16.星を釣った男と金を儲けた女
「釣りですか。ずいぶん急ですね。あと、仕事は見つかったんですか?」
カズヤは、出て行ったときには持っていなかったはずの釣竿を2本も肩に担ぐ無道を見る。
なんだかその姿はサマになっている。
「仕事はないらしいですけど、釣ってきた魚を買ってくれるそうです!」
目を輝かす無道はまるで幼女か少年のようだ。
出会った頃はあんなに堅苦しい言葉遣いだったのに…。
「釣りですか、いいですね!私も、川での釣りならしたことがありますよ。」
乗り気な様子のシエルラは、魔石コンロに掛けられた網の上で踊っているイカの干物を一気に頬張った。
「釣りかぁ…。あんまり得意ではないんだよね。」
あまり気が乗らなさそうな物言いのカズヤだが、重たい腰を上げている。
「意外ですね、カズヤなら釣りも得意そうなものですが。よし、折角ですから、釣り名人と呼ばれた私がコツをお教えしますよ!」
「先生、よろしくお願いします。」
ウキウキしている無道に乗ってやりながら、カズヤは上着を羽織った。
だいぶ暗くなってきた外。
家々は、ぽつぽつとランタンを点け始めている。
「この時間帯は夕まずめといって、魚の活性が上がる時間帯なんです。いい感じの釣り場を見繕っておきましたので、そこに行ってみましょう。」
仕事を探しに行ったというよりも、釣り場を捜し歩いていたのではないか?
そう思ってしまうほど、無道はスムーズに二人を案内していく。
「元気だなぁ…。松葉杖が無かったら、怪我人だってわからないよ。」
そんな言い方をしつつも、無道が元気になったことに嬉しそうなカズヤ。
「そういえば、シエルラさんも釣りをやったことがあったんだね。意外です。」
もぐもぐと口を動かし続けるシエルラに、カズヤは声を掛けた。
「もぐもぐ…ごくん。竜人族は、釣りが得意な種族ですからね。ちゃんとした餌さえあれば、魚が少なくてもチョチョイのチョイなんですよ。」
イカの干物をようやく飲み込んだシエルラは、そう言うと力こぶを作るように細い腕を曲げた。
「そういえば、その肝心の餌がないわけですけど、どうするんですか?」
カズヤはふと疑問に思う。
「それはですね。ほら。」
無道は、カズヤの言葉を聞くと、しゃがみ込む。
一瞬、彼女の腕がブレる。
差し出されたその手には、いつの間にか小さなカニが掴まれている。
「…今、見えました?」
シエルラが、困惑するようにカズヤに問いかける。
「腕が消えたように見えたけど…」
カズヤも困惑したように答える。
「このカニをこうやって、針につけて…」
あれよあれよという間に釣竿の準備をした無道は、適当な水面にそれを投げ込む。
カズヤとシエルラは、海を覗き込む。
ウキも撒き餌もない、シンプルな仕掛けだ。
無道は、鼻歌まじりに竿を構える。
一瞬、竿先が動いたと思うと、いつの間にか無道の手には大きな赤い魚が。
「ね?簡単でしょう?」
あまりの早業に、ぽかんと口を開ける二名。
いつの間にか集まって来ていた漁師たちも、無道の業に舌を巻いている様子だ。
どうやら、彼女の釣りあげた魚は高級魚だったらしい。
