人類最後の冒険者
「久しぶりだね。どうだい気分は? 王女様」
俺が声をかける。彼女は少しはにかんだように微笑んだ。こうしてみてれば彼女は見た目相応のお嬢さんに過ぎない。だが、彼女は人類最後の一人になる。多くのロボットにかしずかれた彼女はまさにロボットの王女であった。
「ハイネマン! いつ戻ってきていたの? 今度はどこに行っていたの?」
王女は目を輝かせて俺に矢継ぎ早に質問を重ねた。反物質によるエネルギー革命から対消滅による大規模な破壊は人類の数を緩やかに、だが確実に滅びへとすすめていった。滅びに抵抗する一部の人間は宇宙にフロンティアを求めて消息を絶った。多元世界を信じて空間転移を試みたものたちも時空の彼方に消えた。
そして、いまや人類は五人しかいない。いや先日、ひとりが自死したから四人になった。彼女は絶望したのだろうか。それとも何かに満足して逝ったのだろうか。後者であればいいと思う。
どうせなら俺も気分のいい死を迎えたいものだ。
「砂漠だよ。この星でもっとも火星に近いね」
俺は汚れた鞄から砂漠の砂を入れた小瓶を彼女に手渡した。灰色のそれは砂というには少し荒く、小石というには少し小さい。大きな岩を小さな叩き続けて作ったそんな感じの砂だ。一般的に思う、手からこぼれ落ちてゆくようなものではない。
「火星に近い?」
王女様は小瓶を手にするとしげしげと見つめる。彼女は生まれついてからこの町から出たことがない。いや、この屋敷から出たことさえもないだろう。それは彼女にその必要がないからだ。教育や家事はロボットや生体機械が行う。娯楽は過去のコンテツから自律プログラムによって製作される最新のものまで自由に手に入る。労働はする必要がない。俺だってそうだ。
人類衰退に伴う労働力の不足はそれに代わるロボットや生体機械で補われてしまった。もう、人類が働くということがナンセンスなのだ。それでも終焉の準備をしている働き者もいる。一人は政府の長として、人類の足跡を残そうとしている。もう一人は、反物質炉の設計者でありながら最期のときまで炉の解体を行ったエンジニアだ。彼女は反物質炉を一基も造ることを最後までせず、ただ解体をするだけの技術者だった。
「そうだ。この星でもっとも火星に近い場所だ。王女様にわかるかな?」
俺はそういう真面目さをもっていなかった。だが、ダラダラと押し付けられるコンテツに埋もれる日々には耐えられなかった。だから、冒険者を名乗ることにした。人類最後の冒険者だ。いろいろな場所に行った。俺は各地で写真を撮った。
かつて世界の中心と呼ばれた大都市。砂漠に残された巨大な墓。海面上昇によって沈んだ貿易港。どれもいずれは消えていくものだ。俺はそれをデータではなく肉眼で見た最後の人間になるだろう。これは最後まで残った人類としての贅沢あるいは役得だ。
いつのころか気まぐれに王女様にデータを送るとひどく喜んだ。
「もしかして、軌道エレベーター跡かしら? ユーラシアの真ん中にあったと習ったわ」
かつて中央アジアにあった軌道エレベーターは、いまは倒壊している。第十五次外宇宙開発船団がこの星を離れたあと、あの地域に残っていた人々の間で戦争が起こった。彼らは自分たちが「地球に取り残された」と怒りをあらわにしていたが、いまとなってはどちらも同じ運命だったのだ。
「残念。正解は南極だ」
「ハイネマン。嘘をつかないで。南極って氷で閉ざされた大地と聞いているわ。そんな場所に砂漠なんてあるわけない」
彼女は本当に怒った顔をして俺を睨みつけた。よく考えてみれば南極大陸は人類の影響をもっとも受けなかった。それは過酷な気候のおかげだ。だが、それは最後まで人間があの大地を本当に知ることがなかった、とも言えるに違いない。
「嘘じゃないさ。南極は本当は砂漠になるのがふさわしいほど乾いた大陸なんだ。でも、気温が低すぎる。だから雪は溶けない。それが何千万年続いて今のような氷の大陸になった。ところが、南極のある場所だけ雪も雨も降らない。そこはマクマードドライバレーと言われてぽっかりと砂漠になっているんだ。写真を見るかい?」
