15.Mizuhopecten yessoensis(イタリック体)
漁村にやって来た一行は、少し宿で休んだ後、海産物を食べるために食堂へ向かうことにした。
街道に近く、観光産業も盛んなこの村には、多くの料理屋があるのだという。
借り宿の持ち主にオススメの食堂を聞いておいたカズヤは、漁村の景色を物珍しそうに眺めながら先頭を歩いて行く。
海に目を奪われっぱなしのシエルラは、いつか転ぶのではないかと思わず心配になってしまいそうだ。
一方で、海の近く出身という無道は、異世界そのものに興味をひかれているようだ。
自分の生まれた町との違いを再確認しているのだろう。
漁網やブイが干されている傍らには、魚を捌く婦人たちが井戸端会議がてら仕事をしている。
そのそばで魚のおこぼれを狙っているまんまるな毛玉は、ネーコという魔物だ。
婦人たちの旦那はというと、火と燃料を入れた缶を囲みながら、魚を肴に酒を飲んでいる。
シエルラと無道の美人二人の姿を見ると、口笛を吹いたりして囃し立ててくる。
「なんだか落ち着きませんねぇ…。」
女性として見られることになれていないシエルラは、すこし恥ずかしそうに漁師たちに向けて手を振っている。
「まあ、見たところ若い女性が少ないからね。美人二人を伴ってる僕は、変なちょっかい掛けられないか、ヒヤヒヤしてますよ。」
肩を竦めながら少し早歩きになるカズヤ。
変な性癖を持っている彼だが、別に美醜感覚に疎いわけではない。
「言っててちょっと恥ずかしくなってきたよ。」
「照れているようには見えませんが。むしろ、言いなれているように見えますが?」
ちょっと距離を取ろうとするカズヤに、首を傾けながら言う無道。
「いい匂いがしてきましたし、早く食堂に行きたくなったのでしょう?」
「まあね。」
空腹が腹を刺激する。
お目当ての食堂を見つけた彼は、扉を引いて中に入る。
「3人。空いてる席はありますか?」
「こちらへ。」
店員の青年の案内に従って、席に着く3名。
席についた3人は、適当にお勧め料理を頼む。
暫く雑談をしながら待っていると、皿に豪快に盛られた料理たちがやって来る。
「なんというか、すごい匂いが強いですね。リックみたいな香りと、知らない匂いがします。」
鼻腔を膨らませて料理を嗅ぐシエルラ。
「これが、海産物の匂いですよ。あと、リックみたいな匂いじゃなくて、リックが使われているみたいですね。」
皿の中を検めていたカズヤは、彼女にそう言って、自分の皿に炒められた貝をよそった。
「これがこちらの世界の貝…。なんだか、ホタテにそっくりですね。」
無道は、フォークでスープの具となった貝柱を割ってみながら言った。
「この貝がいっぱいですね。この辺りの特産品なのでしょうか。」
「ホタテみたい、じゃなくてホタテだぜ、姉さん。」
浅黒い肌の店員が、新たな皿を置きながら言う。
「あっちにいるジョーンズからだ。」
彼の指す先には、ビールっ腹のオヤジが手を振っている。
「へえ。ブドウちゃん、良く知ってましたね。」
オヤジに手を振り返して、シエルラはシンプルに焼かれたホタテを頬張る。
「甘い!美味しいです!」
彼女の頬は綻んでいる。
「本当に帆立貝なんですね…。」
店員が立ち去るのを見届けたのち、声を潜めて無道が言う。
「…私の元いた世界にも、同じような味で、全く同じ名前の貝が居たんですよ。」
「へええ。物凄い偶然があるもんですね。」
驚きながらも食器に伸びるを止めることがないカズヤ。
「うーん、美味。」
「ずいぶん気に入ってるみたいですね。」
かく言うシエルラも、すごい勢いで皿を空けていく。
「すごい食べっぷりだな、竜人の嬢ちゃん。」
さらに追加で皿を持ってくる青年店員。
「あっちにいるジュリアーノからだ。」
