27.滄溟
魔素を含んだ貿易風が、フェリーの進行の手助けをしている。
魔石エンジンによって航行するこのフェリーだが、燃料の節約として、帆も備え付けられているのだ。
近年では、大気中に含まれる魔素を空の魔石に再充填することで、理論上は無限に利用できるような魔石機関も開発されているのだという。
まだまだ実用化には程遠いとはいえ、人間とは様々な工夫を思いつくものだなぁと常々思う。
なお、この貿易風の魔素は、一般的な純人間種の細胞質内に含まれる魔素量の1/2近くも含まれているのだ。
浴びていれば体内の魔素代謝が好調になるため、甲板の上では、妖風浴と称した水着姿の船客たちが思い思いの場所にパラソルを立てて陣取っている。
…妖風浴という字面がどこかいかがわしく感じてしまうのは、ワタシの心が汚れているからだろうか?
さて。
カズヤ一行もその例に漏れず…。
否。
浮かれた格好で妖風浴を楽しんでいるのは彼ら一行の中ではただ一人だった。
カズヤは冷めた目で、例のパツパツの冒険者学校指定水着を身に着けてうつ伏せに横たわるシエルラを見ていた。
「カズヤ君のえっちー。どこ見てるんですかー?」
コケティッシュな流し目を向けてくるシエルラ。
だが、尻尾の先の棘にウミトンボが止まっていて、なんだか間が抜けているように見える。
「…。」
一方で彼は、無言でシエルラの顔を、正確にはシエルラの折れた右角の先端を凝視していた。
切断面は磨かれた水晶のような輝きを放っている。
竜人の角は、大気中の魔素量が多い場所では半透明になるのだ。
石英の結晶が内部で割れている時と同様、切断面に入ったヒビが、日光を乱反射して七色に輝いている。
「え、ちょっと。カズヤ君?カズヤ君?…ブドウちゃん、カズヤ君がおかしくなってしまいました!!…ブドウちゃん?ブドウちゃん??」
無道も同様、糸のように細まった左目をシエルラの折れた右角に向けたまま動きを止めている。
ちなみに、無道も貸し出しの水着を身に纏っている。
白いワンピース型水着の上からパーカーを羽織っているので、普通の服を着ているように見えなくもないのだが。
眺めているものがシエルラの角でなくて焚火であったのなら、揺らめく炎を見つめながら2人して黄昏れているように見えたのかもしれない。
「やあ、竜人の姐さん。この人たち、どうしたの?」
ふと、シエルラの背中辺りに影が差し掛かる。
「ああ、古物商のお姉さん。さっきはどうも。それが、うんともすんとも言わないから気味が悪くて困ってるんですよ。」
尻尾を器用に使って仰向けになったシエルラは、傍らに佇む古物商に会釈した。
尻尾の棘に止まっていたウミトンボは飛び去り、それと同時に角に釘付けになっていた二人が動きを取り戻した。
「あれ、古物商さんじゃないですか。」
「おや、本当ですね。この義眼の件についてはどうもお世話になりました。」
揃った会釈を古物商に向けながら、2人がそれぞれの挨拶を行った。
少し引き気味な古物商の女性は、しかし笑顔で2人に会釈を返した。
「まいどどうも。あれからジム翁の亡霊に魅入られている、なんてこともないようでよかったよ。」
冗談めかして言う彼女だが、その口の端が引き攣っている様子が見て取れる。
さて、この古物商の女性も他の乗客の例に違わず水着姿になっている。
ビキニタイプの水着から覗く剥き出しの腹には、大きな傷跡が一つ、小さな手術痕が一つ残っている。
「ああ、これ?虫垂炎になったときの手術跡。」
誰も聞いてもいないのに、古物商は手術痕を指差しながらそう言った。
そういえば、無道が義眼を見せに行ったときにも腹を出した服装をしていたので、一種のトークネタなのかもしれない。
まあ、触れにくい上に広げにくいこと極まりないわけだが。
「へー。私のこれは、剣で切られた時に折れたんですよ。」
きらり、と断面を輝かせながら右角を差し出して見せるシエルラ。
「私も、この目は略奪団を潰したときに使い物にならなくなって、指はまふぃあを壊滅させたときに踏みおられたっきり動かしにくいですし、こちら側のあばらは」
「キフさん、もういいですから。」
何故か古傷自慢で張り合おうとする無道を制止したカズヤ自身は、傷痕が残るほどの大きな怪我をしたことがない。
「…古傷ネタでここまで話が広がったのは初めてなもんで、ちょっと困惑してるよ。」
自分から話題振っておいたくせに、古物商は笑っていいのか同情すべきなのかを悩んでいるような、微妙な表情を浮かべた。
「それで、お姉さん。どうしたんです?面白い商談でも?」
デッキチェアを2つ占拠していたシエルラが、そのうちの上半身を乗せていた方を古物商に勧めた。
「わ、なんかいい匂いがする。」
腰かけたデッキチェアから立ち昇るシエルラ臭に目を丸くした後、古物商は足を組んだ。
…シエルラ臭とは?
