番外編 王女殿下と春を呼ぶお菓子12
メイリーアはどう思ったのだろう。
なぜだか顔から血の気が引いていたけれど、ちゃんと無事に宮殿へ帰れただろうか。人の告白現場に居合わせてしまい気まずいとか思っているのだろうか。
普段は妙にふてぶてしいくせに、そういうところだけ変に気を使うとか、いまいち女心は分からない。そんな気は使わなくてもいいからいつものように元気にしていればいいのに。
考えていても仕方ないのでアーシュは頭の中を切り替えて明日の段取りを考えることにした。
今日製作したものは今日中に届けるものと、明日の朝一で受け取りに来る用だからだ。明日は明日の午後からの受け取り分を作らなければならない。
アーシュが頭の中で時間配分についてどうするか、計算していると厨房の外扉をたたく音がした。
控えめな音だったが何度も叩いてくるのでいたずらではないだろう。知り合いだろうか、もしかしたら酒の誘いかもしれない。さすがに今日は無理だ、とか思いつつアーシュは扉の方へ向かった。扉をあけるとアーシュは尋ねてきた人物を目にして息をのんだ。どうもトリステリア王国の王家の人間は神出鬼没な者が多いようだ。
「お茶にしましょう」
数日間自室にくくりつけられて絶賛気分が落ち込み中のメイリーアはアデル・メーアのあでやかな声に不機嫌な顔で答えた。
普段自由すぎるほどに外を飛び回っているため、数日とはいえ外に一歩も出られない状況が続くとストレスがたまるのだ。しかも兄の訪問回数も激増した。
「あら、ご機嫌斜めね」
「ご機嫌斜めにもなります! 元気なのに部屋から出られないし、少し歩くとルイーシャも他のみんなもうるさいし」
ここ数日間、医師から安静にと言われたおかげでメイリーアは室内のちょっとの移動でも必ず侍女の助けを借りなければならなかった。一人であるけるのに、と言っても聞く耳を持ってはくれない。
みな仕事熱心で大変喜ばしいことである。メイリーアにとっては承諾しかねるのだが。
「はいはい。分かっているわよ、そんなにも不機嫌にならないの」
「だって」
姉に諭されてもメイリーアの機嫌は簡単に直りそうもない。だってもう医者からも大丈夫ですよ、普通に動いてもと言われているのに。
「わたくしこの後夜会でしょう? ちゃんと夕食を取れないから今のうちに少しお腹になにか入れておかないと、と思って。今日は春祭りの日だもの、せっかくだから今年は王様のケーキを焼いてもらったのよ」
メイリーアは自室から出て、同じ回廊の突き当たりにある部屋に移動する間にアデル・メーアからそんな説明を受けた。このあたり一帯はメイリーアの私的な居住区でそれぞれが一応の目的に合わせて利用されている。
寝室として使っている部屋から一番遠いこの部屋は主に外からの来客を通す間だった。色合いも深い赤色でまとめられている。アデル・メーアは自分の居室のように色々と先に手配を命じていたようだ。
席につくとすぐさま茶器から暖かいお茶が注がれた。
「わたしも一緒でよろしいのでしょうか」
同席したルイーシャがおずおずと尋ねた。王女姉妹二人きりの茶会への同席ということで緊張しているのだ。
「あら、もちろんよ。本当はわたくし付きの女官も同席してもらおうと思ったのだけれど、彼女この後の準備で忙しくて。わたしくだけ抜け出すのが精いっぱいだったのよ」
メイリーアはテーブルの上に視線を落とした。
テーブルの上にはお茶用のカップに空の皿のみで、肝心のケーキがなかった。
これから運ばれてくるようだ。それにしてもこんな時間からケーキを食べたら夕食が入らなくなりそうだ。そろそろ日も暮れようかといった時間なのだ。
アデル・メーアは割と自分の都合で人を振り回すところがあるから、メイリーアの夕食のこととかあまり気にしていないのかもしれない。
アデル・メーアが彼女付きの侍女に目配せをした。
少し間が合って扉が開かれた。侍女など王宮に仕える使用人らが出入りに利用する簡素な扉だ。
そこから現れたのはメイリーアのよく知る人物だった。
「な、な、ななんであなたが」
メイリーアは驚きすぎて言葉も無かった。この言葉に返事をするかのように入室してきた人物、アーシュはそっぽを向いた。なんだか不機嫌そうである。
「ふふふ、わたくしが『空色』で王様のケーキを注文したからよ。注文すると宅配もしていただけるって耳にしたものだから、ここまで届けてもらったの」
驚くメイリーアをよそにアデル・メーアが楽しそうに肩を揺らした。ルイーシャも唖然としているのか口を少し開けて固まっていた。