彼の指す先には、すごく日焼けした白髪のオヤジが手を振っている。
「おんなじ貝ばっかりなのに、味付けや調理の仕方が違うから飽きが来ないですね。全部美味しいです!」
オヤジに手を振り返しながら、シエルラは言う。
「そう言ってもらえると、シェフも喜ぶぜ。インナーカラーの姉さんはあんまり手が進んでないみたいだが?」
「ゆっくりと味わっているだけです。…なぜシエルラが“嬢ちゃん”で、私が“姉さん”なのか理由をお聞きしても?」
噛みしめるようにスープを味わう無道の、後半の声色は冷え切っている。
「…お、おっと。オーダーだ。」
逃げるように別の席へと飛んでいく青年店員。
「シエルラさんと違って、キフさんは落ち着いてて大人っぽいからなぁ。」
去って行った店員を憐れんで、フォローを入れてやるカズヤ。
「このリック炒め美味いなぁ。キフさんも食べてみてくださいよ。」
彼は、リックの鱗茎がふんだんに使われたホタテの炒め物を、キフの傍へと押してやる。
「お、美味しそう…!で、でも、匂いが…」
口臭を気にする理性と食べたいという欲求が争っているのか、無道は手を出したり引っ込めたりしている。
「食べないんですか?じゃあ、私がもーらおっと。」
道の味に気持ちが上がっているシエルラは、そんな些細なことを気にも留めない。
トングで豪快に、3/2ほどを皿に取り分けた。
「本当にいい食いっぷりだな、嬢ちゃん。」
テーブルに新たな皿を持ってくる青年店員。
「あっちにいるベンソンさんからだ。」
彼が指差す先には、黒い髭を長く伸ばしたオヤジが手を振っている。
「…美人効果はすごいですね。すごい勢いで料理が送られてきますよ。」
やって来たホタテのカルパッチョを微妙な目で見つつ、容姿に自信のないカズヤが独り言ちた。
「うちのブドウちゃんは、かわいいですからね。皆さん、ついつい奢りたくなっちゃうんですよ。」
オヤジに手を振りながら、シエルラはカズヤの独り言を拾い上げた。
まあ、確かにそれもあるのだろうが、村のオヤジたちはシエルラの食べっぷりを面白がっている節が強い。
シエルラがすごい勢いで皿を干す度に、歓声が上がっている。
その日、カズヤと無道は安い金で腹がはちきれそうになるほどホタテ料理を食った。
シエルラは、お土産にもらったホタテフライをもちゃもちゃ食べながら借宿へと戻った。
「う、動けない…。」
腹が苦しいほどに膨れたカズヤは呻いた。
「う、動きたくないですけど、漁師さんにお仕事貰わなきゃ…。」
同じく膨満感に苦しむ無道が呻きながら宿を出ていく。
「そういえば、結局海藻を食べてなかったですね。ちょっと買ってきます。」
シエルラは、お目当ての海藻を求めて元気に出ていく。
宿にはカズヤだけが残された。
一人残ったカズヤは、腹を押さえながらアイテムストレージを開く。
いつぞやにシエルラからもらった胃薬を取り出し、苦しそうにそれを飲み込む。
口を開けばホタテが飛び出してきそうになる。
彼は、無言で椅子から立ち上がると、ゆっくりとベッドへと向かう。
「うぅ…。」
久しぶりのベッドだ。
そう呟こうとした彼は、こみ上げてくるものを飲み込みなおした。
ゆっくりと、腹に圧をかけないようにして横になる。
彼は、横になったまま緩慢な動きでアイテムストレージに手を突っ込むと、中からマップを取り出す。
今日含めてこの漁村で3日過ごし、4日かけて港町ワンガンポートに辿り着く予定だ。
この村からワンガンポートまでの間に町や村はないので、明日・明後日でしっかり補給していく必要があるだろう。
ただ、今は動きたくない。
久々のだらだらとした時間に、カズヤの目は自然と閉じていく。
パサリ、顔の上にマップが落ちたが、それを払いのける前に彼の意識は夢の中へと入って行く。