俺は端末を操作すると彼女の端末に映像を送った。王女様はそれをまばたきすることさえ忘れたようにじっと眺めていた。
「つくりものじゃないの?」
幼い少女は疑いの眼差しを俺に向けるが口元が少し笑っている。俺はあえて慌てたような顔をして「おいおい王女様、俺がどれだけ苦労して南極まで行ったか」と手を大きく振って見せる。彼女は俺の反応が面白いらしく大きな声で笑った。俺はそれが嬉しかった。
「そんなに疑うなら君の優秀な人工知能に聞いてみな」
「怒らないでハイネマン。あなたのそういう反応が好きでついやりすぎました。でも、そうね。確かめることはいいことだわ。デボラ。マクマードドライバレーについて調べてちょうだい」
彼女が声を出すとポンという電子音がどこかで聞こえた。音に反応するように彼女の瞳が虚空を泳いだ。今の彼女には俺は見えていないだろう。人工知能が検索した内容が肉体に埋め込まれたインターフェイスを介して彼女の視神経に直接送られているのだ。
神経に情報を流す仕組みは二十三世紀の頭には開発されていた。だが、人体に機械を埋め込むという行為に抵抗を持つ者が多くいて広く普及したのは、それから一世紀が過ぎたあとだった。そんなことを考えていると王女様がこちらを向いてはにかんでいた。
「ハイネマンの言うとおりでした。ごめんなさい。私が間違っていました」
「そうだろ。大変だったんだ。堅物の人類代表が協力を拒むもんだから半世紀も前の船を生体機械たちと整備し直して大西洋を南へ南へと進んで、南極へ、そこから雪上外骨格を着込んで極寒を十四日歩いた。途中、もう死んでもいいかと何度も思ったよ」
そう、死んでもいいと思った。
肉体の半分以上は機械に置き換えられ生きながらえている身だ。どれか一つの機能を止めるだけで死ねる。最後の人類として俺は誰も見たことのない風景と誰も見ることができない風景に出会った。だから十分なのかもしれない。
五人にまで減った人類がもう繁栄することはない。
人類を仕舞う準備はもうほぼ終わっている。人類の歩みを示した石碑はすでに完成し、かつて世界中に植民地を持った大帝国の首都に墓石のように整然と並んでいる。また、世界を滅びへと導いた反物質炉はすべて解体された。もう、人類にすべきことがあるとは思われない。
次の人類が生まれるかは分からない。
だがそれさえもどうでもいいだろう。そこまで責任を持つ義務はない。
「ハイネマン。私は嫌よ。ミリアリアが死んで、ダリウスもこれから二年後の六月五日に自死する、と言ってきたわ。次の人類代表を私に譲るということだったわ」
それは初耳だった。人類代表であるダリウスが自死を考えているとは思ってもみなかった。彼だけは肉体の限界まで生き続ける。そう勝手に思い込んでいた。人類の墓を作る。それが彼に課せられた仕事だった。
「代表になったら君はどうする?」
「どうもしないわ。知っているでしょ? 私はこの屋敷から出ることもできない。十八代にもわたってクローン体として再生と死を繰り返した結果の遺伝子異常。これはなるべくしてなった、としか言いようがないわ」
「もし治療ができたら君と冒険に行きたいものだ」
私が願望を口にすると、彼女は自嘲気味に笑った。それが無理だとわかっているのだ。
「どうせなら冒険じゃなくてデートしたい、と言って欲しいものだわ」
「それは難しい。俺はもっと若い女性が好みなんだ」
「馬鹿ね。……どこへでも行ってちょうだい」
どこへ行こうか。ダリウスが生きている間にあいつと一杯酌み交わすのも悪くないだろう。だが、あいつのとの酒はつまらない。絶望的に冗談のセンスがないのだ。まぁ、どこでもいい。時間はもう少しあるのだ。
「難しいことを言う。行き先がまだ決まっていない」
「寒い場所に居たのでしょう。今度は暑い場所にでも行けばいいじゃない」
彼女は呆れた表情で言うと俺から顔を背けた。
暑い場所というのは悪くない。もう雪の白さにはうんざりしていたからだ。
「では、暑い場所に行ってくるよ」
「勝手にどうぞ」
「ああ、君とのデートの下見に行ってくるよ」
そう言って俺はその場を離れた。彼女は何も言わなかったが小さく笑った気がした。