10.異様に酸っぱい
女性が意識を取り戻すまではまだまだ時間がかかりそうだというのは、シエルラと町医者の共通の診断。
憲兵の聴取を受けたカズヤとシエルラの両名が解放されたのは、昼下がり。
「あー、疲れた。」
「カツ丼、美味しかったですねー。」
「聴取の時にカツ丼が出るってのも変な話ですけどね。」
オニヨの鱗茎が苦手なカズヤは、軟らかく煮られたオニヨをシエルラの丼に移していたのだった。
二人が王国を出ることとなった経緯は憲兵も知っていたらしく、それがアリバイとなったことで無事解放されたのだった。
聴取に時間がかかったのは、担当した憲兵の好奇心ゆえである。
「女性の怪我のせいで聴取されるのは、これで2回目になるや。」
「誇っていいんじゃないですか?」
「誇るようなことではないでしょうよ。」
二人は、そんな馬鹿げたことを話しながら、冒険者向けの安宿に辿り着いた。
それぞれが各自の部屋に荷物を置いてからは、別行動だ。
それぞれが、自分たちの興味に従って動き始める。
「お兄さん、この本どう?」
うず高く積み重ねられた新刊の魔導書を勧めてくるのは、赤いベレー帽をかぶった町娘。
「うーん、別にいいや。僕は魔法が苦手だからね。」
『生活に役立つ!水魔法の裏ワザ』
そう題された魔導書に少し興味があったカズヤだが、思った以上に値札の数字は大きかった。
「安いよ、安いよ~。」
向かいの魚屋は、水槽に入れられた淡水魚を指している。
海がない内陸ではあるが、町の近くを流れるナードウ川では魚屋が開けるほど魚が取れる。
大陸で3番目に大きいナードウ川は、この宿場町の名前にもなっている。
川が近いだけあって淡水には恵まれている。
民家はもちろんのこと、宿の各部屋にすら風呂を備え付けられている。
トイレもなんと水洗式だ。
怪我で暫く風呂に入れていなかったシエルラは、喜び勇んで風呂屋に向かっていった。
…彼女の体からは爬虫類小屋のようなニオイが漂っていたのだ。
「結局怪我はまだ完治していないんじゃないか。」
カズヤは未だにギプスを付けたままの彼女を思い出して、独り言を呟いた。
書店を冷やかしてから立ち去る。
彼が王都で借りていた下宿は古本屋の一室だったが、品ぞろえはだいぶ違う。
純人間の王国でも使われていた共通語に加え、見たこともないような亜人文字で書かれた雑誌が並んでいる。
それを見て、王国を出たことを再認識する。
「昨日今日で進んだ距離なんて、100㎞ちょっとぐらいなはずなんだけどなぁ。」
カズヤは店々を冷やかしつつ、ナードウの宿場町の文化を楽しむ。
まあ、亜人を見かけること以外は王都と代わり映えしないのだが。
スリの男が、慌てたふりをしてぶつかってくる。
カズヤは、果物を手に取るふりをしてそれをヒラリとかわす。
「王都はスリが多いんだよ。みんなスリ対策は得意だから、気を付けて。」
目を白黒させている男を嘲るように言うと、カズヤは青銅貨3枚を店主に手渡した。
とりわけカズヤが気障なわけではない。
手癖の悪い者の多い王都ではみんながみんなこうだったのだ。
「酸っぱい、異様に…。」
買い取った果物をちびちびかじりながら、カズヤは歩く。
彼は野草には詳しいが、園芸作物には明るくない。
緑色の薄い外皮に包まれた果肉は赤く、非常に美味しそうに見える。
外皮と果肉からは、独特な芳香が漂って来て、じつにうまそうだ。
しかし、果汁をほんの少し舐めただけでも、痺れるような酸味が舌先を襲う。
舌先は甘みを感じやすい味蕾が集まっているというが、それでも、甘みを感じ取れないほどの酸味だ。
たまに、道行く人が目を丸くして振り向いてくる。
聞けば、この果実は果汁を搾り取って調味料として使うものなのだそうだ。
「べ、勉強になったなあ。」
なんだか気まずくなったカズヤは独りごちる。
彼は、自分の口を付けていた部分を切り取って、残った方をアイテムストレージにしまった。
後で、シエルラにも食べさせてみよう。
赤く柔らかい果実には、種がないようだった。
「あれ?」
カズヤは、自分がいつの間にか冒険者ギルドに足を踏み入れていたことに気づく。
気が付いたのはクエストボードの前。
盗伐依頼や採取クエストが所狭しと貼られている。
職業病といったところだろうか。
無意識のレベルでクエストを確認してしまう。
特に目新しいものはないが、パーティー向けのクエストが多い気がする。
