#6「ラブリーキスキス・デスアンドチョコレート」
そこは真っ黒な色をした世界だった。
何も見えない。何も感じない。体の感覚は無い。
意識だけがまるで宙に浮いているような不思議な感覚。
僕は気がついた。これが”死"だということに。
永遠。僕はずっと意識を保ったまま、この暗闇の中に浮き続けているのだろうか…。
痛みもない、今のところ恐怖も感じない。
ずっとずっとずっとずっと…例え永遠にこの状態だとしたら、恐らく気が狂ってしまうだろう。
いや、気が狂ったほうがマシなのかもしれない。
だけど、今の僕にはこれから先の永遠について考え巡らせては気が狂っていく、そんな気分には到底なれなかった。
どうしても考えてしまうのは"過去"のこと。
誰が桜薔薇を殺したのか。どうやって桜薔薇を殺したのか。
なんでこんなことになってしまったのか、どうすれば僕は殺されずに済んだのか。
そして、みんなは…櫂とミカンは、爆発に巻き込まれず無事なのか。
今更そんなこと考えたってもう遅い。
そんなこと分かっている。死ぬほど分かっている。
“死ぬほど"分かっているって…。
苦笑する。
でも時間だけは沢山残されていた。恐らくそれこそ”永遠”に。
僕はゆっくりとあの時のことを整理する。
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どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
1日か、1時間か、もしかしたら10分も経ってもいないかもしれない。
僕の思考が中断されたのは、ある匂いだった。
感覚の無い世界で、何処か遠くの方から微かに香りを感じた。
その匂いは初めは気の所為だと思うほど僅かで何の匂いかも分からない。
だけど、次第にはっきりとしたものへと変わっていき、気の所為ではないことを確信する。
その匂いはとても美しい香りで、何処か懐かしく、何故か儚い匂い。
僕は気がついた。
それは薔薇の香りだと。
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【同日 午前9時41分 / 空き教室】
《 爆発まで、残り「1時間19分」 》
『乙木君、私はあなたのことを心の底から愛している』
不意に耳元でその声が聞こえ、僕は咄嗟に目を開ける動作をしてしまう。
死んだはずの僕が開くはずもない目。だが、僕の目はなんの抵抗もなく開く。
「…!?」
目の前にいたのは桜薔薇だった。
僕に顔寄せ、その唇を僕の口へと付けている。
僕は反射的に桜薔薇から一歩引く。
「な、なんだよ、これ…」
僕は死んだ。でも体の感覚も、視覚も聴覚も全てがまるで生きていた頃のようだった。
薔薇の香り、桜薔薇の温かな熱。
その全てがリアルに僕の体へと伝わってくる。
「僕は…それに桜薔薇、君だってーーー」
そこまで言いかけて僕は理解した。
「ここは…天国なのか?」
それならば説明がつく。
死んだ僕と桜薔薇が行き着いた先、それがここ。
辺りを見回してみる。
だが、どう見てもそこは天国というには、あまりに見慣れた光景。
僕が死ぬ前に、桜薔薇に呼び出された空き教室と、全く変わらない風景だった。
「乙木君、ここは天国じゃないわ」
「じゃあ…」
「強いて言うなら、ここは地獄」
地獄って…。頭がついていけない。
「つまり、現実」
時計を見る。9時42分。
それは偶然なのか、僕が死ぬ前に桜薔薇と口付けをした時間と一緒だった。
「乙木君」
桜薔薇は僕の手を握る。
その感触はまるで本物だった。
「乙木君、これから何があっても私のことは信じて欲しいの」
僕はその言葉を一度聞いている。
「私はあなたのずっと味方だから。私があなたをずっと守ってあげるから」
僕はこの出来事を既に経験している。
ついに僕は永遠の暗闇の中で気が狂ってしまったのかもしれない。
でもそれにしては、あまりにこの光景は、この感覚は現実的過ぎた。
「…あっ…あがっ…」
息が苦しくなる。呼吸が正常に出来ない。
意識が遠のいていく。視界が霞んでいく。
これも知っている。
まるであの時をもう一度繰り返しているようだった。
ーーー乙木君、あなたならきっと、今回は大丈夫ーーー
薄れゆく意識の中で彼女はそう言った。
それは前回とは違っていた。
彼女は確かに言った。“今回”は大丈夫だと。
「お…おしえて…なにがッ…」
手を伸ばす。一度は死んだ彼女にもう一度触れようと伸ばした手。
様々な疑問、思考が先行するが、言葉は声になって出てこない。
そして、彼女はもう一言だけ僕に囁いた。
それも前回とは違う言葉。
ーーー1年HELL組の教室の時計は15分進んでいるのよーーー
やがて僕の声だけでなく、疑問も思考も煙のように薄れていく。
そして、僕の意識は完全に消え失せた。