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王女殿下と菓子職人   作者: 高岡未来
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四章 王女と王子と祭典と10

 男が呻いたすきになんとか横に転がって距離を取った。

 その時である。

「師匠!」

 アーシュの一番弟子が建物の中に入ってきた。フリッツはアーシュの方へ何かを投げてよこした。突然の闖入者に男の意識が逸れた好機を逃さず、アーシュはフリッツから受け取った剣を抜いたがさすがに今はがっつりと戦える自信はい。正直フリッツの登場が心底有難かった。

「殺すなよ、フリッツ!」

「えっ、あ、はい」

 アーシュの言葉にフリッツは間一髪のところで男の急所に向かって突き出していた剣筋の軌道を変えて横なぎにした。多勢がどうのとか、そういう悠長なことは言っていられない。

 フリッツによって思い切り吹っ飛ばされた男はうめき声をあげながらも再び剣を杖にして立ち上がろうとした。そこをアーシュが非情に剣を払い飛ばして腕を踏み倒した。

「悪いが形勢逆転だ。俺にこの国から出て行ってもらいたい理由はなんだ」

 アーシュは再び尋ねたが男は口をひらかない。

「師匠、無闇に近づいてはいけません」

 フリッツはアーシュを諫めて、男の腕を後ろから掴み、そのままあらぬ方向に捻じ曲げた。骨の折れる嫌な音がした。さすがに苦悶の表情を浮かべるが、うめき声少し漏らしただけで耐える姿に感服した。

 フリッツはそのまま懐から布切れを持ちだして両腕をくるくるとまとめて縛った。ついでに舌を噛み切られないようにさるぐつわも噛ませた。どうでもいいが用意がよすぎる。

「おまえ、本当準備いいな」

「けんかっ早い師匠を持つと弟子は苦労するんです。用意周到にもなりますよ」

 最後の仕上げにアーシュは自身の剣のつかで思い切り男のうなじを叩いた。ようやく気絶してくれたのでホッと一息ついた。

「師匠も満身創痍じゃないですか。最近怠けているんじゃないですか」

「…その通りだから言い返せねえ」

 アーシュは少しばかりふらついたが、傍らに寄り添おうとしたフリッツを片手で制した。

 傍らには腕を折られた男が一人。気絶している。ここに放置しておいてもいいが、他にも聞きだしたいことがあるので放置しておくわけにもいかないだろう。単独犯か複数犯かわからない。

「こいつ一人だけか?」

「今の時点ではなんとも…。しかし、ここに来るまでにとくに変わった気配とか襲ってくる様子とは無かったですよ」

 このあたりで顔のきくレオンに頼んで彼の手下―レオンは否定しているが―でも派遣してもらうか。それとも店の地下倉庫にでもぶち込んでおくか。選択肢は二つである。

「それにしても、結局金色のなんたらってなんだったんだろうな」

 アーシュは誰ともなしに呟いた。エリクの持ってきた伝言の最後の部分である。結局自分の進退とどうかかわりがあったのか。旅の路銀でもくれてやるつもりだったのか。

 それはそれでなんとも親切な刺客である。

「師匠、それよりもこれの後始末を考えなくては」

「あ、ああ、そうだな。とりあえず持って帰るか」

 アーシュはまるで買った小麦でも持って帰るか、くらいに気軽に答えた。ちなみに抱えるのはフリッツである。

 後始末だけ聞くとどうにも自分たちが極悪犯にでもなった気分である。アーシュは嫌な気分になった。とりあえず今日メイリーアが店に来ていなくて良かった。こんな荷物持って帰るのを見られたら気まずいし、言い訳に困る。

 と、思い立ったところで何かが引っかかった。

 金色…。

「そういえば、メイリーアって金髪だよな…」

「…」

 ぽつりと漏らしたアーシュの言葉にフリッツがぴくりと身じろぎをした。男の元にかがんで体に触れようとしていた手を止めてアーシュの方を見上げた。

 しばし沈黙。たっぷりと数十秒が流れた。

「まさかな…」

 アーシュは乾いた笑いを浮かべた。

 次の瞬間アーシュは脱兎のごとく今しがた乱闘を繰り広げた建物から駆け出した。

  回復しきっていない体では全速力など到底出せるはずも無く。アーシュは普段よりもずっと遅い速度でトーリス地区や、ミッテ河沿いのレピュード広場をその足で駆け巡った。駆けながら思う。メイリーアの無事を知りたくても、アーシュは彼女の素姓を知らないのだった。どこに住んでいるのかも。そういうことは気にもならなかったし、たいして重要でもないと思っていたが、一応雇用主として把握しておくべきだった。嫌な汗が伝った。

 先ほどの男を殺さないでおいてよかった。目を覚ましたらどんな手を使ってでも聞きだしてやる。事の真相を。

 当ても無く街を走っていると、レオンの手下と出くわした。正確には手下ではなくレオンを慕っている弟分なのだが、アーシュ的には手下と同義だった。

 息を切らせた手下その一はアーシュを探しているらしかった。息も絶え絶えなのに、必死に言葉を紡いだ。

「ね、姐さんが…」

 手下が姐さんと呼ぶ人物にアーシュは心当たり一つしかなかった。

 なぜだかレオンと仲良くなり、彼のことを怖がらず友達づきあいをしているメイリーアとルイーシャは手下の間では姐さんとか小さい姐さんとかいつの間にか呼ばれるようになっていたのだ。

「メイリーアがどうしたって」

 アーシュは手下その一、ヨムドの肩を両手でつかんでがくがくと揺らした。

「おい、答えろ!」

「ガ、ガイルの奴が目撃したんで…、レピュード広場から、ちょっと入ったところに連れ込まれて…」

「なんだと!」

「で…いま、レオンさんらが捜していて…」

 アーシュは皆まで聞かずレオンの名が出たところでヨムドを離した。そのまま『私の花園』へ向かって走り出した。



 結局店にいた手下らから情報を貰ったがメイリーアの行方に関する情報は得られなかった。アーシュはフリッツを放り出してきた手前一度店に戻ってきたのである。もしかしたら先ほどひっ捕らえた男が目を覚ましたかもしれないと思ったからだった。

 自分の店の扉をあけると目の前に弟がいた。いや、まさかとは思っていたがこの年末の忙しい時に王太子自らが隣国に赴くとは。なんとなく理由も察するところがあったのでアーシュは内心苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 異母弟の登場にアーシュがいささか戸惑っていると、フリッツは簡単にこれまでのいきさつを話して聞かせた。男をかついで『空色』に戻り、旧知の者が知らずにアルロス地区へ迷い込みボコられた、なのでちょっと寝かせておきますと言って彼を地下貯蔵庫へ転がしておいた。旧知の人間にその仕打ちはあんまりでは、という現知人の助っ人らは突っ込んだが、フリッツはにっこりと笑って師匠を執拗に狙った男色家でまさかこんなところまで追っかけてくるとは、困ったやつですと答えた。色々と突っ込みどころのある背景を持つ人物に、その場にいた人間は誰も深くは追求せずにいた。フリッツの「今日はもう大丈夫です。これからド修羅場になりますから…」という言葉に何か感じるものがあったのだろう、皆そそくさと店を後にした。そうして走り去ったまま行方知れずになったアーシュを待っていると誰かが尋ねてきた。気配を隠すのが上手な相手だ。寝ている男の仲間だろうか、と警戒し扉を開けたフリッツのことをまじまじと見つめた訪問者はややあってから口を開いた。

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