おそらくは、王国や他の国をつなぐこの町だからこそ、そこを通りかかる冒険者パーティー向けのクエストが多いのだろう。
旅をする冒険者は固定のパーティーを組んでいることが多い。
路銀はまだまだ余裕があるが、稼いでおくに越したことはない。
時間があったらフリーの冒険者と組んで適当なクエストに行ってみるのも良いかもな。
カズヤはぼんやりとそんなことを思った。
「こんにちは、昇級試験の方ですか?」
ぼうっとクエストボードを見ている姿を誤解したらしい。
見かねた様子の受付嬢が声を掛けてくる。
「ああ、違うんだ。お気遣いどうも」
カズヤは右手を横にぶらぶらと振るいながら答えた。
「旅の者なんだけど、今フリーの冒険者か、フリーの奴を入れてもいいパーティーって知ってる?」
せっかくわざわざ来てくれたので、受付嬢にパーティーの斡旋を頼んでみる。
「冒険者証を拝見します。…銅級3年のマシーナリーさんですね。ちょっと確認してみますので、お待ちください。」
知り合いにいたら紹介してくれ、ぐらいのノリだったのに、思った以上に丁寧に調べてくれるようだ。
なんだか悪いような気がしながらも、カズヤは備品の椅子に座って待つことにした。
………。
「いいお湯でした~。」
シエルラは風呂屋の暖簾を手で避けた。
なんとも親切なことに、包帯を付けたまま入浴しようとしたシエルラを、風呂屋の女将は手助けしてくれた。
旅人の集まる街なだけあって、怪我人の扱いには慣れているとのことだ。
「さあてと。何か面白いものでもないかなっと。」
市場の、鉱物売り場のところへと迷いなく足を運ぶシエルラ。
彼女の最近のトレンドは、鉱物原料の薬だ。
色鮮やかな宝石の原石の傍らに並ぶ、灰色や白色の地味な鉱物。
シエルラは楽しそうにそれを弄っている。
「老師様、老師様。」
眠たげな店主がシエルラに手を挙げる。
「はい?どうかしましたか?」
彼女は鉱石から目を離さずに答える。
「財布、掏られそうでしたぜ。」
「えっ?」
言われて後ろを振り向くと、目つきの悪い男がガタイのいい女冒険者に取り押さえられている。
「チッ。王都の人間のくせに、スリ対策が甘えんだよ!」
苦々しそうな顔で吐き捨てるスリの男。
彼は、やって来た憲兵にしょっ引かれていった。
「物騒ですねえ。あ、これとこれを90ずつください。」
「意に介さないねぇ…。」
スリにあったにもかかわらず買い物に集中しているシエルラの様子を、眠たげな店主は呆れたように見ていた。
「あ、バグア。」
シエルラは、青果店にバグアの実を見つける。
緑色の果皮に真っ赤な果肉をもつこの実は、この辺りの地域では調味料として利用される果実だ。
酸味が強いが、乾燥させれば整腸作用や食欲増進作用がある生薬として利用できる。
「…カズヤ君に買って行ってあげましょう。」
悪戯っぽく笑ったシエルラは、バグアの実を3個と、ホワイトバグアの実を1個購入した。
ホワイトバグアは、普通のバグアよりも酸味が少なく、甘みが強い品種だ。
………。
「あ、シエルラさん。おかえりなさい。」
先に宿に戻っていたらしいカズヤは、自室で荷物を整理していた。
「ただいま戻りました。…今、どこにしまったんですか?」
ノックして部屋に入ったシエルラは、その様子を見て眉を潜めた。
「手品みたいなもんだよ。あ、そうだ。これ、お土産です。」
カズヤは、ストレージから綺麗に切り分けられたバグアの実を取り出す。
「あ、バグア。実は、私も買って来たんですよ。」
シエルラはパンパンに膨らんだ手提げをゴソゴソと探ると、中から通常種のバグアを取り出す。
そして、それをカズヤに手渡す。
一方で、ホワイトバグアを取り出すと、汚れを拭いもせずにかぶりつく。
「えっ、えっ?」
困惑するカズヤ。
「うーん、このバグア、バグアの味と匂いがしておいしい!甘い!」
食レポが食レポの体をなしていないぞシエルラ。
彼女は、決してかぶりついた果肉を見せない。
カズヤはそんな彼女の様子を見て、首をかしげる。
鼻の近くに手渡されたバグアの実を持っていき、すんすんと匂いを嗅いでみる。
特有の爽やかな芳香が漂ってくる。
そうして彼は、ストレージから取り出した清潔な布でその表面を拭うと、意を決してバグアにかぶりつく。
「やはり異様に酸っぱい!?」
長生きしている分というべきか、シエルラの悪戯の方が少し老獪だった。
シエルラさんの容姿については、町長のもとに伝書鳩で飛ばされた号外から広まったようです。




