところ、ユニークスキル:普通料理EXしか持たない彼女が見せてきた剣技は、全て彼女の身に沁みついたものということになる。
というか、無道は2歳の時には既に刀を握っていたという計算になるが…?
…そうだとしても、戦闘スキルも無しに、謎めいた料理のユニークスキル1つだけでここまで生き抜くことが出来たことの方が不思議である。
「で、でも!勇者様は、直剣スキルSSをお持ちなのだ!剣技スキルを持たぬ者が、高位の剣技スキル所持者に勝てる道理は…。」
「こらこら。そこに突っかかられると俺の格が落ちちゃうでしょ…。」
顔を真っ赤にして怒る女騎士を、ルークス氏は窘めた。
まあ、女騎士の言いたいこともわからんでもない。
以前、12話あたりでスキルについての説明を挟んだことを覚えているだろうか。
その時に、ちょうど「スキルがなくとも武器は使えるが、どんなに人が努力しても、Sクラスのスキルを持った者には勝てない」という例えを示した。
これは比喩でもなんでもなく、この世界の法則として成り立っているはずのものだ。
もちろん、不意を打たれたSクラススキル所持者が敗北するということはあり得るが、正面から戦えば、なぜか最終的に立っているのはSクラススキル所持者の方なのである。
その法則が、今ここで覆ったのである。
「ふう、疲れました…。傷口に気を使ったつもりではありますが、また開きやすくなっているかもしれません。念のため、シエルラに診てもらってきます。」
フラフラと松葉杖を置いたテーブルまで歩いて行った無道。
彼女は、松葉杖を手に取ると、コツコツと硬質な音を立てながら船室へと戻って行った。
似たような試合展開が続く中で、シエルラはとっくに船室に戻って昼寝でもしていることだろう。
「…君。カズヤ君と言ったかい?」
恒炎の勇者は、無道が去った後、どこか敵意を滲ませた疲れ目をカズヤに向けて来る。
「は、はい?」
小市民にすぎないカズヤは、その目線に気圧されたように居住まいを正した。
「ああ、済まない。俺は女の子が好きなんだけど、男の子は嫌いでね…。ついつい癖で睨んでしまうのさ。」
女好きな彼のパーティメンバーは、女騎士1人に女僧侶1人、女舞踏家1人に女魔導士が2人だ。
「君、どこであの子を引っかけたの?あと、竜人のボインちゃんも。」
シエルラに言及して頭を叩かれる勇者。
無道との数奇な出会いについて言及するわけにもいかず、カズヤは曖昧に答えた。
「拾ったんですよ、偶然。」
町娘の解説、脳が死んでいる時に書きました。




