21.深夜の指名依頼1
深夜。
にわかに騒がしくなる宿の向かいの通り。
部屋に送り届けた無道に悪態をつきながら布団に潜り込んでいたカズヤは、部屋の扉をノックする音によってベッドから引っ張り出された。
「なんでしょうか、自分のツレたちがまた何かしでかしましたか?今度は何を漏らしたんです。」
ドアを開けたカズヤは、不機嫌そうな声で部屋の前に立っていた宿のオーナーに問いかけた。
「夜分遅くに申し訳ございません。お客様は冒険者資格をお持ちということで、お声を掛けさせていただきました。」
口髭を蓄えた上品なオーナーが、カズヤに深々と頭を下げながら言った。
「…用件は何です。魔物でも出ましたか?明日から…、というかもう今日か。今日から船旅なので、ちゃんと眠っておきたいんですが。」
八つ当たりではあるが『先ほどの件』もあって、睡眠を邪魔されたことに対する苛立ちを隠そうともしないカズヤ。
無道のしでかしたことに関してはこのオーナーには無関係だ。
むしろ従業員を遣わせて片付けの手伝いをしてくれたのだから、イライラをぶつけるのはお門違いもいい所なのだが。
何があったかについてはご想像にお任せする。
「お休みのところをお邪魔してしまい、重ね重ね謝罪させていただきます。依頼料に重ねて、迷惑料もお支払い致しますので、どうか話だけでも聞いていただけませんでしょうか。」
さらに深々と下がる頭。
「…どうして僕なんです。僕よりも優秀な冒険者が宿泊していたはずでしょう。」
恐縮しきった様子のオーナーに少し罪悪感を覚え始めたカズヤは、乗り気ではなかったがオーナーを部屋に招き入れた。
「失礼いたします。おっしゃる通り、本日の当宿には、銀級冒険者のパーティのお客様方が宿泊しておいでです。」
部屋に入ったオーナーは、勧められた椅子に腰掛けると話し始めた。
宿から少し離れたところに、神木と呼ばれるリアラの古木が生えている。
一般的なリアラの木の幹はオレンジに近い褐色だ。
しかし、この神木は長い年月を生きるうちに表層部の色素が抜け、コルク状になった細胞壁内部に担子菌が侵入している。
その担子菌の子実体が、まるで瓦屋根のように幾重にも重なって生えていることから、異様な姿形をしているのだという。
さて。
そんな神木が、実のようなものを付けたのが今回の騒動の種だ。
ちなみに、リアラの木がこの時期に実をつけるのはさほど珍しいことではない。
初夏から夏にかけて生るリアラの実は、緑色をしていて、中に大きな種があるものの甘酸っぱい味がして食用としてよく利用される。
果実の大きさはだいたい成人男性の握りこぶしよりも一回り小さいぐらいで、果皮には柔らかい産毛のようなものが生えている。
さて、そんなリアラの実が、古き神木にも1つの生ったのだという。
実はこの神木、実を付けなくなってから久しいのだという。
最後に結実が観測されたのは、もう半世紀も前だと記録されている。
そんな木が実を付けたのだから、港町の人々が吉兆だと喜んでいたのは別の話。
「なるほど、だからリアラの実を推した土産物が多かったんですね。」
カズヤは、市場で見かけた『神木まんじゅう』やら、『リアラぬれせんべい』やらを思い出しながら相槌を打った。
さて、ここからが本題だ。神木に付いたたった一つの実は、商工会や住民たちによって手厚く保護されていた。
誰かに盗まれることもなく、魔物に食われることもなかったその実はどんどん大きく育って行った。
そう、大きく育ちすぎたのだ。
巨大に育った神木の実は、もはや大人の腕で一抱えほどの大きさに育っていた。
産毛の生えた滑らかな果皮には、住民たちの手入れによって傷一つなかったが、次第に血管のような表面が浮かび始めた。
緑色だったそれは、次第に赤味を帯びていき、カズヤ達がこの町を訪れた頃には真っ赤になっていたのだという。
そして、つい先刻。
真っ赤に熟れた実が、なんと血を流し始めたのだ。
血、というのはある意味での比喩表現である。
実際は、鮮血のように赤い果汁が、熟れて裂けた漿果から流れ落ちてきただけであるらしい。
