後悔
23
大人になって、もっと勉強すれば良かったと漠然とした後悔をする。
俺の後悔は、そんな漠然としたものじゃなかった。
今思えば、両親を亡くした時からずっと後悔ばかりだ。
両親の旅行を後押ししなければ、両親は死ぬ事はなかった。
じいちゃんのやっていた蕎麦屋の借金を、両親の保険金を使って返済した。その後、じいちゃんは蕎麦屋を閉めた。そのせいか、じいちゃんはボケ始め、施設に入った。
保険金なんか使わないで、蕎麦屋をやっていたら、じいちゃんはボケなかったのかもしれない。
早織さんは生活の保証はしてくれた。浩司さんからバイト代も出る。何の不自由もない。だけど、じいちゃんの施設の費用もあるし、大学費用までは早織さんの負担が大きい。だから、高校を卒業したら働くつもりだった。そのつもりで勉強した。
その判断は後悔してない。
でも…………
もっと遥希に勉強させれば良かった。
もしくは、俺が大学へ行かなければよかった。
そうすれば、ずっと同じ屋根の下にいるという約束を、破る事はなかった。
高校3年の夏になった頃、浩司さんが俺の大学の費用を出すと言ってくれた。それは普通に断った。
でも、早織さんに大学へ行った方がいいと言われ、奨学金という形で借りる事になった。
遥希と一緒に勉強をして、遥希と一緒に同じ大学を受けた。その結果…………
俺だけ受かって、遥希は落ちた。
俺が受験しなければ、遥希は受かっていたかもしれない。
その春から、俺は大学生、遥希は浪人生になった。
俺だけ受かった事に、浩司さんはこう言ってくれた。
「何も気にする事は無いよ。大学生になってまで、遥希のお守りを押し付けようなんて思ってないよ。頑張って勉強してる君に、大人として少しでも力を貸したいと思っただけだから、頑張っておいで。」
浩司さんはいい人だった。
その浩司さんに内緒で、この頃から遥希は、頻繁に妹と連絡を取っていた。
俺は連絡を取り合っている事を知っていて、特に何も言わなかった。当然だ。男ならまだしも、一緒に暮らせない妹と連絡を取るくらい、別に俺がとやかく言う事じゃない。
それが、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。
妹と連絡を取らなければ、遥希が瑞希の存在を知る事もなかった。
今でもたまに、瑞希に出会った事を後悔する時がある。
風呂上がりに飲み物を取りにリビングへ行くと、遥希が何かを書いていた。
「何書いてんだ?」
「ああ、これ?」
濡れたままの髪をそのままに、遥希は瑞希の母子手帳に、成長曲線を書き込んでいた。
「保育園で身長と体重計ってもらって来たから書き込んでたの。瑞希ももう母子手帳は卒業かぁ……」
遥希はどんなに忙しくても、瑞希の成長グラフだけは書いていた。
「それより保育園卒業だろ?ランドセル買った?」
「まだ~!」
「あ、確か、早織さんが買うって瑞希に言ってた。」
この母子手帳は、あの時の母子手帳とは思えなかった。今でも、その母子手帳の母親の名前の所には…………
『藍野 亜希』
瑞希の本当の母親の名前があった。
「瑞希は、本当のお母さんと暮らしたいよね?」
「そのために、お母さんって呼ばせないんじゃないのか?」
「そう……だよね。それが…………瑞希のためだもんね。」
親として、伯母として、大人として、子供のために思う事は…………
子供の幸せだ。
きっと、あの時浩司さんが反対したのも、遥希のためだったと思う 。
夕食後、遥希は新しい母子手帳を浩司さんに見せていた。
「亜希が、子供を産んだの。」
浩司さんはその母子手帳を見て驚いていた。
「それは…………何故ここにあるんだ?亜希は?」
確かに、母子手帳だけここにあるのはおかしい。遥希は、絞り出すように言った。
「いなくなった……。」
いなくなった…………?
遥希は事情を浩司さんに話した。母親は既に亡くなっていた事、妹は病院に子供を置いたまま失踪した事。
遥希はソファーに座っている浩司さんの前に行き、床に正座をした。そして、真っ直ぐ浩司さんを見てお願いした。
「私、亜希の子供を育てたい。この家で、育てたい。」
「遥希…………それは承諾できない。」
「どうして?早織さんに悪いと思うなら、私からお願いする!全部私が世話する!」
浩司さんは深く息を吐いた後、自分自身を落ち着かせて、ゆっくりと遥希言った。
「犬や猫とは違うんだ。その子供を育てるという事は、その子の人生を背負うという事だ。それができるのか?」
「わかってる!そんなのちゃんとわかってるよ。」
それからの話し合いは、平行線だった。
「遥希、これはお前のためでもあるんだ。姪っ子が可愛いのはわかる。でも、お前はまだ学生だろ?」
「予備校は辞める。」
「辞める?そんなに簡単に…………人生を棒に振るつもりか!?」
珍しく、浩司さんは強い口調だった。
「簡単じゃないよ……ちゃんと考えたよ……。」
「それは、しっかり考えていない!」
遥希はいつの間にか下を向いていた。下を向いたまま…………小さな声で言った。
「亜希は…………お父さんの子じゃないから?だから…………ダメなの?」
「そうじゃない…………そうゆう事じゃないんだ。」
そう言った浩司さんは、頭を抱えた。
結局、その話し合いが交わる事はなかった。
浩司さんは頭をあげると、遥希に厳しく言った。
「遥希、そんなに育てたいなら、親子の縁を切る。それでもいいなら…………勝手にしなさい。」
「…………わかった。出て行く。」
こうして遥希は、家を出て行った。
一番の後悔は、その時にはその後悔が辛いと感じていなかった事だ。




