三章 動き出した王太子12
「事情は分かったわ。その、なんていうか。色々な考え方があるのね」
しゅんと落ち込んでメイリーアは答えた。その意気消沈ぶりに男二人はやれやれと肩をすくめた。アーシュは髪をかき上げて気まずそうにメイリーアの側へと近付いた。
メイリーアが見上げると困った顔のアーシュと目が合った。傍にいるルイーシャがぎゅっとメイリーアの手を握った。彼女なりに励まそうとしてくれているのだろう。
「悪い、おまえに聞かせる話じゃなかったな。それに、確かに面倒なのは事実だがやるからにはちゃんと誠意を持ってやるつもりだ。今も厨房で色々と試作をしていたところだし」
「そうなの?」
「ああ。費用も屋台も向こう持ちだし。まあ条件は悪くないからな。俺としてはせっかくだしその場で作って提供したいんだけど…、まだ決まってなくて」
腕を組んで思案気に頭を悩ませるアーシュの顔は職人のそれに変わった。
こういう職人としてのアーシュの顔を見るのもメイリーアは嫌いじゃない。こうして悩んだり考えたりしながら彼は美味しいお菓子を作りだすのだ。次は何を作るのかな、と考えるとこちらのほうまで楽しくなってくる。
「わたしも楽しみにしているわ。アーシュのお菓子大好きだもの」
「ああ、ありがと。そうだ、おまえ今日時間あるか?あるよな。ちょっと付き合え」
アーシュは何かひらめいたのかメイリーアの手を取った。
「ええぇぇっ?ちょ、ちょっと突然どうするのよ」
突然のことにメイリーアは驚いて声を上げた。アーシュはメイリーアの質問には答えないまま『空色』の扉に手を掛けて入口を開いた。そのまま店の外に連れ出だした。アーシュが歩くので自然メイリーアもそれに倣う羽目になる。
「メイリーア様!」
ルイーシャが慌てて後に続こうとしたところでフリッツが口を開いた。
「まあまあルイーシャさん落ち着いて。師匠と一緒なら滅多な事にはなりませんから。ああ見えて喧嘩強いんですよ」
「そうかもしれませんが困ります!」
ルイーシャが彼女にしては大きな声でフリッツに返答した。すぐに追いかけていきたかったがこの間にも二人の姿は雑踏にまぎれてしまっている。
「心配しなくてもそのうち戻ってきますから。そうだ師匠の作った試作品でも食べますか」
呑気なフリッツの顔と扉を何度か交互に見つめていたルイーシャはやがてあきらめたのか弱り切った顔をして息を吐いたのだった。
一方のアーシュに手を引かれたメイリーアはといえば。
引かれた手は今は別々だ。『空色』のあるカール通り辺りまでは手を引かれていたのに角を曲がったありでアーシュが手をほどいたのだ。少しだけ心臓に悪かったので手が離れてほっとした半面少しだけ残念にも思ってしまいメイリーアは内心で首をかしげた。
アーシュと横並びで歩きながらメイリーアはどこへ連れて行かれるかもさっぱりなまま歩を進めた。そろそろ目的地を教えてほしい。
「それで?どこに向かっているのかしら」
「別に。特に決まってるってわけじゃないけど。とりあえずおまえの意見も参考にしたくて、ちょっと付き合え」
メイリーアの質問にアーシュは要領を得ずに答えた。まったく答えになっていない返答にメイリーアは眉毛を持ち上げた。
そうこうしている間にメイリーアらはトーリス地区で最も人通りの激しいトリノン通りに出た。馬車は入ることはできない広さだがその分人通りが激しい通りで慣れない者が立ち入るとスリやひったくりの餌食になったりする。
間口の小さな店が軒を連ねており軒先で作り立ての総菜が売られている。それらをいつも物珍しげに眺めながら通り過ぎるのが最近のメイリーアの日課だった。最初は見慣れない食べ物ばかりで想像もつかなかったのだが通っているうちに好奇心がむくむくと湧いてきたのだ。大人も子供も次々と買い求めるのだから興味を引かれないはずがない。
「ああ、あそこだ」
アーシュは何かを見つけたのかメイリーアの手を取った。本日二回目のこの行動にメイリーアの心拍数が跳ね上がった。
アーシュはさして気にとめたそぶりも見せないまま歩を進めた。そうして連れて来られたのは丸い鉄板が置かれた店の前だった。正確には列の最後尾である。前に数人客が並んでいたのでその最後尾に二人で並んで待つこと数分、アーシュは慣れた様子で注文をして皿を受け取った。湯気が立つ皿の中にはメイリーアも知っている菓子、クレープがあった。しかし普段宮殿で供されるものとは違い随分と簡素なものだったが。木の皿に盛られたクレープを持って店のすぐ横に設置されている木製の台の方へと移動をした。
「ええと、まさかここで食べるの?」
きょろきょろと見渡しても椅子などあるはずもなかった。当然のことながら他の客も同じようにして立ったまま食べている。
「お嬢様にはきついか。やっぱり」
「そ、そんなことないわよ。別に平気よ」
アーシュに揶揄されると途端に後には引けなくなるメイリーアである。最初の衝撃もそこそこにメイリーアは皿の上のクレープを一口大に切って口の中に運んだ。薄い皮の中に入っているのはバターと果実煮だろうか。クリームを乗せたり、果実酒で風味づけをした宮殿様式のクレープとは違って簡素だった。メイリーアは初めて食べる庶民向けのクレープをゆっくりと咀嚼した。
バターと香りが鼻腔をくすぐって、果実煮の酸味とよく調和していた。そして思ったほど悪くはない。
「おいしいわ」
一口目を呑みこんでから、メイリーアは素直な感想を漏らした。
目を丸くしたメイリーアを認めてアーシュも口の端をゆるりと持ち上げた。そのまま横を見上げたメイリーアはアーシュと目が合って、花が咲き誇るように笑みを浮かべた。
美味しいものを食べると笑顔になる。そして側にいる人と同じ想いを共有したくなるものだ。
「ん、悪くないな。このあたりでクレープといえば『トリノン』なんだ」
通り名がそのまま店名の店である。
そう言うアーシュはほんの数口でクレープを平らげた。口の端についたソースを指先で拭って口にもってくる。メイリーアも慌ててクレープの攻略にかかった。寒い季節の為暖かい菓子はお腹に染みわたる。
「よし食い終わったか。じゃあ次の店行くぞ」




