番外編 王女殿下と春を呼ぶお菓子11
翌日。アデル・メーアに胸中を吐露したメイリーアはそれでもまだ思うところがあるのかどこかぼんやりしていた。
年末に隣国の王子と判明したアーシュことアッシュリード王子は色々あって国を飛び出してきたのだ。今はなぜだかトリステリア王国の王都グランヒールの片隅で『空色』という菓子店を営んでいる。
どこにもいかないと言っていたのに、やっぱりどこかに行ってしまうのだろうか。
ニルダはアーシュを連れ戻しに来たのだ。
不可抗力でニルダの想いを聞いてしまい、その場で凍りついたかのように動けなくなってしまったメイリーアはその後どうやって宮殿へと帰って来たのかよく覚えていなかった。メイリーアより早く他人の告白現場に遭遇するといった非日常から立ち直ったルイーシャが侍女の本領を発揮してくれたのだとは思うけれど、気付いたらメイリーアは宮殿に帰っていた。
今日も朝からどこか上の空でメイリーアの小言も右から左に抜けていってしまう具合だった。
そんな生ぬるい態度で過ごしていたのがまずかったのだろう。
お昼前からダンスの授業を受けていたのだか、ついぼんやりと考え込んでしまいメイリーアはうっかり転んでしまった。
転んだだけならばよかったのだが大勢が悪かった。転んだ拍子に足を少しだけ捻ってしまったのだ。慌てた教師がすぐさま侍医を呼ぶまではよかったのだが、姉が駆けつけるよりも先に兄レイスハルトのほうが先に聞きつけてしまった。
これがまずかった。アデル・メーアは数日後に催される夜会の打合せで席を離れられなかったのだ。
おかげで大騒ぎをするレイスハルトに自室まで連れ帰られてしまい、絶対安静の名のもとに軟禁されてしまった。
自室療養とは名ばかりの、メイリーアにしてみたら監禁と言ってもいいくらいの処置だった。ついでに注意散漫だとダンス教に対して怒り狂ったレイスハルトを宥めて、自分の方に非があるから絶対に処罰をしたら駄目だと口を酸っぱくして念押しした。彼女に何かしたら一生口を利かないからとそっぽを向いてたら大慌て何もしないと約束をした。
安静にしていないといけないんでしょう、と兄を部屋から追い出して一人寝台の上でメイリーアは思索にふけった。
といっても静かな部屋で一人でいるといやなことしか思い浮かばないので精神安定上あまりいい環境とはいえない。
当然考えるのはアーシュ『空色』を移転するかもしれないって、ということだ。
もやもやと寝台の上で腐って過ごしていると午後も三時過ぎアデル・メーアが顔を見せた。
「お姉さま! どうしてお兄様よりさきに来てくれなかったの。おかげで一週間の外出禁止よ」
姉の姿を見るなり、わっとまくし立てた。半分以上が八つ当たりだった。医者の話では足を軽くひねっただけで二日くらいおとなしくしていれば大丈夫、くらいのなんともないようなものだったのに、心配性の兄はここぞとばかりにメイリーアを部屋に縛り付けた。謹慎処分が解けた途端に脱走を繰り返している妹にさぞやきもきしていたのだろう。
アデル・メーアはメイリーアに呆れ半分の目線を寄こした。
「はいはい。わたくしだって忙しいのよ。それにしても、その足だと夜会は無理ね」
「お姉さままで。わたしは平気です」
兄と同じように絶対安静を言い渡すアデル・メーアにメイリーアはぷうっと頬をふくらませた。
「こういうのは一度やるとくせになるから、無理はしない方がいいわ。まあ、確かに一週間の外出禁止はやりすぎね」
「でしょう!」
「ぼんやり考え事をしながら練習しているからこうなるのよ」
姉の厳しい言葉にメイリーアはしょんぼりと項垂れた。
自分でも分かっているだけに耳に痛い言葉だ。どうしてだか心がずきずきと痛むのだ。
アーシュがいなくなるかもしれない…、ノイリスがアーシュのことを探し出した時も感じた不安と同じだった。メイリーアにはそのことを考えるとどうしてこんなにも心に重りがのしかかったようになるのか分からなかった。
ふだんは怖いけれどふとしたときに優しい瞳でこちらを見つめてきたりとか、自分の作るお菓子に自信を持っているところか、菓子職人としての誇りとか。今までメイリーアが出会ったことのある人とは違った種類の人間で、言動一つ一つが新鮮だった。
もう少し彼のそばで彼のことを見ていたい。それが素直な思いだった。
