3.ガイディング
「ご存じかとは思いますが、このあたり一帯は、地脈の関係上、ある意味での特殊なバイオームに囲まれているんですよ。」
カズヤは、まるでガイドかのように、エビ老師に植生の説明をしていく。
「右に見えますのが、通常種のケスィの木です。今の時期だと見られませんが、夏になると、そこら中のケスィが綿毛を飛ばしてなかなか幻想的なんですよ。そして、こちらがドクケスィの木です。」
カズヤが指差した先には、ケスィの木にそっくりな、少し幹が赤味がかった低木が生えている。
「この木はこの辺の固有種で、根茎や雄花にメータロイド系分解酵素が多く含まれているというのは有名な話です。」
カズヤはここで一旦言葉を切る。
老師はすごい速さでメモを取っている。
その時気付いたのだが、老師はローブの長いすその下に、白い手袋をはめているようだ。
手袋をずっとしたままなのは、薬師としての習慣なのかなぁ。カズヤはぼんやりとそう思った。
「そして、ドクケスィの木なのですが、特に分解酵素を多く含んでいるのが発芽種子です。根元にたくさん生えている双葉が全部そうですので、少し採取していきましょう。」
こんな高名な薬師に薬草を説くのは、なんだか竜に説法しているような気分になるが、当の本人にそうしてくれるよう頼まれたので仕方ない。
「双葉を乾燥させたものがドクケスィ草として出回っていますが、分解酵素は乾燥段階で一部、加水分解されちゃうみたいですね。この時期になると、この辺の人たちは生のドクケスィ草をサラダにして食べるんです。そのおかげか、みんな元気ですよ。」
エビ老師が薬屋を営んでいるのは第一支部のある王都北部だ。
この近辺の習慣が老師の助けになれば良いなぁ、と思いつつ、カズヤは解説を重ねていく。
「試しに、お一つ召し上がってみませんか?爽やかな香りがしますよ。」
カズヤはそう言って、一番よさそうなドクケスィ草をつまみ上げる。そうして水筒を取り出すと、ドクケスィ草をサッと洗って老師に手渡した。自身も適当なのを見繕って口に放り込んで見せる。
老師はなんだか、困惑した様子で手渡されたドクケスィ草を見ている。
「もしかして、アレルギーであられましたか…!?申し訳ございません…!」
カズヤは慌てて頭を下げる。
老師は草を持っていない方の手をアワアワと振る。
『お気になさらず。食事している所を見られたくないので、しばし後ろをば。』
老師はそう書いた手帳を見せてくると、後ろを向いて、ドクケスィ草を持った手をマフラーの口元辺りに持って行った。
『たしかに、よい香りでした。』
そう書かれた手帳を見せてきた老師は、表情こそわからないものの、きっと微笑んでいただろう。
リストアップした植物や茸を拾っているうちに、日が暮れかけていた。
「老師様、今日はもう戻りませんか?」
カズヤはそう言って老師の方を振り向く。
そして、絶句した。
「…?」
老師はそんなカズヤの様子を見て首をかしげている。
老師の傍らには、いつの間に立てたのか、テントが建っていた。
カズヤが彼から目を離していたのは、高所に生えている木の実を取りに行ったほんの10分程度。老師はその10分のうちにテントを建てたのだろう。
「いつの間にテントなんか建てたんです?」
『テント暮らしは慣れているので。』
腰が異様に曲がった薬師のお爺さんが、少し自慢げに胸を張ったように見えた。
カズヤはギルドに連絡を入れると、食事の用意を始めた。
念のため、少し豪華な保存食を用意していたのは正解だった。
エビ老師に、仕事のことや薬草について質問していくうちに、日はとっぷりと暮れてしまっていた。
老師は思っていたよりもずっと、気さくなお爺さんで、質問に対いてなんでも答えてくれた。
カズヤとしては、夜を明かして見張りをするつもりだったが、老師は手を横に振った。
『強力な魔よけの薬があるので、それを使いましょう。』
彼は手帳にそう書いて見せ、不思議な香りのする薬をテントと火の回りに撒いた。
王国一の薬師が作り出した忌避剤だ。効果はてきめんで、近くを飛んでいた羽虫の魔物や、近くの木にとまっていた鳥の魔物が一斉に逃げ出した。
「…老師様でしたら、護衛を雇わなくても大丈夫だったのではないですか?」
カズヤは思わずつぶやいた。
『いずれにせよ、土地勘のある花級冒険者の方が必要だったので。私自身を守ることはできても、ガイドまで守る余裕はありませんよ。』
老師はそう書いて、肩をすくめた。
老師はやがて、今日採取した薬草を用いて調合を始めた。
カズヤはその様子をしばらく見ていたが、急に眠気に襲われ始めた。しばらく睡魔に抗っていたものの、やがて眠りに落ちてしまった。
誰かが彼を抱き上げて、横に寝かせてくれたような気がした。
その晩、カズヤはへんな夢を見た。
蛇の亜人…、いや、竜の亜人とともにドラゴンゾンビに謁見する夢だ。
この世界におけるドラゴンは、神聖なる生き物で、神として崇められている。
