23.消えた御子と船出
「へええ、むぐ、私達が眠ってる間にそんなことが、まぐ…。…ゴクン。…それでどうなったんです?」
クルトンが沢山乗ったサラダを頬張りながら、シエルラが問いかけた。
現在、朝6時。
昨晩、調子に乗って飲みすぎた無道は、血行が良くなりすぎたことが原因で塞がりかけていた傷口が開いたのだった。
カズヤの背中の上で大量の血液を漏らした無道は現在、包帯でぐるぐる巻きになったまま無言でパンを齧っている。
目の下に隈を作ったカズヤは、眠たげに頭を横に振りながらその質問に答える。
「いやあ…。結局、何もかも判らず仕舞い。花級冒険者の名折れって感じですね。というのも…。」
カズヤは、神木の実から出てきた者と、その時の状況を思い出す。
まず、種皮から出てきたのは、柔らかな毛が果汁で濡れぼそった、藍色の尾だった。
カズヤの右手にひっつかまれたそれは、びちびちと元気よく揺れ動いている。
次に出てきたのは、4対の脚の生えた、藍色の毛に覆われた獣の胴体だった。
8本の脚はそれぞれ短く、4本だけならば仔犬の胴体と言われても何らおかしくはなかっただろう。
「いや、リアラの実から仔犬の魔物が出てくるのは十分おかしいですよ。」
シエルラが、スカスカのパンにサラダを詰め込みながらツッコミを入れた。
さて、この時点で既に異様ではあるのだが、ここからがさらに、この話をややこしくしていく。
次に現れたのは毛のない、薄橙の地肌を覗かせた、8本脚の付いていた胴体とは毛色の異なる胴体だ。
毛の生えていない胴体の腹に当たる部分の中央には、1つの臍がある。
その上には、1対の乳首がある。
ちょうどその裏側、すなわち背中側にはコウモリの魔物から毟ってきたような羽が2対も付いている。
その上、それとは別に1対の前足が生えている。
鱗と大きな鋭い爪が生えているものの、指先は物が掴めそうな形をしており、見方によっては純人間の体に魔物の部位を足したような姿であると言えなくもない。
さて、そんな獣と純人間のキメラめいた胴体が、ジタバタと暴れまわっているのである。
頭だけ果実の中に突っ込んで暴れまわるその様子は、巨大な果実からキメラの胴体が生えた冒涜的な生命のようだ。
頭がどうしてもつっかえて出てこなかったので、カズヤはハルタに指示をして、種皮の穴を広げさせた。
ビクビクしながら種皮にナイフを突き立てる彼女の様子が、初めて出産を手伝う助産婦のようで印象的だったのだという。
さて、種皮から出てきた頭部は、一見すると人間の子どものようだった。
下半身や尻尾に生える毛と同じ色をした藍色の毛髪。
トパーズのように輝く透き通った金色の目には、長いまつ毛が生えている。
どこか神秘的ともいえる、美しい顔立ちの子どもの顔だった。
とはいえ、完全に純人間の頭部をしているわけではない。
柔らかそうな桃色の唇からは、肉食獣のような鋭い犬歯が覗いている。
輝く双眸の眦には、爬虫類のような鱗が生えている。
極めつけは、鱗に覆われた尖った耳の上に生えた、短い4本の角であろう。
後ろ向きに生えたそれは、鹿の魔物の生え変わったばかりの角と同じように、ビロードのような手触りの表皮に覆われている。
「ええっと…。要するに、スキュラってことですか?」
シエルラが口を挟んだ。
スキュラとは、下半身が魔獣のような姿をした亜人種の1種である。
下半身に魔物的特徴を多く残した彼らは、魔物から人類に進化していく過程を辿って行く上で、原始的な人類種に位置する種の一つとして分類されている。
「うーーーーーーん。そう言いたいところなんですが、そうとも言い切れなくて…。」
カズヤは腕を組んで唸りながら言った。
「仮にスキュラだったとして、どうしてあんな所に?リアラの種の中にどうやって入ったのか、さっぱりわかりません。それに、そもそも、スキュラだったとして、何の魔物がもとになったんでしょう?」
少なくとも、カズヤのこれまでの冒険者生活では、そんな奇妙な姿をした魔物、もしくは亜人など見たことがなかった。
「それで、そのスキュラの子どもはどうなったんです?…まさか。」
そこまで言ったシエルラの顔が、サッと蒼白になる。
「いや、殺されるどころか、今頃大事にされていると思いますよ。なんせ、神木の実から生まれた子供なわけですから、彼らにとってはいわば神木の化身ってなわけです。」
肩を竦めてそう言ってみせたカズヤ。
「それなら良いんですが…。カズヤ君、私、その子に会ってみたいです。私はいちおう亜人種ですし、その子の素性を調べる手助けができるかもしれません。それに、そのスキュラの子がこの町で生きていくにしろ、この町を出ていくにしろ、なにか手助けができるかもしれません。」
自らの素性を偽って純人間の王国で長く暮らしてきたシエルラは、神木の実から出てきた子どもに自らの境遇を重ねているのだろうか。
同情を禁じ得ない様子でそう言った。