とはいえ、こんな深夜に割れた巨大な果実から幹を伝って真っ赤な果汁が流れ落ちる様子は、グロテスクで不気味であろう。
瞬く間に大騒ぎになったのである。
「なるほど、ようやく読めてきました。花級冒険者が必要だったというわけですね?」
「その通りでございます。」
カズヤの言葉に頷くオーナー。
町の人の中に、今になって神木が魔物に寄生されたのではないかという危惧を抱いたものが居たらしい。
実際、植物に寄生して、植物実のような姿になることで他の魔物に運んでもらう魔物というものも存在している。
神木の異様な実が魔物によるものなら、冒険者ギルドに相談するのが一番だ。
そこで、ギルド職員を叩き起こして相談したところ、花級冒険者に調べさせるのが一番だということになったらしい。
花級資格を持つ冒険者は、採取のスペシャリストである。
よって、その豊富な知識から樹木医のようなことも出来るのである。
花級冒険者に相談すれば、神木に起こっていることが正常な事なのかどうかが分かるかもしれない。
はたまた、結実が異常事態だった場合にどう対処すればいいのかが判明する可能性が高い。
しかしながら、花級資格所持者の数は全世界を見渡してもかなり少ない。
「この町に定住している花級資格者が居なかったから、偶然この宿に宿泊していた僕に白羽の矢が立ったと。」
「白羽の矢が立つ、とは素敵な表現をなさいますな。おっしゃる通りでございます。」
オーナーはそう言って頷くと、懐から小切手2枚と依頼書を取り出した。
一枚の小切手には、依頼報酬にしては十分すぎる額の金額が書かれている。
もう一枚の小切手には、それよりかははるかに少額だが、無視できないほどの金額が記されている。
「こちら、本件でお休みのところをお邪魔した迷惑料となっております。いざという時のための町民基金から出たものでございます。ひとまずお納めください。」
オーナーは、少額の方の小切手をカズヤに手渡した。
「…受け取らなければ、行かなくてもいいんですかね?僕が行かなかった場合、どうなります。」
カズヤは、もうほとんど行く気になっていたが一応聞いてみることにした。
落とし穴は警戒するに越したことはない。
「ギルドに依頼を発注し直し、近隣の町のギルドに所属する花級冒険者の方に来ていただく必要があります。おそらくは今日から1週間以内にはいらっしゃると思いますが…。」
オーナーは言葉を曇らせた。
カズヤは依頼書に目を落とした。
指名依頼で、カズヤの名前がフルネームで記されている。
指名依頼は指名者が決まっている分、手続きが迅速なのが理由だろう。
ここでカズヤが断ってしまうと、ギルドから新しく依頼を発注しなおすことになるだろう。
そして、ギルドから出る依頼ということは、人命が絡んでいないことを考慮して、指名なしの第一種一般依頼ということになるだろう。
そうすると、依頼申請が通るまでにまる1日、受注者が現れるまでにさらに1~2日、最寄りの村からこの町まで受注者がやって来るのに3日と考えると、最短でも5日はかかるだろう。
花級冒険者の少なさを考えればもっと時間がかかると考えるべきかもしれない。
その頃にはきっと、神木の実の状態は、現状と変化しきってしまっているだろう。
「わかりました。お力になれるかはわかりませんが、お受けします。」
カズヤは重たい腰を上げることにしたのだった。
◆
夜闇を照らす街灯の光、月の光を照らし輝く海。
残飯の饐えた匂いに混じって磯の匂いが漂ってくる。
そして、それに混じって異様な甘い香りが漂ってくる。
「これか…。」
カズヤは、眼前にそびえ立つ巨木を見て、思わず唸った。
幹から重なり合うように生えた木質のキノコがまるで瓦葺きのように北側の幹を覆っている。
幹の色は聞き及んでいたように、一般的な黄褐色ではなくて灰色に脱色されている。
そして、その灰色の上に、時間が立って少し赤黒く変色してきた液体が滴っている。
強い甘い香りを放つその流れを辿っていくと、木の頂点付近の一番太い枝に、真っ赤な球状の巨大な果実が見出された。