「竜人の姐さん、察しが良いね。分かってる、と言うべきかな?実は、義眼の姉さんにぜひとも見てもらいたい品があるんだ。」
どこからともなく取り出したモノクルを左目に装着した古物商は、どこか自慢げに手を開いて見せた。
「はあ。私ですか?」
指名された無道が首を傾げる。
「そう。綺麗な顔のお兄さんでもいいんだけどさ。2人とも、剣士でしょう?」
「綺麗な顔の…?ま、まあその通りです。主武装はこの長剣ですよ。」
言われ慣れていない枕詞に困惑しつつ、カズヤは腰に下げた長剣の鞘をポポンと叩いた。
「ふむ。カズヤは剣を下げているからともかく。私は丸腰です。私の挙動から刀を使うことを見抜いたのであれば、古物商さん。あなたも中々の使い手なのでは?」
いつもは細まっている方の左目を少し開いた無道。
どこか覇気を感じるその漆黒の瞳に、古物商の姿が映し出されている。
「…。昔、ちょっとね。それで、どうだい。面白い剣が入ってるんだ。見てもらうだけでもいいから、私の部屋に来てもらえないかな?」
そんな鋭い視線を軽く流した古物商は、にっこりと笑顔を作った。
カズヤ達一行は、古物商に付いて行ってみることにした。
古物商の部屋は、船首に一番近い客室だった。
他の部屋に比べて小さめな部屋は、一人旅の彼女には丁度いいのだという。
さて、そんな彼女の船室には、厳重な梱包をされた幾つかの包みが乱雑に置かれている。
せっかく丁寧に包んでいるのだから、もう少し丁寧に扱えばいいと思う。
おそらく弦楽器が入っているのであろうハードケースを足で横に退けた彼女は、4人分の椅子のスペースを確保した。
「さあ、どうぞお掛けになって。」
カズヤ、シエルラ、無道の3名に椅子を勧めた彼女は、ベッドの裏側に腕を突っ込んで何やらまさぐっている。
「うう、ひんやりします。」
水着のため、剥き出しの太腿が木製の椅子の枠に直接当たったのだろう。
無道が身震いしながら言った。
「そういえば、外に出る時に空調を切るのを忘れていたなぁ。いやあ、燃料が勿体ないなぁ。」
へらへらと笑う古物商。
しかし、冷静に考えてみてほしい。
わざわざ3人に商談を持ち込むために甲板まで出てきた古物商だ。
彼らを商談の場に連れ込めると踏んだ上で、前もって部屋を冷やしておいたと考えるべきだろう。
まあ、カズヤ以外全員水着姿なわけで、商談の場がどうのこうの以前の問題ではある。
「おお、あったあった。これだ。」
赤みのかかった黒髪に埃を纏わせながら椅子に着いた古物商。
彼女の手には、異様な雰囲気を纏った長細い布袋が握られている。
机に置かれたそれは、ごとりと重たい音を立てた。
黒い襤褸切れのような布袋には、まるで継ぎ接ぎで繕われているかのように何枚かの呪符が縫い付けられている。
「北方の御札…かな?」
冒険者経験から見識の広いカズヤはピンと来たようだ。
北方諸国では魔法体系が独特な進化を見せているという。
とりわけ呪術方面に発展した北方魔法では、『御札』や『呪符』と呼ばれる短冊状の札が重要視される。
「カッコいいお兄さん、詳しいね。その通り。これは、北方魔法の概念を利用した封印札さ。何を隠そう、このコは『妖刀』なんて呼ばれててね。」
自慢げな笑みを深める古物商。
彼女は、慈しむかのように『妖刀』が入っているのであろう布袋を撫でた。
そして、袋の口を縛る紐を解くと、ゆっくりと『妖刀』を引き抜いた。
「ジムノペディア・バルカローラント翁が打った10振りの北方刀が1振り。銘は『滄溟』とか読むんだっけか。青々とした海原って意味らしいよ。」
赤漆が塗られたシンプルな鞘は、刃の潰された観賞用の模造刀に用いられているものとほぼ同じだ。
しかし、その鞘にも例の北方魔法の封印札が、物々しくも数枚張り付けられている。
鍔は取り外されており、柄に使われている木材は割れているようだ。
元々は赤い色をしていたであろう柄巻きと、その下に貼られた鮫皮は、黒い染みで汚れている。
この染みは恐らく…。
「このコの前の持ち主は、巨大な未知の魔物に食われて亡くなってしまったらしいんだ。持ち主の冒険者は生前に借金を作ってたみたいで、それの返済のカタとして、遺品のこのコがウチに回ってきたってワケさ。」
古物商は、壊れた柄を握って『滄溟』の刀身を抜いて見せた。
