14.魔素と魂、ちょっとだけ漁村
解説回。
用語が多いです。
「お、潮風のにおいが。」
本日も御者台に座って馬車を走らせていたカズヤは、くんくんと大気に混じる磯の香りを感じ取った。
一行が宿場町ナードウを出て1週間。
様々なトラブルがあったようだが、ちょうどその間わたしが離席していたため、見逃してしまった。
あとで自動記録システムの方を確認してみて、面白いことがあったら書き記していくとしよう。
さて、いつになることやら。
2台の幌馬車はいつしか改造されており、荷台がちょっとした小部屋のように変貌していた。
船旅を共にすることとなるのだ。頑丈かつ快適になるに越したことはないといったところだろう。
「シエルさん、おシエさんや。起きてごらんなさいよ。」
カズヤは振り向いて荷台に取り付けられた小窓を開くと、横たわる影に声を投げかける。
「ダメですよ、カズヤ。こうなったシエルラはもう起きません。」
隅っこの方に姿勢よく座っている無道が答える。
彼女はシエルラの処方する薬の結果か、だいぶん元気を取り戻している。
「この子はご飯を食べたらすぐ眠ってしまいますからね。うちの妹にそっくりです。」
シエルラのサラサラした髪を撫でながらそう零す無道。
だいぶん、二人や旅に慣れてきた様子だ。
「この子っつっても、今年で204になるとか言ってませんでしたっけ…?まあ、いいか。」
現在203歳のシエルラは、竜の亜人の尺度で考えればかなり若手である。
人間換算で24歳。カズヤの6つ上で無道の一つ上というのだから不思議だ。
「海が見えたら起こせっつったのはこの人なんだけどなぁ。キフさん、このまま一気に進んでっていいと思います?」
そう考えてみると地味に最年少、カズヤは無道に判断を丸投げした。
一行の馬車は街道を進んで行く。
進んだ先に見えてきたのは海に面した漁村だ。
「お、やっと見えた。予定通り、食材とか補給していきますね。」
カズヤは額の上に手で日よけを作りながら、漁村を見た。
「ええ、お願いします。…妹がいるかもしれませんし。」
無道は、荷台の窓から眩しそうに左目を細めながら村を眺めた。
まあ、もともと細まっているわけだが。
「ぐー…。すぴー。」
枕に顔を埋めていびきをかくシエルラは、目覚めたらきっと起こしてもらえなかった事に拗ねるだろう。
「ちょっとお。」
頬を膨らませる203歳。
「起こしてくれるって言ってたじゃないですか!」
案の定、海が見えたときに起こさなかったことにふてくされている。
「起こそうとしたけど、起きなかったもん。」
「あまりに気持ちよさそうに寝ていたもので、叩き起こすには忍びなく…。」
二人の弁明に、さらに頬が膨らむ203歳。
内陸部の亜人の国と純人間の国で育ってきたシエルラ。
海を見たことがなかった彼女は、それだけオーシャンビューを心待ちにしていたのだった。
「二人とも、海ですよ!?すべての生命の母となった海!!もしかしたら、エビもいるかもしれない海ですよ!?」
「声が大きいですよ。またあの時みたいに魔物が出てきちゃう。」
「あ、すみません。」
叱られてすぐに静かにできるのは大人である故か。
「この世界でも、海は生命の母なのですね。てっきり、魔物なんかは自然発生したものかと…。」
異世界から来たという無道は、意外だったというように尋ねた。
「カズヤから、『ぞんび』や『ごうすと』なる者を聞いていましたから。」
「ああ。ああいうのは例外ですよ。」
カズヤは、無道の疑問を解決すべく説明を始める。
かつてこの世界に誕生した、全ての生命の先祖とも呼べる単細胞生物を形成したのは、海中や大気中で自然に生じた脂質や核酸、アミノ酸といった有機物に加え、海中に溶け込んでいた魔素だ。
これらの成分を材料にして誕生した生命の先祖は、様々な形の生物へと進化していく。
中には、カズヤ達・ヒト種やシエルラ達亜人種の先祖となった生物もいたわけだ。
「つまり、魔物と僕たちは親戚というのが、魔物と僕らの誕生に関する、今のところの最有力な学説だね。それに対して、ゾンビだけど…」
カズヤは続ける。
ゾンビやゴーストといった魔物について説明する際には、『魂』という概念を理解しなければ始まらない。
魔物や人類といった生き物(専門的には魔生物種)は、肉体に加えて魂を持つという。
魂とは、思念の集合体が魔素の配列の形で表されたモノだとされている。
「仮に魔素が抜かれた環境があったとすると、魂は存在しないか、別の法則に従って形成されるって聞きますよ。」
本を読むのが好きなシエルラが付け加える。
さて、魔素の配列として形成される魂だが、なまじ魔素という形があるだけに、単魔素の形に自然分解されるまでには時間がかかるのだという。
