変わらない訳がない
6
あの時、俺がマジで手を出していたら…………今頃こんなにこじらせていなかったかもしれない。
そんな事を考えながら、瑞希の身支度を手伝った。すると、園バッグに妙な物がついていた。
「何だ?これ?」
「人魚どん。」
「は?ハンギョドンじゃねーの?」
瑞希の園バッグには、演歌歌手のような格好をした3頭身のオジサンがついていた。あ、これよく見たら人魚だ……。
「ハンギョドンって何?これは、薩摩生まれの人魚、人魚のドンどんだよ?」
どっから突っ込んだらいいかわからん。
「これ、遥ちゃんにもらったの~!」
「え?ニャニャンは?ニャニャンはもういいのか?」
「ニャニャンはもう古いんだって。」
古いって…………この前はあんなにニャニャンに喜んでいたのに、もう廃れたのか?
こうやって慈しむ間もなく、時代は流れて行くんだな…………。頭の中に中島みゆきの時代が流れて来た。
まぁ、青春真っ只中の俺達は、慈しむなんて余裕もなく、概念もなく、ただ必死だった。
日々若さと戦いながら、必死に毎日を送っていた。
高校生の遥希は、見た目はごく普通の女子高生だった。当時流行っていたギャルでもなく、校則もしっかり守る、ごくごく普通の女子高生だった。
鞄に、リアルなカブトムシのバッジや血走った目玉のキーホルダーがついているが、それもまぁ、女子高生の許容範囲内だ。
ただ、誰よりも学校にいる時間が短い。始業時間2時間も前に出ているのに、遅刻ギリギリになって登校する。放課後も、俺が部活に行く前にはもう玄関にいる。
それなのに、帰りはいつも夜が遅い。一体どこで何をしているんだろう?
いや、そんなの俺には関係ない。
首を突っ込んではいけない。俺は何となくそう察知した。それでも、早織さんは心配そうに時計を眺めた。
「遥希ちゃん、いつもどうして遅いのかな?」
「別に、いつも10時までに帰ってくるんだから好きにさせれば?」
「でも、女の子なんだよ?」
仕事の忙しい浩司さんは、今日も帰りが遅い。一緒に暮らしているのに、結局夕食は早織さんと二人きりだ。
四人で食卓を囲んだのは、入学式から1週間ほど経った時だった。
お風呂場で遭遇してキャーとか、ドアを開けた瞬間着替えているとか、ラブコメでありがちな現象は幻想だ。普通にドアをノックしたり、普通にコミュニケーション取っていれば起こり得ない。
「新学期はどうだ?」
浩司さんの訊き方はまるで、小学生に話を訊くようだった。遥希は不機嫌そうに答えた。
「笑われた。」
それは……そうだろうな。
「お笑い芸人か?って、ひそひそ話しよったわ。東京のそうゆう所が好かんわ。はっきり言うたらいいと思わん?」
「普通はっきり言ったりしないだろ。」
「なんで?なんではっきり言わんの?」
遥希は箸先を俺に向けてつきつけた。
「だったらそれを本人に訊けばいいだろ?」
俺は茶碗を持った手で、向けられた箸をどかした。
どうしてはっきり言わないか?そんなの、はっきり言えないだろ。
「おかしいわ…………中学では、笑えるほど東京弁って笑われて、高校ではお笑い芸人みたいって笑われる。」
少し…………遥希の苦労の片鱗が見えた気がした。
「どっちみち笑われるんやったら、いっその事、芸人になろうかな?」
「いや、その発想は安易だろ。」
遥希はこんな事まで言い出した。
「聡太、相方になってよ!」
「はぁ?」
「あ、やっぱいいわ。聡太はつまらん。」
安心したのか、残念に思ったのか、複雑な気持ちだった。
相方って…………あの、相合い傘を鼻で笑われた時の事を思い出した。俺は、いつまであの事を引きずるつもりなんだろう?
「すまないね、聡太君。困った娘で迷惑をかけるかもしれないが、遥希の事、よろしく頼むよ。」
そう言って浩司さんは俺に頭を下げた。
「はぁ……。」
俺は曖昧な返事で軽く頭を下げた。その頭は、遥希と同じ綺麗な栗色だ。俺はその髪の色に目を奪われた。
久しぶりにこの人に会ったけど、俺はこの人がよくわからない。見た目は優しい雰囲気の普通のおじさんだ。
でも、普通父親として、娘が心配じゃないのか?妻の甥っ子とはいえ、男が一緒に住むんだぞ?もっと心配しろとは言わないが…………
確かに遥希は精神年齢が低いかもしれないけど、一応女だぞ?女子高生だぞ?
「あ、遥ちゃんほっぺにお弁当ついてる。」
「どこ?あ、ホントだ。あ、早織さん、これ美味しい!この煮物マジで美味しい!!」
あ、標準語……。
「そう?良かった!たくさん作ったから、たくさん食べてね!」
遥希と暮らして1週間、気づいた事がある。それは…………少しずつ遥希が標準語になっている。
滅茶苦茶な方言は、遥希が周りに順応してきた結果だ。ここには方言を使う人や、訛って話す人はほとんどいない。つまりは、合わせる人がいない。遥希の心の支え、過去の鎧みたいなものが取れて来ている気がした。
俺が遥希の観察を始めたのには理由がある。
この前、早織さんにお願いされた。
「お願い!!遥ちゃんと仲良くなれるように、協力して欲しいの!!」
それは多分、遠回しに俺にも仲良くなって欲しいというお願いだった。俺は早織さんのお願いに弱い。親代わりだからというより、昔から。早織さんにはその力というか、不思議な魅力みたいなものがある。
「遥ちゃんの好きな食べ物知ってる?」
そう早織さんに訊かれて、好きな食べ物でも食べれば距離も縮まるか……。そう思って伝えた。
「煮物の…………にんじん。」
良かった。遥希のあの顔、早織さんの嬉しそうな顔を見て、やっぱり遥希の好きな食べ物は変わってない。そう思って、安心した。
中身が、昔と変わらなければ、何も問題無い。きっとうまくやっていける。
そう、安易な事を考えていた。
夕方を終えて、2階に戻ろうとすると、部屋のドアの前で遥希が待っていた。腕を組んで、険しい顔をしていた。
「早織さんに好物でも教えたか?」
「あぁ。聞かれたから。」
「余計な事すんな。」
余計な事?早織さんは仲良くなりたいと思ってるのに…………
「なぁ、早織さんの何が気にいらないんだよ?」
「はぁ?」
「早織さんは、お前に好かれようと色々努力してんだよ。それなのに…………」
遥希は俺の言葉を遮って、一言言って自分の部屋へ入って行った。
「その努力は、止めるように言ってくれ。」
その言葉は拒否の意味に聞こえた。いくら精神年齢が低いといっても、小学生から何も変わらないなんて事はありえない。
人が…………変わらない訳がない。
人は変わる。状況1つで、簡単に変わる。
俺は、両親が亡くなった時の事を思い出した。両親が亡くなって、変わらなかったのは、早織さんと、智輝とヨシとオグだけだった。
それ以外の人は、陳腐な憐れみで腫れ物扱いだったり、弱味につけこんで利用しようとしたり、弱者だと決めつけて虐げようとしたり、色々だ。色々ある。色々あって、色々なものに影響されて、今ここにある。
俺とあいつは、たまたま同じ屋根の下にとどまっただけの仲。俺達はまるで、海の漂流物みたいにデコボコだった。