果実の重みに枝はしなっており、これ以上巨大化すれば枝の付け根から折れてしまいそうだ。
真紅の果実の下部は捲れるように裂けており、そこから果汁がぼたぼたと零れ落ちているのだ。
まるで、果実が何かを出産しようとしているかのようなその光景に、町の人々が恐怖を覚えたのも無理はあるまい。
「カズヤ先生、なにかおわかりでしょうか。」
神木の管理団体の長だという老齢の女性が、不安そうな顔でカズヤに問いかけた。
それにしても、カズヤ先生とは…。
「確かに、ドライアド系の魔物に寄生された例に似ているようですが…。それにしては腹足や触覚痕が見当たりませんね。」
目を眇めるようにして、光魔法で照らし出された果実を検分するカズヤ。
ドライアドには、魔物のドライアドと亜人のドライアドがある。
カズヤが言っているのはもちろん前者であり、こちらは虫の魔物の一種である。
「うーん、下からだとよくわからないな。梯子はありますか?」
カズヤの指示に従って、管理団体員が脚立を2本持ってくる。
一本はカズヤが登り、もう一本は管理団体長が登った。
果実に近づくたびに甘い香りは強くなっていき、それに続いて何やら嗅いだことのあるような異臭がする。
「なんの臭いだ、これ…?嗅いだことある臭いなのは間違いないんだけど…。」
お世辞にもいい香りとは言えないその臭気は、一般的なリアラの実がどんなに熟しても香ることはないし、ドライアドの発する臭いとも異なるものだった。
「本当ですね。下から見ていた限りでは気づきませんでしたが、近くに寄ると、嗅ぎ覚えのあるような臭いがします。組員に鼻自慢の者が居ますので、その者にも嗅がせてみましょう。」
団体長は、滑り落ちないようにゆっくりと脚立を降りていく。
そして、後方で控えていた、眠たそうな犬人の男性を連れてきた。
彼は脚立を登ると、団体長に指示されたように果実の臭いを嗅いだ。
「…狼の毛のような臭いがしまさぁ。雨に打たれて濡れ細った狼の毛の臭いですな。」
彼はそう言うとくしゃみを一つして、脚立から降りて行った。
「ふむ、狼…。」
カズヤは首を捻った。
リアラが熟しても狼の臭いがするはずもないし、狼の毛の臭いのする種のドライアドもカズヤの記憶にはない。
現段階で考えられるものとしては新種か、この大陸外の希少種か。
少なくとも、外見から考えられるのはここまでだった。
「あのう…。」
脚立を支えていた、気弱そうなエルフの女性が恐る恐るといった様子で声を上げた。
「この幹に生えてるキノコのせいってことはないんでしょうか…?リアラにこんなキノコがついてるの、みたことないんです。」
聞けば、彼女は草本を専門とした植物学者なのだという。
「ふむ。」
カズヤは、神木の幹の北側に集中したキノコを一瞥する。
「ただのコクロウノイグスリですね。リアラに付くのは珍しいですが、例がないわけではありません。それにしても、コクロウノイグスリとは…。」
カズヤはかさかさと乾いたキノコに手を振れる。
北方文字で『黒狼之胃薬』と書くそのキノコは、胃潰瘍に効果があると言われている。
「一部だけ、採取してみてもいいですか?」
「もちろんです。」
神木を傷つけるのはどうかと思ったカズヤだったが、団体長はあっさりと了承してくれた。
「神木の生命に比べれば小さいことですので。」
彼女の言葉を聞いたカズヤは、コクロウノイグスリの小さい一株を指でむしり取る。
むしり取ったコクロウノイグスリを細かい欠片に砕き、アイテムストレージから取り出した試験管に入れていく。
それぞれのサンプルに光を当てたり、薬品をかけたりして反応や変化を調べていく。
「…うん、一般的なコクロウノイグスリですね。これは関係なさそうです。名前からして狼なんて付いてるので、ちょっとドキッとしましたが。」
妙な偶然もあるものですね。と呟いて、カズヤは実験キットをアイテムストレージにしまい込んだ。
町の門の関所で冒険者証を確認することになっているので、無断で町に侵入したりしない限りは、冒険者としての素性が記録の形で残っています。