蒼銀を主とした合金から打ち出された青い刃には、荒波が立っているかのような刃文が波打っている。
1mほどの反った刀身は、魔石灯の光を反射して妖しく輝いている。
無道が身を乗り出して刃を覗くと、それに呼応するかのように切っ先が煌めいた。
「これは…なかなかの業物ですね。……妖刀と呼ばれているのはやはり、件のジムさんが打ったためでしょうか。」
鋭い切っ先に映った自分と睨めっこしながら、無道が問いかけた。
「まあ、そうだね。お姉さんの義眼が呪われてるって言われてるのと同じで、ジム翁の作った刀は総じて『妖刀』だね。まあ、このコの場合は前の持ち主が凄惨な亡くなり方をしたこともあるんだけど。」
妖刀と、妖刀に映った無道の義眼を見つめながら、古物商はうっとりとした声でそれに答えた。
「ふ、2人とも妖刀に魅入られてますねー…。あれ、カズヤ君。どうしました?」
漫然と鞘に貼られた封印札を眺めていたシエルラが、カズヤの様子がおかしいことに気付いた。
心なしかいつもよりも目を大きく見開いた彼は、割れた柄とそこに付いた血痕を穴が開くほど見つめている。
「…。」
瞑目して心を落ち着かせたカズヤは、目を開くと、いつもの調子で口を開いた。
「僕に投げナイフを教えた銀級冒険者の女性が居たって話をしましたよね。あの人が持っていた刀が、『滄溟』って名前だったなぁ、と。」
彼の言葉に、場の空気が凍る。
「この刀の前の持ち主は、カノというのでは?王都第三支部所属の後、王都第一支部特殊部隊所属の金級冒険者に昇級した、カノという女の人じゃないですか?」
カズヤの言葉を聞いて、古物商は胸の間から分厚い台帳を取り出す。
谷間に挟むにしても、彼女では肉の量が足りていないような気がする。
どうやって挟んでいたのだろう?
「…確かに、イケメンのお兄さんの言う通りだね。カノ・S・メーラード。『白雷』と呼ばれた投げナイフ使いだ。」
顎に手を当てながら、古物商は台帳を読み上げた。
骨董品の類は、その品の辿ってきた歴史が付加価値となり得るのだ。
それゆえに、この刀のことも調べうる範囲内で調査していたのだろう。
「そうか。手紙をくれなくなったと思ったら、亡くなってたのか…。」
冒険者をやっていたら、知人の訃報には慣れてくるものだ。
しかし、慣れるとはいってもかつて親しんだ友人や世話になった恩師の死というのは、悲しいものである。
カズヤは悲しみを表情にこそ出さなかった。だが、彼に親しい2人には、彼の姿がほんの少しだけ小さく見えるような気がした。
「…ッと。変な空気にしちゃったかな?キフさん、刀を買う予定があるって言ってましたし、丁度いいんじゃないですか?懐に余裕もあるみたいですし。」
切り替えるように大きな声を出したカズヤ。
その声のトーンが若干低かったのは気のせいではない。
「そ、それはそうですが…。か、カズヤはいいのですか?」
いつも飄々としている彼が落ち込んでいる姿に、どうしたらいいのかわからない様子の無道。
「僕は北方刀なんて使えませんからね。持っていても無用の長物ですぐにアイテムストレージの肥やしですよ。北方刀だけに長物っつってね!」
柄にもないダジャレを言うカズヤ。
「ちなみに、買うとしたら見積額はいくらぐらいになりそうですかね?」
虚ろな笑みを貼り付けた彼は、目頭を押さえている古物商に問いかけた。
「…。そ、そうだねえ。柄が壊れていることと、前の使用者が亡くなって間もないことを計算に入れて…。」
パチパチと魔石卓上計算機、略して魔卓を弾く古物商。
「…金貨にして100枚ぽっきり…、と言いたいところだけど、そんな話を聞かされちゃあね。2割引いて金貨80枚、珍しい義眼を見せてもらったお礼にさらに1割とちょっと引いて金貨65枚でどう?」
彼女は、最終的な見積額の記された魔卓を差し出してきた。
実際は金貨65枚に少し足が出ているのだが、そこは切り捨ててくれたようだ。
「…ポケットの中身で足りちゃいますね。」
パーカーのポケットから大金貨(=金貨100枚分)を取り出した無道が、どこか申し訳なさそうな声で言った。
◆
「毎度、どうも。」
釣銭の受け渡しを終えた古物商が、無道に手を差し出す。
「いい買い物をさせていただきました。」
物々しい布袋を肩から背負った無道が、その手を取った。