「今回はこれくらいのことで済んだけれど、もしももっと大きなけがになっていたら教師の方にも何かしらの処分を下さなければならないことだってあるのよ。そのあたり、もうすこし自覚を持ってことにあたりなさい」
「はい…」
厳しい言葉にますますメイリーアは身を縮めるしかなかった。
(あいつ、今日も来なかったな)
『空色』の外看板を外して売り場の明かりを落としたとき、アーシュは一人心の中で呟いた。明日はいよいよ春祭りである。
最後にメイリーアが『空色』を訪れてから数日間。まったくの音沙汰がなかった。
といっても毎日通ってくるわけではないから、別に数日来なくても気にすることはないのだが、最後一緒に過ごしたときに色々とあったので余計に気にしてしまうのだ。
ニルダの突然の告白劇はメイリーアもばっちりと聞いていた。ついでに言うなら彼女のお付きのルイーシャも。
まさかニルダからそういう意味での好意を持たれているとは思ってみなかったため、あのときはアーシュも心底驚いた。アーシュは本当に、実家を継ぐ前にグランヒールの菓子店を巡っておきたいというニルダの言葉を信じ切っていたのだ。他にもなにか、まさかアーシュに想いを伝えるために来た、なんて理由があるとは思っていなかった。
それをフリッツに言ったら盛大にため息をつかれた。
ということはフリッツはずいぶんと前からニルダの秘めた思いに気がついていたのである。師匠はほんとうにそういった方面は鈍いですよね、あからさまに近づいてくる人とばかり適当に遊んでいるからですよ、とはフリッツの弁だ。
ちなみにそのニルダはその後も淡々と『空色』を手伝っている。告白のことについては一切触れない、いや翌日の朝に一度だけ口にした。
「ゆっくり考えて、春祭りの日にでも返事をちょうだい。私も一度帰らないといけないのよ、両親も待ってるし」
この言葉にアーシュは「ああ」とか「おう…」とか自分でも情けないほど変な言葉しか出て来なかった。
彼にとってニルダは同じ職人仲間であり、職場の元同僚であり、酒飲み友達だったのだ。まさか向こうはこちらを異性として意識しているなんて思ってもみなかった。分かりやすく酔った勢いで手の一つでも握ってきてくれればこちらもそういう対象として認識したとに、とか過去を思い返して一人愚痴る。
今日も普通に朝の仕込みから始まり王様のケーキ作りまで厨房でしっかりと手伝ってくれた。一人熟練の職人が加わるだけでずいぶんと作業が楽になるもので、今年は昨年より注文が多かったにも関わらず、当初の予定よりも大分時間を繰り上げて全部仕上げることができた。明日の仕込みも終えているので、今年は祭りをゆっくりと楽しめるかもしれないとか考えて、返事の期限が明日だと思い至りげんなりした。
明かりのついた厨房に一人で座って、買い置きしてあるチーズを切って口に放り込んだ。
酒でもあったほうがいいかもしれない。
今まで適当に付き合ってきた相手とは違ってニルダはある意味アーシュにとっても特別な相手だった。
ガルトバイデン王国を出て、色々な国を回ってその国に根差した菓子の味を見て回ってカスティレート国へたどり着いた。ガルトバイデンよりもはるか南に位置するカスティレートは街並みも人の気質も食べ物も故郷とは違っていて新鮮だった。せっかくだからと人気店『コンスタンティン』の職人募集に応募して、実力が認められ働けることになって、ほぼ同時期に入ったのがニルダだった。その分一緒にいる時間も長かったし、男とか女とか関係なしに付き合える貴重な相手だった。同じ店の職人仲間と馬鹿騒ぎをしたとき決まって最後の止め役になったのはニルダだったし、店の女将さんと一緒に呆れて喧嘩で傷だらけになったアーシュ以下店の職人らに消毒液をかけてくれたりもした。
一緒に駆け抜けてきた仲間。それがニルダなのだ。『コンスタンティン』の厨房にいた当時の職人仲間はアーシュにとってはもう一つの居場所だったところなのだ。
そういう相手に断りの言葉を言うのはなんとも気が重かった。
けれど、アーシュは『コンスタンティン』を出てきた。学ぶことは学んだし、カスティレートはいいところだったが、やはりここではない、と心のどこかで思っていた。
アーシュの中で再度カスティレートに戻ってそこで菓子店を営むという選択肢はなかった。だからといってトリステリアがそういう意味でアーシュの居場所かと言われたらそれもまた即答はできないだろうけれど、しばらくはこの地で自分の店を守っていきたい。それが今の率直な思いである。