釣った魚の顎に縄を通し、水中に放り込む無道。
魚籠や生け簀を持たないので、鮮度を保つためにこうしているらしい。
「さあ、釣って行きましょう!私は糸と針さえあれば大丈夫なので、お二人はこの竿を使ってください。私はちょっとこっちで釣ってますけど、私の予想だと、お二人にはこの堤防の先端あたりがいいと思いますよ!」
放心している二人に釣竿を手渡した無道は、松葉杖をついたまま、ひょいひょいと言わばの方へ向かっていった。
「「………。」」
カズヤとシエルラは、顔を見合わせる。
「…つ、釣って行きましょうか。」
「…そうですね。」
二人は、無道に勧められた堤防の先端へと足を運んだ。
「さて、と。」
無道の釣りに肝を抜かされたカズヤだが、クエストで釣りをした経験はある。
アイテムストレージから虫網を取り出すと、堤防を歩くフナムシへと振り下ろす。
「…よし。」
彼は、一旦餌の数を確保することにしたようだ。
堤防を歩くカニやフナムシ、海藻の塊に潜む小型の魚の魔物を採取していく。
「シエルラさん、虫とかって大丈夫ですか?」
一応、少し離れたところに腰かけるシエルラを気遣っておく。
「虫ですか?美味しいですよね。」
…大丈夫そうなので、捕まえた餌を半分容器に分けて、シエルラに手渡す。
「あ、助かります。」
ここで釣り餌をつまみ出さなかったので、一安心した。
次に、カズヤはフナムシを取り出す。
少し大きめの釣り針にフナムシを刺すと、海面にそれを落とす。
辺りは薄暗く、竿先は良く見えない。
カズヤは釣竿を足の間で挟むと、アイテムストレージに手を突っ込んでランタンを取り出した。
ついでにマッチも取り出し、ランタンの芯に火を点ける。
「うおっ!」
ちょうどそのタイミングで、釣竿が魚信を伝えてくる。
慌ててランタンをセットすると、急いで釣竿を上げる。
「…餌だけ取られてしまった。」
糸の先にはなにも付いていない。
餌のフナムシはきれいさっぱり消えていた。
「もう一回…。」
今度はエサ持ちのよさそうな小ガニを針につけ、海に放り込む。
しばらくアタリはない。
ザザーン、ザザーン、と堤防を叩いては引いていく波の音が心地よい。
この音を聞きながらぼうっとしているだけで何時間も潰せそうな気分になってくる。
「平和だなぁ。」
カズヤはそんなことを呟く。
世には悪党がはびこり、国々は戦争を続ける。
遠くの国で現れた魔王討伐のために勇者が立ち上がったという話を耳にするが、それでも世界は平和に回っている。
風がふいて釣り糸が弛むが、それはあたかも平和に慣れ親しんだ世界への風刺だ。
「ふああ。」
1/fに揺らぐ波音に、思わずあくびが出てくる。
揺れるランタンの明かりは、ぼんやりと暖かな光を周囲にまき散らしている。
「ほにゃあああああ!?なんでこんな時までタコが!?!?」
なにやら後ろで喚いているシエルラの悲鳴すら、なんだか心地よい気がしてくる。
「なかなか来ないなぁ。…あれ?」
カズヤは、ふと釣り糸を見る。
風はもう止んでいるのに、釣り糸はまだ弛んでいる。
餌のカニが浮いてきてしまったのだろうか?