…筆者としては、シエルラの経歴と神木の実から出てきた子どもの素性はあまりにも異なっているように思えるが。
「そうですね。船が来るのは昼頃ですし、会いに行ってみますか。ミイラ…じゃなかった。キフさんはどうする?」
カズヤは、指を動かしにくそうにしながら目玉焼きを箸で食べる無道に声を掛ける。
ちなみに、無道の傷が開いた原因の一つとして、調子に乗って釣りをしすぎたことも含まれている。
「わ、私ですか?そ、その…。私も会ってみたいなー…なんて。」
昨晩、迷惑をかけたことを気に病んでいるのか、ぎこちない様子で無道が答えた。
「そうですか。じゃあ、朝食を食い終わったら行ってみましょう。神木管理団体の本部で世話されてるはずだから、そんなに遠くではないですよ。」
少しホッとした様子の無道に気付かないふりをしながらそう言ったカズヤは、勢いよくサラダをかきこんだ。
◆
「あぁ、先生!先刻はどうもありがとうございました。」
管理団体の本部に着くと、くたびれた様子の団体長が一行を出迎えた。
「ええ、どうもお疲れ様でした。あの子の様子を見に来たんですが…。」
カズヤは、扉から中を覗きこみつつそう言った。
屋内では、なにやら慌ただし気に団体員らが駆けずりまわっている。
「御子様ですか、残念ですが…。ハルタさん、先生にご説明してくださる?」
団体長は、ちょうど通りかかったハルタ女史を呼び止めた。
どうやら、件の子どもは御子と呼ばれているようだ。
「あっ、先生!昨日はどうもありがとうございました!ところで、後ろの方々は…?」
どんよりとした寝不足の目をしていたハルタは、カズヤ一行がやって来ていたのに気付いて営業スマイルに切り替えた。
「僕の旅仲間ですよ。こっちのへんな格好してるのがシエルラさんで、こっちのへんなミイラがキフさんです。それで、あのスキュラっぽい子はどうしてるんです?」
雑に2人を紹介したカズヤは、あまりハルタを拘束し続けるのも申し訳ないので、さっさと本題を促す。
「シエルラさん、キフさん、よろしくお願いします。それで、御子様なんですが、どこかに飛んで行っちゃったんです。」
パタパタと手を動かすジェスチャーをしながら、ハルタは困ったように言った。
「飛んで行った…?もしかして、死…?」
「いえ、比喩ではなくて、文字通りあの背中の羽で飛んで行っちゃったんです。どういうことかというと…。」
ハルタは、カズヤが去ってからのことを話し始めた。
「先生がお帰りになられた後、御子様はしばらくお休みになっていました。」
神木の実から現れたため、むしろ生まれたためか。
『神木の子』という意味で『御子』と呼ばれているらしい。
神木の種子から引っ張り出された直後には、カズヤにじゃれついていた御子。
まるで、刷り込みによって初めて目に入った動くものを親だと思い込む鳥の子どものようだ。
彼(彼女?)は、カズヤが宿に帰っていく時には名残惜しそうにしていた。
「種から取り上げてくれた先生のことを、親だと思われたのかもしれませんね。」
ハルタはそう言って微笑んだ。
さて、管理団体本部に設けられた部屋に連れてこられた後の話。
団体員たちが急ごしらえで縫った服を着せられたり、食べ物を供えられたりしていた御子。
彼(彼女?)は、しばらくは大人しく座っていたが、やがてうつらうつらしだしてすぐに眠りについたらしい。
「お休みになられる御子様の姿は、とても神々しく、お美しかったのです。」
恍惚の表情を浮かべる彼女は、完全に宗教を妄信する者の顔だ。
「それで、御子様ですが、1時間ほどおやすみになった後、軽いお食事を召し上がりました。」
ハルタはそう言って、御子に与えた食事のリストを差し出した。
御子が口を付けたものには赤丸がされている。
見るに、基本的になんでも食べているが、肉を好む傾向にあったようだ。
「見るからに肉食獣ベースな感じでしたもんね。」
口元に覗く鋭い牙を思い出しながら相槌を打つカズヤ。
「そうなんですよ。それで、お食事のあと、何かを探しているみたいに外に出られたんです。探し物が見つからなかったご様子で、一旦は部屋のほうにお戻りになられたのですが…。」
おそらくカズヤのことを探していたのではないかというのは、子持ちの団体員の弁である。
団体員たちの誘導に従って、管理団体の本部に設けられた一室に戻った御子。
しかし、部屋の窓が開いているのに気が付くと、徐にそこから身を乗り出したのだという。
「御子様には3階の空き部屋をお使いいただいていたのですが…。空が近くに見える分、本能的に刺激される部分があったのかもしれませんね。」
護衛兼監視役の団体員が止めるよりも早く、窓から飛び降りた御子は、監視役と偶然居合わせたハルタが見たときにはもう、大空へとその2対の翼を広げて羽ばたいていたのである。
「大空を滑るように駆けていくそのお姿は、まるで神話に出てくる神様のようでした。」
ハルタはそう締めくくった。
「なるほど…。よくわからない子でしたが、そんなことになっていたとは…。ってシエルラさん、どうしたんです?」
