番外編 王女殿下と春を呼ぶお菓子9
「うわぁ、可愛い」
「すごい!さすがはグランヒールでも屈指の名門菓子店」
「可愛いですね」
三者三様の歓声をあげてお茶会が始まった。
運んできた給仕によると支配人、そして職人頭のライデン・メイスンより、とのことだった。多くは語らなかったけれど彼なりの謝辞の印なのだろう。この場でいきなり平伏して謝られても困るのでメイリーアはありがたく受け取ることにした。
かわいらしく盛られたお菓子を頬張りながらの茶会はとても賑やかなものだった。
ニルダはアーシュと出会ったいきさつを教えてくれた。カスティレート国、王都ブリュゲスの菓子店『コンスタンティン』で二年ほど一緒に働いていた同僚とのことで、よく同僚らと一緒に飲みに行ったり、理想の菓子店について語ったりしていたとのことだった。若いころの青臭い理想論を振りかざしてみんなで酔っぱらったり、近所の店の男どもから喧嘩の仕方を教わっていたり、色々な失敗談なども教えてくれた。
メイリーアは驚いたり呆れたり、相槌を打つのに忙しかった。メイリーアの知らないアーシュの過去の話は面白かった。
反対にニルダはトリステリア王国でのアーシュの話を聞きたがった。といってもメイリーアがアーシュと知り合ったのは去年の秋の話なのでそんなにも面白いネタがあるわけでもなく、顔が怖いとか怒ると目付きが悪くなるし、態度が大きいとかそういったことくらいしか話すことがなかった。自分で話していてアーシュの悪口にしかなっていないと内心舌を出す始末だった。
「へえ、あいつ相変わらずだね。うちの店でもたまにアーシュ目当ての売り子が入ってきていたんだけど、あいつの口の悪さと愛想のなさに幻滅してすぐに去って行ったよ」
ニルダは苦笑してそう話してくれた。
「だから怒られ続けても負けずに続いているメイリーアのことはあいつも買ってるんじゃないかな」
「そうかしら」
なんとなく褒められれば悪い気はしないので少しだけ頬が緩んだ。
「ニルダも理想のお菓子屋さんっていうのがあるのかしら」
先ほど話題にでた過去の話を持ち出してメイリーアは尋ねた。なんとなくアーシュの女性がらみの話題はあまりしたくなかった。
「んん~、そうだね。一応あるよ。ま、私の場合は実家が菓子店だからそこを継ぐのが大前提だけどね。私一人娘だし」
「まあ、そうなの」
「実は両親からそろそろ帰ってきて店を継げって言われていてね。だから故郷に帰る前に一度くらいは他の国の菓子店をめぐってみたいって思ったんだ。多分、未練なんだろうね、故郷に帰ったらもうふらりと旅するなんてできないし。その前にやりたいことがあったから、最後の機会だなっておもって」
ニルダは少しさびしそうに笑った。それは彼女に出会ってから初めて見る弱気ともとれる表情だった。どんな事情かも分からないけれど、きっとそれはニルダにとってとても重要なことなのだろう。故郷に帰る前にやりたいこと、それがきっとグランヒールにあるのかもしれない。
彼女のように強そうな女性でも何かに悩んでいるのがメイリーアには驚きだった。さっそうと前を向いて歩いていく、そんな風にメイリーアはニルダのことを感じていたからだった。
春祭りももうあと数日後に差し迫った日。
アーシュは朝から王様のケーキの試作品を作っていた。ニルダも手伝いの傍らアーシュの手つきをちらちらと横目で眺めていた。小さいころから菓子職人である母に仕込まれたというアーシュの手つきは昔から迷いがなかった。もちろんそれは今でも健在で、ニルダはそんなアーシュが作業している姿を眺めるのが昔から好きだった。
アーシュが作ったトリステリア風の王様のケーキもなかなか興味深い。
各国それぞれ似たような文化圏なので、おおまかなところは似ているけれど細かいところはそれぞれ独自の文化がある。
ニルダの故国カスティレート国ではパイ生地ではなくやわらかいパン生地にアーモンドクリームを混ぜ込んでつくるのが主流だった。春祭りの由来もすこしばかり違っていて、その昔国に飢饉をもたらした悪い精霊がいた。その精霊に聖なる火を放って成敗した英雄にちなんで、春祭り当日はどこの街でもその街一番の広場に精霊を模した巨大な人形を用意し夜中に火を放って燃やすのだ。