海面をのぞき込むが、薄暗くてよく見えない。
「おかしいなぁ。」
彼は、糸を張ろうと釣竿を引っ張る。
グン、重たい引きが竿にかかる。
慌てて竿を上げようとするも、ビクともしない。
「うおっ!デカいかも!!」
カズヤは思わず声を上げる。
「うわっ!?竿がすごい曲がってますよ!!」
顔をタコの魔物の墨で真っ黒にしたシエルラが驚く。
「ちょっと、ブドウちゃんを読んできます!!その間、堪えていてくださいね!!」
彼女は、自分の釣竿をいそいで上げると、大慌てで無道のいる岩場へと這って行った。
「カズヤ、大丈夫ですか!?」
松葉杖をつきながら、無道は大急ぎでやって来た。
シエルラがぶら下げている大量のキョダイ魚は、無道が釣り上げたものだろう。
「き、キフさん!全然上がんないよ!!」
ずっと竿を持っていかれまいと格闘していたカズヤは、釣り名人の登場に安堵する。
「もう大丈夫ですよ、安心してください。さあ、竿を!」
カズヤはそんな頼もしい無道に竿を預ける。
「ぐっ、凄い重い…!……。」
竿を手渡された無道は、竿先の重たさに顔をしかめる。
しかし、すぐに真顔になった。
「え、ど、どうしたんですか…?まさか、逃げ…?」
カズヤは顔を青くする。
せっかくひっかけた大物が逃げてしまったのだとすると、虚しい。
「…。根掛かりですね。」
竿をびょーん、びょーんと動かしていた無道は、竿を下ろして断言する。
「ね、根掛かり…。」
巨大魚ではなく、星と格闘していたことに気付いたカズヤ。
彼の肌が、羞恥でみるみるうちに赤く染まっていく。
「ま、まあ。そういう事もありますよ!」
カズヤの肩をぽんぽん叩いて慰めるシエルラ。
「ちょっと、糸を長くとりすぎたのかもしれませんね。多分、右側に引っ張ると外れると思いますよ。」
無道は、弄らない方がカズヤのためと思ったのだろう。針外しのアドバイスをして、カズヤに竿を戻してくる。
「な、なるほど…。やってみますね…。」
カズヤは顔を赤くしたまま、言われたように竿を動かす。
少しの抵抗の後、竿先が軽くなる。
「あ…外れたみたいです…。」
虚無感に襲われながら、ゆっくりと竿を上げるカズヤ。
「あれ?なんかついてますよ?」
シエルラが上がってきた針を指差しながら言う。
「本当ですね。この針の大きさによく食らいついた者です。」
無道が少し感心したように言う。
針には、針よりも少し大きいぐらいのごつごつした魚が付いていた。
「たぶん、この子は根魚なんでしょうね。気づかないうちに掛かってたこの子が、岩の間に入っていたのでしょう。」
無道は納得したように頷く。
「な、なんだかなぁ…。」
体のわりに大きな口をしたその小魚を針から外し、カズヤはため息をついた。
「…で、ポポモモラが11匹、と。計算するからちょっと待っとくれよ。」
結局あの後、無道が際限なく釣り上げ続けるので切りのいいところで切り上げることにした。
カズヤは先ほどの小魚をリリースして釣果0匹、シエルラは尻尾に絡みついてきたタコ1匹、無道は巨大魚ばかりを40匹以上キープして納竿となった。
食べきれる量ではないし、買い取りたいという人が多かったので、すぐに魚屋で釣果を買い取ってもらうこととなった。
「…金貨5枚だね。」
「金貨5枚ィ!?」
想像以上の高値に驚くカズヤ。
「き、金貨5枚って、王都にいたときの私の月収よりも多いぐらいですけど…?」
元・『王の薬箱』シエルラが震えている。
一般的な王国民の月収が銀貨300枚であることを考えると、無道の本日の日給は王国民の月収160人分以上となるのだ。
競りに来ていた魚商人たちも、驚きの声を上げている。
「これって凄いんですか?」
この世界の相場に詳しくない無道は、一人首を傾げる。
彼女は近くにいた商人に話を聞くと、その価格の大きさを理解して腰を抜かさんばかりに驚いている。
「釣り物の魚ってのは、傷が少ないからね。」
価格査定を行ったおばさんが、額の汗を拭いながら言った。
「それに、お姉さんが持ってきた魚は全部、高級店に持ってっても恥ずかしくないような高級魚ばかりだ。しかも、ぜんぶ良い大きさだよ。」
タバコに火を点け、深くそれを吸い込んでから、おばさんは続ける。
「お姉さんはこの辺の人じゃないみたいだし、多少は色を付けさせてもらったよ。だけれども、それでも儲けられるぐらいにはいい魚ばかりだよ。」
おばさんは嬉しそうにそう言って、タバコの箱を差し出した。。
「あ、結構です。」
無道は手を横に振ってそれを断った。
私は釣りが好きですがへたくそでした。




