ただそれだけで
26
胸に耳を当てて遥希が言った。
「聡太、大丈夫?心臓の音が半端ないスピードだよ?」
その前に座れば、心臓が壊れるんじゃないかと思うほど、その動きの速度を上げた。
ただ同じ屋根の下にいるだけでは、体感した事のない感覚だった。
体が熱くなる。
でも今はただ、同じ屋根の下にいるだけなのに…………
「お、お、おジョーさんを僕にくだたい!」
「噛んでるし!!」
「聡太、緊張し過ぎ。」
俺は3年ぶり、遥希は5年ぶりにあの家に戻った。早織さんと浩司さんの住む、あの家に。俺達は、ソファーに座っている浩司さんの前、ローテーブルを挟んだ所に、並んで正座して座った。しばらく遥希は気まずそうに下を向いていた。
「あの…………。」
「遥希、おかえり。」
浩司さんの笑顔に、遥希は一瞬固まって、堰を切ったように泣き出した。
「…………ただいま。」
浩司さんは、優しくおかえりと言ってくれた。俺は泣きじゃくる遥希の背中にそっと手を置いて慰めた。
すると、ダイニングテーブルでお絵かきをしていた瑞希が、遥希を心配してリビングの方にやって来た。ちょうど紅茶を持って来てくれた早織さんが、瑞希を自分の膝に座らせると説明した。
「みーちゃん、遥ちゃんは大丈夫だよ。ちょっと安心しただけだから。」
「遥ちゃん、安心した?」
「うん。でも、もう大丈夫。こっちにおいで瑞希。」
遥希は瑞樹を側に呼ぶと、浩司さんに紹介した。
「私の娘の、瑞希です。」
「娘…………?」
「娘?」
瑞希が首を傾げて訊いた。
「瑞希、これからは、お母さんって呼んで。」
「どうして?」
「私、瑞希の本当のお母さんになるから。」
瑞希は混乱していた。本当のお母さんになるという事は、本当のお母さんは別にいるという事。その事に、その小さい頭では気がついてはいなかった。
いずれ、瑞希がもっと大きくなったら、真実を話す時が来る。それまでは…………
「瑞希、ごあいさつして。」
「藍野 瑞希です。」
どうか天使でいて欲しい。
浩司さんは瑞希の挨拶を見ると、目を細めて嬉しそうにしていた。
「はじめまして。藍野浩司です。お母さんのお父さん、君のお祖父さんだよ。」
浩司さん…………。
「おじいちゃん?はじめまして。」
浩司さんはいい子だねと言って瑞希の頭を撫でた。すると、瑞希は恥ずかしがって、遥希の後ろに隠れた。
「またあっちでお絵かきしてくる?」
「うん。」
遥希がそう提案すると、瑞希はまたダイニングテーブルでのお絵かきに戻った。
「いやぁ…………いつかこんな時が来ると思っていたけど……とうとうその時が来たんだね。」
そこに、早織さんはお盆をダイニングテーブルに置くと、浩司さんの隣に座った。
「あの……遥希は…………その…………」
「さっき私も聞いたんだけど、おめでたとかじゃないんですって。」
「そうなのか……一緒に住んでるからてっきり……。」
涙を拭いた遥希は、ハッキリとその勘違いに突っ込んだ。
「やだな~!聡太とはまだそうゆう関係じゃないよ!」
何故か早織さんと浩司さんは驚いていた。
「え…………?」
そして、早織さんは浩司さんに耳打ちした。それは、完全にこっちにも聞こえた。
「そういえば…………高校生の時、聡太の部屋に……その……男同士のそうゆう漫画が…………」
「いや、それ遥希のだから!早織さん見たの!?」
「ごめんなさい。掃除しようかと思ったら…………」
この期に及んでホモ疑惑!?いや、結婚するって言ってるじゃないのよ!
「あぁ、聡太は、ほら、草食…………いや、絶食?」
「いやいや!違うだろ。それは、目の前に肉が無いだけで…………」
「肉が…………無い?ちょっとそれどうゆう意味!?」
俺の一言に遥希がキレた。
俺達の様子を見て、早織さんが浩司さんにこっそり伝えていた。
「浩司さん、孫は期待しないでいましょうね。」
いや、だから聞こえてるって!
「ほらほら、二人とも喧嘩は辞めて、お茶にしよう。」
お茶を飲んでいても、遥希は悪態をついていた。
「はぁ?聡太となんか、ただ同じ屋根の下にいるだけなんだからね?」
「だったらその指輪外せばいいだろ?」
「これは誕生日プレゼントにもらったんだもん!指輪に罪は無いもん!」
まるで、時が昔に戻ったようだった。早織さんがいて、浩司さんがいる。隣には遥希がいて、今は小さな瑞希もいる。
僕達はきっと、ただ同じ屋根の下にいる訳じゃなかった。この家で過ごした日々は…………
その笑顔に安らぎを覚え、
その言葉に喜びを感じた。
その手をとれば温もりを感じ、
肩を寄り添い合えばよく眠れる。
家の中は、紅茶と甘いクッキーの匂いでいっぱいだった。そこは、今までにない、柔らかな空気が広がっていた。
きっと、この先、大変な事もきっとある。それでも…………
この時間を慈しむ事ができたなら、僕達は
ただ同じ屋根の下にいるだけ
ただそれだけで、幸せだ。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。今回は、情景描写の訓練のために、どこにでもありそうなお話を目指しました。やっぱり情景を説明するのは苦手です……。そして、時間が無いのに、どんどん書いてしまう。寝不足と疲れで熱を出す。そんな事はどうでも良くて、とにかく誰かの暇潰しになれば幸いです。