夢の中で、彼はドラゴンゾンビと戯れている。
「いや、こんな満腹なときにドラゾンさんの臭いなんて嗅いだ日には大惨事だよ!?」
カズヤは夢の中で叫んだ。
「え。」
漂白された骸骨のように真っ白な髪をした美女の姿を取ったドラゴンゾンビは、カズヤのその言葉に傷ついたような顔をする。
「ど、どうしてそんなひどいこという?」
たどたどしい口調で、泣きそうな顔をするドラゴンゾンビ。
「わたし、くさくない。ふろーらる、いいにおい。」
竜の形態をとった時は竜の腐乱死体。
いい匂いがするとは到底思えない。
「臭いもんは臭いんだって。臭う本人は、自分の臭いに気付けないもんだよ。」
故郷の知り合いの顔を思い出しつつ、カズヤは苦い顔をする。
夢の中だと人は直情的になるのかもしれない。
覚醒している時にはさすがにもっとオブラートに包んだ言い方ができるカズヤだが、この二人(一人と一柱?)の空間では歯に衣着せぬ物言いだ。
…私も自分が匂っていないか不安になってきた。
「うう、あんまりなものいい。カズヤこそ、ちっぽけなにんげんのくせに。」
人の姿から、人の姿に巨大な3本角と翼、尾を生やした姿に変わったドラゴンゾンビ・フローラルは咆哮を上げる。
「…あれ、びみょうにもどれない?」
不思議がるフローラル。
「そりゃそうだよ。この夢は僕のものだ。君は勝手に居座る侵入者だ。なんでもかんでも自由にできるとは思わないことだね。」
呆れたようにそんな姿を見るカズヤは、肩を竦めた。
そして、夢の中のアイテムストレージに腕を突っ込む。
「なんか甘いものでも飲む?」
「ぺっしぇのじゅーす!」
甘いペッシェの実を絞ったジュースに目を輝かすフローラルは、すっかり機嫌を直した様子だ。
なんと単純な竜なのか。
暫く戯れていた一人と一柱は、夢の外から漂ってくる匂いに気が付く。
「…いかくさい。…………カズヤ?」
「イカ臭いね。あと少し焦げ臭い。どうしたんだろう。そしてなぜ僕を見る。」
カズヤは、変な目で見てくるフローラルをジト目で見返した後、意識を覚醒させる。
「なんだこのイカ臭さ。」
体を起こすカズヤ。
腹の苦しさはだいぶん収まっている。
アイテムストレージにから時計を取り出して確認すると、眠りについてから大体3時間が経っていることに気が付く。
「むしゃむしゃ。あ、カズヤ君。おはようございます。」
椅子に座っているシエルラ。
彼女は、机の上に摩石コンロを置き、そこでイカの干物をあぶっては口に運んでいる。
「スルメですか?食べるのは良いんですけど、換気ぐらいはしてください。」
「あ、ダメですよ!窓を開けたら、お隣さんにイカを食べてることがバレちゃいますよ。」
ホタテフライを食べ歩きしていた女がよく言うものだ。
カズヤは、心の中でそんなことを考えながら窓を開け放った。
外の空気が部屋に流れ込んでくる。
新鮮な空気は、潮の匂いを纏っている。
「えー…。せっかくいい匂いだったのに。」
不満そうな顔をするシエルラは、海を凝縮したようなイカの匂いが気に入っていたのだろう。
「カズヤ君も食べますか?いっぱい貰って来たので。」
シエルラは、部屋の入口に積み上げられた紙袋を指差す。
「こんなに貰って来たんですか…。まさか、全部イカなんてことは無いですよね…?」
以下のにおいが充満した幌馬車で旅をする想像をして、カズヤはげんなりした。
「ただいま戻りました!カズヤ、シエルラ、釣りに行きましょうってイカ臭っ!」
外から戻ってきた無道が、部屋中に漂うイカ臭に思わず叫ぶ。
「ま、まさか…カズヤ?いや、二人とも…?」
よく判らないが、顔を赤くする無道がムッツリスケベであるということは、他二人の共通認識だ。




