26.物知り
カズヤが目を覚ましたのは、日が昇った後だった。
どうやら、無道と話しをしている間に、コロっと眠りに落ちていたらしい。
机にうつ伏せるように眠っていた彼の肩には、毛布が掛けられていた。
「余計なお節介だったかもしれませんが、風邪をひかれたらと思いまして。…寝床まで運んであげられればよかったのですが、何分、病み上がりで。」
何故か少し照れながらそう言う無道は、あの後寝ずに過ごしたらしい。
「まあ、カズヤがウトウトし始めたころには、もう朝日が昇り始めていましたからね。シエルラもなにやらゴソゴソしていましたし。」
怪我のリハビリを兼ねてなにやら文字を書いていたという無道。
彼女は、インクの乾きかけた筆を窓際のベッドに向けた。
カーテン全開で仰向けに横たわるシエルラの顔は、なにやら苦難を乗り越えた後のように晴れやかだ。
「これ、お隣の部屋の方に頂いた紅茶です。ストレートでもマイルドで飲みやすいですよ。」
机の上には、いい香りのする湯気を立てるティーポットが置かれている。
花柄のソーサーに置かれた無地のティーカップには、深紅のリップが唇の形に付いている。
「…キフさんも化粧するんだね。」
「…?あ、ああ!違います。これ、こういう柄のカップなんですよ。」
たしかによく見ると、ティーカップの縁についた赤いリップマークは、釉薬の下に絵付けされたものであることが分かる。
「本当だ。変なデザインだなぁ。」
「全くです。それはそうと、私とて化粧ぐらいしますよ。ほら、見ていてください。」
シュルシュル、と、右眼を覆い隠すように巻かれた包帯を解いていく無道。
「おお、義眼ですか?綺麗ですね。」
失われていたはずの彼女の右眼を見て、少し感心したような声を上げるカズヤ。
無道はウインクをするように、瞼を上げて見せる。
空っぽだったはずの眼窩には、キラキラと宝石のように輝く、緑色と黄色のグラデーションの瞳が美しい義眼が嵌め込まれている。
なんなら、生身のはずの左目のほうが、どんよりと澱んでいる気がする。
「『生体なんちゃらかんちゃらシステム』という機構が積まれているそうで、使い込んでいくうちに、本物の目のように機能するようになるのだそうです。」
科学的な話にはてんで疎い無道は、薄い胸に手を当てながらどこか自慢げにそう言った。
「なるほど、なんちゃらかんちゃらシステム。ところで、その義眼が化粧というわけではありませんよね?」
少し揶揄するようにに言ったカズヤは、無道の顔をじっと見つめた。
「いや、目の周りの傷跡がですね。えっと、その。…見ててくださいとは言いましたが、そんなに穴が開くほど見つめられると、なんだか照れてしまいますね…。いや、冗談ではなく。」
頬を染めた無道は、口元を手で覆いながら目をそらしている。
なんだこの甘ったるい空気は?
「二人して、なーにイチャついてるんですか。」
「「あ、おはようございます。」」
そんなやり取りをしていると、シエルラが起き出してきた。
「あれ?ブドウちゃん、その義眼どうしたんです?」
無道の右眼にキラリと輝く義眼に気付いたシエルラが、目を丸くした。
「え、シエルラさんが見繕ったやつじゃないんですか?」
彼女の反応に、意外そうな顔をするカズヤ。
彼はてっきり、シエルラが無道のために用意した義眼だと思っていたのだ。
「初耳というか、初見ですよ。もしかして、ワンガンポートで?」
「はい。親切な露天商の方が格安で譲って下さりました。なんでも、ジムなんとかというクラシカルな名前の名工の、最後の遺作ということで。」
どうやら、ワンガンポートに着いた日に、市場を散策して見つけたものらしい。
綺麗な色合いと、露天商の語るカタログスペックの高さに購入意欲を刺激されたらしい。
「ジムなんとか…。まさかとは思うんですが、ジムノペディアとかいう名前じゃないでしょうね?」
カズヤは、恐る恐る問いかけた。
「そう…、そうです!たしか、そんな感じの名前だったような気がします!」
思い出せそうでなかなか思い出せないものを思い出した時の爽快感をにじませつつ、無道は肯定した。
「え…?本当に言ってます?ジムノペディア翁って呪いの装備の制作者なのでは?」
眉を顰めつつ、恐る恐るといった様子でシエルラが口を挟む。
ジムノペディア・バルカローラント翁は、今からおよそ200年前に存在した有名な細工師だ。