肉体を離れた魔素は、肉体による保持機能が失われるため、表面から少しずつ自然分解されていくものの、完全に分解されるまでには対応するエネルギー量や時間が必要となる。
「大気中に漂う魂を分解するエネルギーを利用して代謝する、ソウルイーターっていう魔物がいるぐらいには、分解に時間がかかるようですね。」
魔生物学だいすきシエルラは再び口をはさむ。
さて、そんな漂う魔素だが、大気中に漂っている時よりも、空っぽの肉体に憑依している時の方が安定すると言われている。
要するに、腐乱死体に魂が憑依したものがゾンビ、骨に憑依したらスケルトン、無機物に憑依したらポルターガイストだ。
「へえ…。」
情報量の多さに、今日もハイライトのない目をぐるぐるさせているのは無道。
ゴーストはというと、大気中のちりの集合体や微生物群に魂が宿ったものとされている。
また、稀に保存状態の良い魂が、まだ魂の存在している肉体に入り込むことがある。
入り込んだ魂は元いた魂と混ざり合って、まるで人格が変わってしまったり他人に乗っ取られたようになったりする。
これが悪魔憑きという現象だ。
「僕が鉄級冒険者の時に冒険者学校で習ったのはこんな感じですね。…大丈夫?」
無道は目をぐるぐるさせ、頬を赤くしている。
「うーん、知恵熱が出てきそうです。」
カズヤの話をいまいち理解できなかった彼女は、かつて生きていた世界では文系だったのだという。
街道を逸れてわき道に入って行く。
漁村へと続く道は背の高い藪に囲まれており、いったん海が見えなくなる。
「ああ、楽しみです…!噂に聞く海藻、どんな味なんでしょうか?」
野菜が大好きなシエルラは、魚介類よりも海藻の方に期待しているらしい。
「海の魚は良いですよ。味も良いのが多いですし、色んなのがいます。」
漁村育ちの無道は、海の魚を瞼の裏に思い浮かべるかのように目を閉じている。
…糸目なのは元々か。
「海藻食べたことないんですね。川の水草は食べたことあるんですか?」
カズヤは冗談交じりにシエルラに言葉をかける。
「アラカニスなんかは葉っぱがガラスみたいにシャリシャリしてて飲み込めないですね。シダ系の水草は独特な味のものが多いですし、美味しくは無いです。」
シエルラは冗談に対して真面目な顔をして答えた。
「…ちゃんと熱を通したんですよね?」
気味が悪そうな顔で、カズヤは肩をすくめた。
そんな話をしながら笹薮を抜けると、道が舗装されていないことに気づく。
馬車はこの先を進めない様子なので、そばの預かり所に2台の馬車と4台の馬を預け入れる。
重要な道具一式のみをカバンに詰めて、その他はカズヤがアイテムストレージに詰めこむ。
「え、積み荷消えましたよ…?」
困惑するシエルラを引っ張るようにして、カズヤは馬車を降りた。
「無道さんはどうしたのかな?」
預り所に入って行った無道は、すぐに出てきた。
「荷物を預かってもらおうと思ったのですが、そもそも私は一文無しでした。」
てへっ。
「おおお、海ですよブドウちゃん!」
ちゃぷちゃぷと、桟橋から尻尾を伸ばして水面を叩くシエルラ。
彼女は、尻尾の先を海水から引き抜くと、ぺろりとそれを舐める。
「うわ、本当に塩味!」
「なんかお行儀悪いですね…。」
目を丸くして叫ぶシエルラと、それを見てもの言いたげな無道。
シエルラは、尻尾を浸しては口に持っていき、毎回その塩辛さに驚いていた。
漁師たちは竜人が珍しいのか、遠巻きにそんな様子を眺めている。
「ふう、やっと宿が取れましたよ。今日から3日間は、使われていない民家を貸していただけることになりましたよ。」
荷物を宿に運び込んだカズヤは、手に何か鋭いものを持っている。
「サメの歯ですか?」
無道はそれに気づくと、カズヤの元へと歩み寄っていく。
「すみません、宿の用意までお任せしちゃって。ありがとうございます。」
「いえいえ、どうせキフさん、文無しじゃないですか。」
「…ここで村人の方のお手伝いして、これまでの分も含めてお支払いしますので。」
「冗談だよ。」
カズヤは、そう言って無道に尖った牙を手渡す。
「リードシャークの歯の化石らしいよ。お守りになるそうなんであげますね。」
「え、くれるんですか?」
リードシャークの歯を受け取って、太陽の光に透かして見る無道。
青白く、先端に行くほど青みが強くなっていくその牙は、ほんの少し透き通っている。
「なんだか、良くないものが憑いてるみたいですよ。あの占い師がそう言ってました。」
カズヤが指差した占い師は、占い台にいくつものお守りをぶら下げている。
「あ、ずるいですよブドウちゃん!私にはなんかないんですか?」
海水を舐め飽きたシエルラは、にょろにょろと二人の元へと這い寄って行った。
かつて海に生息していたリードシクティスという魚は28メートルにも及ぶ体長を誇っていたとか。
シロナガスクジラに匹敵するデカさの魚類ってやばいですよね。