結局、無道は、妖刀『滄溟』を購入した。
彼女は、もっと手に馴染む刀が見つかるまでの繋ぎとしてこの刀を使っていくつもりだと言った。
より使いやすい刀が見つかり次第、カズヤに、師の形見であるこの刀を譲り渡すつもりのようだ。
まあ、この刀を超えるほどの名刀には、そう易々と出会えないであろうが。
気を使った無道の申し出に、カズヤは困ったような笑みを返した。
彼女たちが取引を終えたころ、船はちょうど最初の港に到着した。
船は明日の昼に出港予定だ。
乗員たちは船上で過ごすも良し、港町の宿泊施設で過ごすも良し、ということになっている。
カズヤ、シエルラ、無道の3名は、古物商を交えて船外のレストランで食事を摂ると、船室に戻ってきた。
今のところは物資の追加購入も必要なさそうだし、港町の宿泊施設の宿泊費は乗客持ちだ。
アロアロ群島に上陸してからのことを考えた節約、というわけで、フェリー上で陸を見ながら一夜を明かすことにしたのである。
さて、そんな船上での深夜。
カズヤは、甲板の上に設けられたバルコニーの手すりにもたれ掛かりながら、海を眺めていた。
潮が満ちてきているのか、潮騒が夜闇の中で響いている。
ちょうど昨晩、シエルラに襲い掛かってきたフライイカの群れが、青白い光の帯をたなびかせながらゆらゆらと遠くを飛んでいる。
人が死ぬと、魂はオーブと呼ばれる光球の姿を取って辺りを漂うという話だ。
それになぞらえて、夜に幻想的に舞うフライイカは死者をあの世へ送り届ける案内人だという伝承がある。
「…また便秘ですか?」
カズヤは、咥えていた花タバコの火を足で揉み消すと、背後に振り向いた。
「あぇ!?な、なんでバレたんですか?」
素っ頓狂な声を上げて驚くシエルラ。
実際の所、彼女の這いずる音はかなり聞き取りにくい。
熟練冒険者のカズヤであっても、この波音のなる環境下では聞き落としてしまうだろう。
「それはまあ…、私の松葉杖がありますからね…。」
シエルラの隣で呆れる無道。
相変わらず足の骨折が治り切っていない様子の彼女が松葉杖を突きながら歩く音は、聞き逃し難い。
コツコツと、規則正しく近づいてくる音があれば、2人の姿を思い浮かべることは容易だ。
「言っておきますけど、落ち込んでなんかいないですからね。何となく、海を見たくなっただけで。」
「カズヤ君って、幾つなんでしたっけ?」
夜目矯正眼鏡を掛けたシエルラが、問いかけた。
「え?…今年で18。」
突然の問いかけに、内心面食らいながら彼は答えた。
「え、まだ18なんですか!?てっきり、20代を超えているものかと…。」
ずいぶんと驚きながら、無道が言った。
確かに、カズヤは一般的な冒険者ではあるが、一般的な18歳の青年よりも老成している。
精神年齢が高いせいか、見た目よりも老けているように取られることが多い。
「まだまだ、お子様なんですねえ。」
「シエルラさんに煽られることは、ないと思うんですがね。」
無邪気とまでは言わないが、普段からエキセントリックな言動を繰り返すシエルラ。
そんな彼女は今年、204歳の誕生日を迎える。
「カズヤ、あなたはまだまだ若いのですから。辛いことがあったら涙で洗い流すのも一つの手です。ほら。お姉さんの胸でお泣きなさい?」
ぎゅう、と。
無道がカズヤを抱きしめる。
「ちょっと、暑苦しいんですけど。あと、本当に大丈夫なんでやめてください。セクハラで訴えますよ。」
珍しく照れを顔に表しながら、無道の胸の中でもがくカズヤ。
「あっ、ずるーい!私もカズヤ君におっぱいを押し付けたいです!」
「「あなたは何を言っているんですか?」」
潮騒の中で、3人の騒ぐ声が鳴り響く。
フライイカの群れは、遠くの空へと姿を消してしまった。
彼らが死者を連れていく先は、天国であると言われているが、それは果たして本当なのだろうか。
なんにせよ、真夜中に騒ぎ立てる阿呆達の旅路は、これからも続いていくのである。
◆
「ところで、ブドウさんって幾つ?」
「今年で24になりますね。ところで今、ブドウさんと呼んでくれませんでしたか?」
「あ、ブドウちゃんは見た目通りの年齢なんですね。」
銀級冒険者のカノさんはそんなに重要人物ではないので覚える必要は特にありません。
この人よりかは、この人の死因の方が大事かも。