200年前に、独自の手法で風魔素循環法(現在のオリハルコン精錬技術で現在最も主流となっている方法)を編み出し、実用化にまでこぎつけていた天才であった。
魔素の扱いに長けていた彼は、純粋な魔力塊である魂魄を利用した素材加工技術をもって、様々な優れた作品を作り出した。
しかし、作品制作に生物の思念の籠った魂魄を利用するというのは、やはりというべきか悪影響を及ぼすものである。
彼の制作した作品は、優れていた。
ただ、使用者の変死や相次ぐ発狂といった、まあ、いわゆる呪いの装備にありがちな不祥事を都度都度引き起こしたのだという。
結果。
ジムノペディア・バルカローラント翁の作った装備は呪われている。
彼の作った装備を使っていれば、必ず不幸に見舞われる。
そんな都市伝説が残されたのだ。
「てなわけで、ジムノペディア翁の作った作品は、呪われているってことで有名なんですよ。まあ、これはただの噂。所有者が何かしらの不幸に見舞われるというのも、偶然が重なって起こった事故がフィーチャリングされただけなのかもしれません。」
無道に説明を終えたカズヤは、肩を竦めながら締めくくった。
「カズヤ君って肩を竦める癖がありますよね。それはそうと、本当にジム翁の作品だったのなら、ある意味すごいですよ。呪いの噂さえなければ最上級の工芸品ですし、むしろ呪われているからこそ価値があるなんて言うマニアの人もいますからね。」
シエルラが、無道を慰めるように背中を撫でた。
彼女の言う通り、世間には変なものを集める好事家という人種が存在しているものである。
ジム翁の作品に億単位の金貨を積み上げる彼らは、そんなものを集めてどうするというのだろうか。
「ま、まあ…。あの露天商の方が本当にジムなんとかさんの作品を売っていたとは限りませんものね。そ、それなりに珍しい品なのでしょう?私のいた世界にも、有名な作家の作品と偽って贋作を売りつけようとする詐欺師がいましたから!」
疑念を振り払うように明るく言った無道は、右眼に手を当てて義眼を取り外そうとした。
「あ、あれ?外れませんね。」
しかし、眼窩にすっぽりと嵌った義眼は、もともとそういう器官だったかのように外れない。
「……。」
思わず真顔になるシエルラ。
「………キフさん、呪いの装備って外せないんですよね。」
何かを察したような顔で、カズヤが言った。
◆
シエルラによる診察の結果、無道の右眼から外れなくなった義眼は、右眼球摘出時に壊死したはずの視神経や筋肉組織と接続しつつあることが判明した。
フェリーに古物商が乗り合わせていたのは運がよかったというべきか。
古物商の鑑定によると、神経系に接続するという特徴は、生体認証型再補完システムの搭載されている義眼の機能的特徴であるらしい。
そして、生体認証型再補完システムが使用されている義眼というのは、ジムノペディア・バルカローラント翁か、その弟子であるノクトルノ・ソナティーニョの作品で間違いないのだという。
どちらの作品であっても、呪われた作品として名を連ねている。
「ジムノペディア翁というのは、生体部品を作っていた方なのでしょうか?」
呪われた装備を装着する事に関しては開き直った無道が、カズヤに問いかけた。
「いや?何でも屋さんというイメージが強いですね。ソレみたいな義眼や義足も作っていましたし、その一方で北方刀などの刃物や子供向けの玩具まで、幅広く手掛けていたみたいです。」
数々の高品質の作品を、迅速に、大量生産できるように、と考えていたジムノペディア翁。
世のため人のためを考えたその考え方は、取った方法次第では称賛され続けるものだっただろう。
しかしながら、やはりというべきか。
魂魄を利用して制作活動を行うという倫理観に欠けた行いが数多の反感を買ったのだ。
彼の作品が希少な理由の一つとして、そんな創作活動を快く思わなかった者たちによって破壊されたことが挙げられる。
「なるほど。夜間に髪の毛が伸びる人形や独りでに歩き出す傘が存在していたというわけですね。どうせ呪われるのでしたら、北方刀というものが気になります。」
かつて武道場の師範をやっていたという無道としては、刀に興味があるらしい。
無道の居た世界にも、妖刀と呼ばれる刀があったのだとかなんとか。