なんだかこれと似たような光景を数ヶ月前に見たような気がする。
そのときもやっぱり姉の差し金だった。
「お姉さま! 一体どうして」
「可愛い妹が元気ないのだもの、姉としては当然でしょう」
アーシュはそんな姉妹の会話に口をはさむでもなく、沈黙したまま運んできたケーキをテーブルの上に置いてそのまま踵を返した。
「あら、お待ちなさい。せっかくだからあなたも一緒に食べていきましょう」
それを止めたのはアデル・メーアの一言だった。
「はあっ?」
「やあね、こういうのは大人数で食べたほうが楽しいのよ」
「だったらここの王太子でも呼べばいいだろう」
アーシュはアデル・メーアにも臆せずに悪態をつく。メイリーアはおろおろとして辺りを見渡した。私的な空間とはいえ傍には侍女らもいるのだ。一応隣国の王子様といってもそれを知っているのはごく限られた者たちだけなのだ。
はたかれ見ればりっぱな不敬罪だ。
「あら、いいの? あなたの目の前で盛大にメイリーアといちゃつくわよ」
その言葉にメイリーアの方がうっ、と息を飲んだ。それはあんまり見せたいものではないし、ここ最近のうっとうしい兄に辟易していたので絶対にこの場には呼んでほしくない。
アーシュも黙り込んでしまい、数秒間その場で固まったかと思えば不承不承といった体で腰を下ろした。
「さあ準備が整ったわね。さああなた、とりあえず切り分けてちょうだい」
アデル・メーアの言葉にアーシュは眉を引きつらせながらもしたがった。
きっと内心「こいつ…」とか思っているに違いない。それはアデル・メーアも承知しているのかどこか面白そうな顔つきでアーシュの方を眺めていた。
八等分に切り分けられた王様のケーキをそれぞれが選んで皿に取り分けた。
「そういえば、これって豆は入っているのかしら」
しきたりだと豆そのものか、豆を模した焼き物もしくは硬貨を入れて焼くとのことだった。
「入っているわよ」
「おい、なんでおまえが先に答えるんだ」
アーシュがアデル・メーアを睨んだが、彼女といえばどこ吹く風といったふうにお茶を飲んでいる。
「さあ、みんな見事当たりを引いたら、お願い事を頼めるのよ。ちなみに四歳の時メイリーアが辺りを引いた時はシュゼットのお気に入りのリボンを貸してとせがんで、嫌がったシュゼットと喧嘩になって大変だったわ」
「お、お姉さま! そんな本人も忘れていることを今言わなくてもいいじゃない」
アデル・メーアの暴露にメイリーアは慌てて口をはさんだ。
メイリーアはパイ生地にフォークをつきさして一口大に切ったケーキを口に運んだ。
アーシュを見れば口元が緩んでいた。絶対に面白がっている。
それぞれがケーキを口に運んでいるとアデル・メーアがにっこりと笑ってそれをつまみ上げた。
「あら、わたくしに当たったようね。今年はなにかいいことが起こるのかしら」
アデル・メーアが持ち上げた小さな豆は金色をしていた。話によると陶器でできているということだったけれど、どうみても金細工である。
まだ手を付けていないケーキが四切れも残っているにも関わらず当たりを引くのだから本当に今年はアデル・メーアにとって当たり年なのかもしれない。
「アデル・メーア姫からこれを入れて作れって言われたんだ」
メイリーアの質問を察したのかアーシュの方が先に口を開いて説明をした。
「お姉さまが?」
「これはね、昔お母様がお嫁入りのときに持ってきたものなのよ。あなたのおじい様にねだって作ってもらったそうよ」
アデル・メーアから手渡された金色の豆を受け取ってメイリーアはしげしげと眺めた。クリームが付いているのも構わず掌のうえでころがしてみる。
豆の表面には細かい模様が掘られていた。そしてレーンハイム家の紋章も見て取れた。
お母様はいつごろこれを作ってもらったのだろう。
やっぱり毎年こうして家族でケーキを囲んだのかな、お嫁に行くと決まった時、嫁入りの荷物と一緒にこれも持ってきたのだ。家族の思い出と一緒に。
母が亡くなってからは忘れられた習慣だった。母の記憶は年々メイリーアの頭の中から零れていくように消えてなくなってきてしまう。声だって、とってもおぼろげだった。
それでもこうしてかつての愛用品の存在を見せられれば遠い存在だった母親がとても近くに降りて来たような気がした。
「あなたにあげるわ」
「え、いいの?」
メイリーアは慌ててアデル・メーアの方を見た。いままで彼女が持っていたのではないのか。アデル・メーアにとっても思い出の品なのに、メイリーアに渡してもよかったのか、不安になった。