カズヤは、ふと横に立つシエルラに目を向ける。
「…話からは、そのスキュラの子がどういう人種なのかはわかりませんでした。ただ、今頃、不味いことになっているかもしれませんね。」
彼女は、不安そうな顔でそれに答える。
「翼を持つタイプの亜人は、子どもを多めにこさえることが多いんです。と言うのも、有翼の亜人のうち、死亡率が一番高いのが幼児期なんです。」
彼女はなにやら専門的な言葉を交えつつ、有翼種の亜人と幼児期死亡率の関係を語った。
ただ、そのまま記すとあまりにも複雑である。
なので、要点だけ言おう。
要するに、有翼種の子どもは、体力や飛行技術がないのに飛びたがるため、落下死をすることが多いのである。
一見すると上手く飛び回れているようにみえる子どもであっても、実はペース配分に失敗していて急に落下死するという事故も少なくはないようだ。
「まあ、要するに、あの子の身に危険が迫っている可能性が高いって事ですよね?…仮に上手く着地できたとしても、この町の周りにあるのは海と森です。急いで捜索隊を派遣すべきなのでは?」
カズヤの言葉に、ハルタは頷く。
「重々承知です。既に、スタッフと町の憲兵団が共同で半径10㎞圏内を捜索しています。」
各所に散らばる痕跡から、御子が飛んで行ったおおよその方角も割り出されているらしい。
中々に優秀な人材の揃っている団体である。
「そういうことでしたら、一安心ですね。僕たちも捜索のお手伝いをしたいところではありますが、残念ながら船があるので。」
「お、お気になさらないでください!先生には、御子様のご誕生の際にたくさんお世話になりましたので。」
わたわたと手を動かすハルタ。
「おーい、ハルタさん。パブロ係長が呼んでましたよ!」
そんな彼女は、団体員の男性に呼び出されて去って行った。
入れ替わるように戻ってきた団体長に挨拶をしたカズヤは、長居をするのも悪いので早々に本部の建物を立ち去った。
◆
さて、ワンガンポートの港を出てアロアロ群島へと向かう定期便は、カズヤ達一行を乗せて定刻通りに港を出た。
どっしりとした魔動汽船は、カズヤ達の2台の荷馬車に加えて、さらに2台の荷馬車を乗せた上で安定した走りを見せている。
甲板の後方では、船員たちが大きなルアーを垂らしてトローリングを行っている。
大きな回遊魚が掛かる度に上がる歓声に、釣り好きの無道はウズウズした様子を見せる。
しかし、その度カズヤに冷たい目で睨まれるので、しょんぼりと項垂れている。
「それにしても、立派な船ですねえ。ブドウちゃんの故郷にも似たような船があったという話ですが、やっぱりこんなに大きな船だったんですか?」
落ち込んだ様子の無道を見かねて、シエルラが話を振る。
「え、あ、はい。むしろ、私の居た世界のフェリーの半分くらいの大きさしかありません。小型化された分、速度は出るのかもしれませんが、運送の効率はその分悪そうですし、精密機器が積まれた快適な船旅も捨てがたいですよ。」
無道は瞼を閉じて…、否、彼女は元々糸目なのだった。
無道は懐かしむように、糸目をさらに細めた。
「この船よりも大きい船が!?造船技術に優れた所に住んでいたんですねえ。……カズヤ君、どうしました?」
急に前屈みになったカズヤに目を向けるシエルラ。
彼女は、カズヤが電子機器に興奮するタイプの変態であることを知らない。
「そ、そんなことよりもキフさん。釣りに参加するのはダメですが、近くで見て来るぐらいならいいんじゃないですか?」
「え、やったぁ!わーい!」
童女のように駆けていく無道。
その様子をシエルラが目で追っている隙に体勢を立て直したカズヤ。
シエルラが目を戻したときには、彼は何食わぬ顔で口笛を吹いていた。
「いやあ、キフさんの釣り好きにも困ったもんですね。ほぼ塞がっていた傷口が開くぐらいハッスルするなんて、予想も付きませんでしたよ。はっはっは。」
彼らしくもない空虚な笑い声に訝し気な目を向けたシエルラ。
しかし、彼女は無道の方にもう一度目を向けると、大きなため息を吐いた。
「…私の薬を使っている以上、一般的な純人間の方だっかたら、とっくに完治しているはずです。どんなに釣りをしても、なんなら一日中剣を振るっていても傷が開くことはないでしょう。それなのに…。」
彼女は、眉を顰めて、楽しそうに船員と話しをする無道を見る。
大きなバートレリという回遊魚が釣り上げられる様子を見た無道は、シエルラの視線に気が付くとこちらに手を振ってきた。
「…なんかあの人、幼児退行してません?」
真顔で無道に手を振り返しながら、小声でカズヤが言った。
「…傷の治りを遅らせる呪詛というものがあるのですが、それにかかると出血の度に知能指数が下がって行くみたいですよ。」
笑顔で無道に手を振り返しながら、冗談なのか本気なのかわからない口ぶりでシエルラが言った。
矛盾点の修正(13/7/2020)