「北方刀ですか。ジム翁の北方刀といえば…。夜中に話した銀級冒険者の女の人が、1本持っていましたね。」
件の投げナイフ使いの女性は、ジムノペディア翁の作った北方刀を鋳溶かして投げナイフを作ろうとしたのだ。
謎に包まれた精錬技術を用いて作られた刀身は、異様なまでに硬く、鋭かったのだ。
まあ、結局。
呪いの装備マニアの知人の猛反発にあって、そのまま近接戦闘用の刀として使用していたようだが。
「近接戦闘用の剣として持っていたくせに、近接の距離に入る前にナイフで倒しちゃうから、結局解体用に使っていた記憶がありますけどね。取り回しは難しそうでしたけど、いつまでたっても切れ味が落ちないので重宝していました。」
「へえ、勿体ないことをしますね…。私なら、そんな名刀、絶対に重宝しますけど。」
カズヤの話に相槌を打つ無道は、もう開き直って頭の包帯を解いておくことにしたらしい。
生身のはずの左目は相変わらず糸のように細められているが、煌びやかな義眼の入った右眼はぱっちりと開かれている。
なんとも倒錯しているというか、矛盾を孕んだ姿だ。
◆
汽笛が鳴り響く。
時刻はもうすぐ正午。
船は数時間後、最初の港へと寄港する予定だ。
カズヤ達一行は、甲板へ出て厨房で購入してきた昼食を摂りながら、世間話に花を咲かせていた。
「ツチノコですか。根気強く探せば普通にいますよ。」
「えぇ!?居るんですか!?」
カズヤの言葉に、無道が右目を丸くして驚いている。
現在のトークテーマは、『魔物』だ。
「そういえば、最近はあんまり見なくなりましたよね。私が冒険者資格を取ったばかりの頃なんて、普通のヘビを探す方が大変だったぐらいですし。」
かくいうシエルラが冒険者資格を取ったのは100年も前の話だ。
そりゃ、生態系だって変わる。
皮革の模様が美しく、それ目当てで乱獲され続けたせいで、現在、ツチノコはその数を大幅に減らしているのだという話。
それは今、どうでもいいか。
「なるほど。この世界でもツチノコは絶滅しつつある、と…。それにしても、前々から思っていたことですが、この世界に存在する魔物と、私の元居た世界の生き物は似ていますね。」
無道が首を捻っている。
「収斂進化、という考え方があります。」
カズヤが、サンドイッチの入っていた紙袋を畳みながら言った。
「大雑把に説明しますね。似たような環境にいる、生態系内の地位が同じところに位置する魔物のグループどうしが、似たような姿や形質を身に着ける方向に進化するって現象です。」
「うーん……。よくわかりませんが、哺乳類のシャチと魚類のサメが似ている、みたいな話ですかね。」
「そういう事です。」
無道の挙げた例が的を得ていたのか、カズヤは満足げに頷いた。
「へえ、面白い考え方があるものですねえ。じゃあ、ブドウちゃんが暮らしていたという世界の文化と私たちの生きているこの世界の文化が似ているのも、収斂進化というヤツなのでしょうか?」
昨夜の騒動を省みたのか、陸上植物多めのサラダを食べているシエルラが口を挟んだ。
確かに、彼女らの乗っているフェリーにしろそうだ。
無道の口から語られる異世界の話は、あまりにも荒唐無稽なものでもない限りはこの世界の常識でも十分に通用しうるものだ。
似通った概念、むしろ共通概念のもと構築された文化がずいぶんと多いのではないだろうか。
「惑星を生物と捉える概念もありますから、或いは惑星同士で収斂進化が起こったと考えられるのかもしれませんね。」
カズヤはそこまで言って、ニヤリと笑った。
「まあ、これこそ荒唐無稽な話ですが。」
無道とシエルラは、感心したように何度も頷いた。
「カズヤ君って、本当に物知りですねえ。冒険者学校で勉強した知識だけではないですよね?」
シエルラの言う通り、冒険者学校では冒険者として必要になる一般教養程度しか教わらないだろう。
少なくともワタシの知らない知識までもが出てくるので、脚注をつけるのも一苦労だ。
脚注をつけるために辞書と原稿用紙を行き来するのは中々面倒臭い…、とまあワタシの愚痴はこれくらいにしておいて、だ。
シエルラの言葉に、カズヤはすまし顔で肩を竦めてみせた。
「花級資格を持っていると、色々な学者さんと知己になりますからね。」
ジムノペディア→ジムノペディ
バルカローラント→バルカロール
ノクトルノ→ノクターン
ソナティーニョ→ソナタ