夜の闇夜に巨大な火柱が立つ光景はなかなか壮観で、祭りの日は菓子も飛ぶように売れるので忙しかったが、真夜中の火柱を見るために同僚と外へ繰り出すのが毎年の常だった。もちろん傍らにはアーシュがいた。
異国出身のアーシュはこれを初めて見たときいつも淡白な彼にしては珍しく子供のようにはしゃいでいて、それがとても印象的だった。普段はどこか不機嫌そうで人を寄せ付けない雰囲気があったから、この男はこんな顔もできるのか、とニルダは感心をして、そして急に気になり始めたのだ。
けれど気にはなったが自分から声をかけることができなかった。そういう、女らしい行動とは無縁の職人生活を送っていたし、アーシュの周りには常に女がいた。気が向いたら相手にして、けれども相手に深入りをさせないしアーシュ目当ての仕事は二の次という売り子には彼は存外厳しかった。そういう光景も同僚として間近で眺めていたから、自分は菓子職人という立場でアーシュの側にいることを選んだ。
同じ立場ならばアーシュと近いところにいられるからだ。職人仲間らと夜飲みに出かけて一緒に笑って騒いで、彼の隣にいることができたから。
異性として気持ちを伝えることは難しくても職人としてならばニルダは彼に近づこうとする女たちよりも近しい立場に立つことができた。
だから、その立場に甘えていることに慣れてしまったとき、突然アーシュが店を辞めカスティレート国からでていく、次はトリステリアにでも行こうかなと言ったときガツンと殴られたような衝撃を受けた。
焼きあがったパイはそのまま作業台の上で冷まし、午後になるとメイリーアとルイーシャがやってきた。
彼女らの事情についても大まかにフリッツから説明を受けていた。最初はアーシュの商品を駄目にした罪滅ぼしで働いていたらしいが今は好きで通っているとのことで、一応よいところのお嬢さんで、菓子店で働くのが珍しいのか今でも好きで通っているらしい。アーシュが認めているから働きぶりはまじめなのだろう。
「これが王様のパイなの?」
メイリーアは物珍しげに厨房の隅っこでパイを眺めていた。一通り今日の分の菓子を作ったあとだったので厨房はがらんとしている。今日は個別の注文も入っていないのでなおさらだった。
この時間ニルダはグランヒールの菓子店巡りをしているのだが、春祭りも差し迫ったこの日はぐずぐずと『空色』にとどまっていた。彼に会うためにわざわざグランヒールまで旅してきたというのにいざとなったら怖気づいて今日まできてしまったのだ。春祭りまでには片を付けてしまいたかった。
「見たことあるか?」
物珍しそうにしげしげとパイを眺めるメイリーアにアーシュが声をかけた。
「見た目は普通のパイよね。模様は変わっているけれど」
「トリステリアの王様のパイは地域によってパイの表面に入れる模様が違うらしい。グランヒールは真ん中に対応を模した絵を描いて周りにざくざくと波模様をいれるんだと」
「へえ、そうなの。面白いのね」
メイリーアの質問に丁寧に答えるアーシュが新鮮だった。いくら好きなお菓子のこととはいえ昔はもっと淡白だったと思う。売り子ならばそれくらい勉強しておけ、とかなんとか吐き捨てていたのを耳にした記憶もある。
アーシュはざくざくとパイを切り分け人数分皿に取り分けた。
「今日も豆は入っているの?」
「いや、あれ一応買ってきてるからな。客用にしか入れてない」
「なあんだ。期待したのに」
メイリーアはがっかりそうに頬を膨らませている。アーシュはしょうがないな、という風に柔らかい笑みを目元に浮かべていた。メイリーアを見つめる瞳の穏やかさに、ずきんと心が痛んだ。
せめて、アーシュがすでに結婚をしていたら諦めも付いたのに。
「ほらニルダも食うだろ」
メイリーアとルイーシャに皿を渡した後アーシュはニルダの方に顔を向けて皿を寄こした。ニルダはぎこちなく笑って皿を受け取った。
さっそくパイを頬張ったメイリーアがとろけるような笑みを浮かべている。ああいう風に感情を素直に出せたらいいのに、とうらやむが若いころからそういうことが苦手だった。
「おいしいわ」
ゆっくりと咀嚼をしてメイリーアが感想を口にした。けれど、彼女にしては珍しく少し表情が硬かった。そしてじっと何かを考え込んでいるかのように皿の上のパイを凝視していた。




