番外編 王女殿下と春を呼ぶお菓子
番外編のスタートです。
ざっくり後日談です。
なのでさっくり読めるお話になっていると思います、たぶん。
年末の忙しさもなりをひそめた年始のことだった。
下町にひっそりと居を構える菓子店『空色』の店主、アーシュ・ストラウトはなにとはなしに表を見た。年が明けてからというもの店内は水を打ったように静かだった。
理由は分かっている。秋のころに成り行きで売り子にした少女ら二人が年末のある事件を境にぱったりと店を訪れなくなったからである。
今頃はまだ自宅謹慎をしている頃だろう。自宅といっても相手はトリステリア王国の王女なので広大な敷地を持つアルノード宮殿なのだが。今頃メイリーアはどうしているのか。謹慎処分はいつごろ解けるのか。そもそももう一度会おうとか何と言いつつ、アーシュの方からは会いに行ける場所ではないのだ。
一度だけアルノード宮殿へ足を踏み入れたことはあるが、あれはアーシュの異母弟ノイリスの口添え、というかノイリスが裏で手を回したからであった。
そのノイリスも彼の出生国であるガルトバイデン王国へ帰ってしまったので今はもういない。平素のように慎ましやかにアーシュは弟子であるフリッツと暮していた。
それでも変わったこともある。
それが件の金色の髪を持つ少女のことで。
ここ最近一日一日が長く感じられるのも彼女のせいなのであった。
何とはなしに考えていると、客が一人店に入ってきた。女である。
「いらっしゃいませ」
アーシュは客に声をかけて絶句した。
女は全身黒い服を身に着けていた。それだけならば寡婦だ、と納得するものだが、なんというか異様な姿だったのだ。
顔を黒いベールで被い、頭には同じく黒の帽子を乗せていた。羽飾りのついた小ぶりのものである。レエス模様は薔薇でドレスにも同じように光沢のある黒い糸で大きな薔薇が刺繍されていた。ついでに黒いパラソル傘を手に持っていた。そしてその服から小物に至るまでが一級品であることが見て取れた。
顔までは見えなかったが美しい女性だろうと察せられた。輝くばかりの金髪の持ち主でもある。
アーシュは女性客のあまりの姿に妙な顔をした。目立つのを避けたいのか目立ちたいのか分からない。
「ごきげんよう。なにか、お菓子を頂けるかしら」
女性が口を開いた。
いかにも訳あり、といった風情の客の登場に狭い店内にいた他の客があからさまに引きつった顔をしてでていった。新種の営業妨害だろうか。
「何がほしいんだ」
アーシュはむっつりとした顔のまま女性客の相手をした。普段からおおよそ客商売には向いていない目付きの悪さに加えて、今日は平時の五割増しくらいの愛想のなさである。
「あら、なんでもいいわよ。そうねぇ、妹の好きそうなものを適当に見つくろっていただけるとありがたいのだけれど」
明るい声で言って、女性は自身の顔にかかったベールをぺろりとめくった。
その下からまばゆいばかりの美貌が現れた。
日の光を編んだような輝く金色の髪に薄い青の瞳を持った妙齢の女性である。とにかく美しかった。気品ある顔立ちにその異様なまでの黒装束が似合っていた。
「なんだ、あんたか」
アーシュは目の前に現れた絶世の美女を目の前にしてもとくに動じることも無く淡々とた態度を崩さなかった。
「その格好はなんだ。あんたのせいで他の客が出ていっただろう。営業妨害だからさっさと帰れ」
「あらあ、失礼ね。目立たない格好にしてきたのに」
店に現れた美女、もといトリステリア王国第一王女アデル・メーアは唇を少しだけとがらせた。その割には妙に楽しそうだ。絶対にわざとだろう。先日対面した時にも思ったのだがこの王女は曲者なのだ。
「それはそうと、あんた呼ばわりなんて他人行儀よね。もっと親しみをこめて読んでくださっていいのよ。元々は婚約者同士じゃないわたしくたち」
「たった一日だけの、な。じゃあアデルと呼ばせてもらう」
苦虫をかみつぶしたような表情を作ってアーシュは訂正した。
アーシュことアッシュリード・ライヘン・ガルトバイデンは何を隠そう隣国ガルトバイデンの第一王子である。母の出自が低いため名ばかり王子と揶揄されることもあり、息子を可愛がる父王が後ろ盾のしっかりした娘を嫁に、と隣国トリステリア第一王女と婚約させようとしたことがかつてあった。もうかれこれ十年以上も前のことである。この話は一日で破談になった。当時色々とあってトリステリアの某館に滞在していたアーシュはアデル・メーアとも対面したのだが、トリステリア国王の反対により結局話は流れたのだ。国で大した後ろ盾も持っていない王子のところに大事な娘はやれるか、と。
その後の娘のお見合い失敗記録更新を目の当たりにした王はこの時のことを激しく公開するのだが、終わってしまったことはしょうがない。ちなみにこれも余談ではあるが、当時アデル・メーア以下弟妹全員同じ館に滞在していた為、アーシュは幼いころメイリーアと顔を合わせたことがあるのだがメイリーアは全く覚えていなかった。アーシュは彼女の正体が判明した時に記憶の隅っこの方にあったその記憶を呼び起こしたというのに。
「で、なんであんたがここに来たんだ?」
「あらいいじゃない、別に。興味があったのよ。メイリーアが入れ込んでいた菓子店がどんなところなのか」
「そうかよ。悪かったな、こんな小さな店で」
「別に何も言っていないじゃない。あと、メイリーアの鬱憤がそろそろ限界のようだから気晴らしにお菓子でも買ってあげようかと思って」
メイリーアは現在謹慎中である。そろそろ一月半経つか、と言ったころだろうか。
「ふうん。あいつは元気か?」
「元気は元気よ。毎日刺繍と詩作に励んでいるわ。ああでも、レイスがメイリーアにかまってばかりいるからそろそろ爆発するわね。このあいだも一緒に寝ようとレイスがダダをこねるものだから大変だったわ。隙あらば一緒の寝台に潜り込もうとするのよね。気持ち悪いわよねぇ、いい年して妹べったりなんだもの」
「へ、へぇ…」
うっかり聞いてしまったこの国の王太子の変態ぶりに若干引いたアーシュであった。
あいついまだに兄と一緒に寝ているのか。なんとなくそれはそれで面白くない。知らずに渋面を作るアーシュを面白そうな顔でまじまじと観察するアデル・メーアにアーシュは気付いていなかった。
「そうだわ、あなたに贈り物があるのよ」
そういってアデル・メーアは一通の手紙を手渡した。