実際に、ドラゴンは様々な権能を持った様々な個体が存在している。
ドラゴンゾンビはその中でも、死と死体を司る力を持っているとのことだ。
カズヤと竜人の女は、ドラゴンゾンビと何らかの問答をしている。
しばらく話しているうちに、やがてドラゴンゾンビが人の女性の姿を取る。
ドラゴンゾンビはカズヤを胸に抱く。
そこでカズヤは一言。
「ちょっとくさい…。」
カズヤの意識はそこで途切れ………
「……しまった!?」
カズヤが跳ね起きたのは明け方ごろ。
いつの間にか寝袋の中で横になっていたことを訝しみつつ、テントの外に出る。
「あれ…?老師様…?」
テントの外には老師は居ない。
慌ててテントの中に戻って確認してみると、老師の字で書き記された書置きが一つ。
『ちょっと散歩してくるだけなので、心配しないでください。朝食の用意をお願いします。』
老師のサインと出発時刻も傍らに記されている。つい1時間前だ。
「さ、散歩かぁ…。びっくりしたなぁ。」
護衛対象を見失ってしまい、少し驚きはしたものの、あの老師ならば大丈夫だろう。
明け方の植生や生物群を確認しておきたかったのかもしれない。
ぐっすり眠っている自分を気遣ってくれたのであろう老師に感謝しつつ、カズヤは朝食を作り始めた。
「ミギャアアアアアアッッッ!?!?」
森の静寂を切り裂くような高い悲鳴が聞こえてきたのは、カズヤがスープ用に野草を切り分けている時だった。
明け方の森で、魔物たちが縄張り争いでもしているのだろうか。カズヤは少し気になったが、よくあることだと納得することにした。
「ほにゃあああああああああっっっ!?!?!?」
二回目の悲鳴が鳴り響いたのはスープが煮詰まってきたころだった。
そろそろ老師が帰ってきてもおかしくない時間だ。それなのに、彼はまだ戻らない。
それに、さっきの悲鳴は、なんだか人の悲鳴のように聞こえた。
嫌な想像が浮かんだカズヤは、急いで鎧を着て、愛用している片手剣を腰に帯びた。
「こっちだったよな。」
だいぶ明るくなってきたものの、まだまだ薄暗い森の中へと、彼は足を踏み入れた。
早朝しか咲かない花というものがあり、それの採取クエストをやりなれたカズヤであるから、薄暗い道も迷うことはない。
悲鳴はあれからたまに聞こえてくる。
「なんでこんなところにタコがあああ!?!?」
とか、
「痛い痛い痛い!!!!私は餌じゃありませんってば!?!?!?」
とか。
どうも女性の声のように聞こえる。
カズヤは経験則から予想する。
おそらく、誰かがタコの魔物の一種である、オキュートと格闘しているのだろう。
オキュートはあまり危険な魔物ではないが、触腕で触れた獲物に噛みつくという習性をもっている。
噛み切られたり、大怪我をするようなことはまずないが、噛まれた跡が付く程度には痛い。
襲われている女性もそれほど危険にさらされているわけではないだろうし、ギルド管轄区に勝手に入ってくるのが悪い。
自業自得ということで、オキュート先生にお灸を据えてもらうこととしよう。
「ちょっと、痛い痛い!!剥がれるってば!!やめてよ!!!!!」
5度目の悲鳴がこだましたころ、カズヤはようやく声の主を見つけた。
「なっ…!?」
カズヤは思わず言葉を失った。
沐浴しようとしたのだろうか。
一糸まとわぬ姿の女性が、川の中でオキュートに襲われている。
灰白色の艶やかな長髪、透き通るような白磁の肌、サファイアのように輝きを放つ瞳。
そして、水にぷかぷかと浮かぶ豊満な…
ゴホン。
それはさておき、カズヤは絶句していた。
たしかに、オキュートに襲われている女性の裸はあまりにも美しかったが、電子機器に性的欲求を感じるタイプであるカズヤにはどうでもいいことだった。
彼が絶句していたのはそんなところではない。
はじめ、彼はこの女性がオキュートだけでなく、蛇の魔物にも襲われているのだと思った。
彼女の体には、灰白色の鱗がびっちりと生えた、丸太のように太い蛇の胴が絡みついているように見えた。
しかし、よく見ると、蛇の胴体は女性の下半身、ちょうどへその辺りから生えているのだ。
そういえば、蛇の亜人やワニの亜人のような爬虫類系統の亜人は、総排出口から排泄・出産をするのだという話をなんとなく思い出した。何の関係もないが。
何の関係もないが。
「蛇の亜人か!?」
カズヤは鋭くそう叫ぶ。
しかし、その後すぐにそれは誤りだと気が付く。
彼女の頭に目を向ける。
彼女の両側頭部には、巨大な角が突き出している。
なんだか、自転車のハンドルみたいだな。
カズヤは混乱しながらそんなことを思った。
竜人の女性が、川でオキュートに襲われて溺れかけていた。
タコやイカといった頭足類は、淡水域には生息できないんだそうです。
浸透圧の関係だそうですよ。
そのかわり、海水圏の生態系にうまく適応しており、多種多様な形態に進化していくことができたとのこと。
すげー。