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王女殿下と菓子職人   作者: 高岡未来
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三章 動き出した王太子8

「それにしても今年はずいぶんと趣旨が変わりましたね。去年は確か…」

 フリッツが何かを見上げるように目線を宙へ浮かせた。

「去年は酒飲み大会だったな」

「ああ、そうそう。ここの王女様主催の酒飲み大会でしたね。いやあ見たかったなぁ、王女様の酒の飲みっぷり!伝説に残るような戦いだったようで」

 アーシュの助け船にフリッツが明るい声で去年の出来事を語り始めた。アーシュも直接この目で見たわけではないが昨年末に行われた酒飲み大会での王女の武勇伝は新年が明けてからもしばらくは酒の肴になるくらいに強烈な印象を市民らに植え付けた。金色の髪をした美しい姫が顔に似合わずいい飲みっぷりを披露して並みいる大酒飲みの大男らをばっさばっさと切り捨てて優勝をかっさらったのだ。

「さすがにあれはまずいと思ったんだろ。俺たち的には面白いネタだったからよかったけど王家としてはさすがにどうかと思うぞ」

「たしかにそうですね。それで今年はお菓子ですか。ずいぶんな方向転換ですね」

「まったくだ。おかげでお鉢がこちらに回ってきた」

 アーシュは机の上に突っ伏した。くそっ、と空いていた左手で机をどんっと叩いた。

「というかなんだって師匠がやる羽目になったんですか。僕らの地区だってもっと古くからやってる店はあるじゃないですか」

 フリッツはいまいち納得がいかない様子でアーシュに尋ねた。

 確かに開店してまだ三年経ったような経験も発言力も浅い『空色』に一応栄誉ある仕事が回ってくるなんて普通はないだろう。こういったものはもっと組合内でも発言力のある大きな店がやりたがることだからだ。

「そりゃ各それぞれの地区代表一店舗なんて縛りがなかったらクレイス地区とか宮殿近くに店持ってるやつらが代表の座を占拠するだろうよ」

 げんなりとした顔つきでアーシュは投げやりに行った。そして今日の会合でどういったやりとりがあったかを話し出した。


 まずアーシュが驚いたのは会合の席に役人も同席していたことだった。

 前例がないのか先に席に座っていた別の店の店主らも声をひそめて何事かと囁き合っていた。こういった会合に出席をすると席次はおのずと店を構える地区ごとに固まって座るのが通例である。決まっているわけではないが大体が皆顔なじみ同士近くに座りたがるのだ。そうするとおのずと大まかにグランヒールの地域ごとにかたまりが出来上がり、アーシュもなんとなく顔なじみのおい下町やそれに近しい地域の組合人の近くへと腰を下ろした。

 なにとはなしに周囲の様子を気にかけてみるも、やはりというか皆今日の集まりの目的は分からないようだった。やがて開始時刻になり組合代表挨拶の元会合が始まった。そうして主導権を握ったのは今日初めて顔を見た役人だった。

 三人の役人らが順を追って説明した話を要約すると今年の王家主催の年末恒例行事に協力しろ、とのことだった。詳細は先ほどフリッツに述べたとおりだった。予算とグラン広場に設置する屋台は公平を期すために宮殿側、担当機関である宮内府側で提供するから協力しろ。そういうことだ。

 これにざわめきだったのはクレイス地区ら老舗菓子店の店主らだった。

 彼らの顧客は貴族や大商人、国の役人など金持ちが大半だ。そういった人間を相手に商売をしていて重要になるの伝統や名誉だ。とくに宮殿の催事に手を貸すほどの店ともなれば今後の集客やその後一年の客足に関わることである。

 クレイス地区やモントリアなどに居を構える菓子店は各地区代表一店舗というしばりに多いに反発をした。過去の実績や伝統などを重んじて店を選別するべきだと声高に主張をした。暗に下町などの一般庶民地域の菓子店の実力などたかだか知れている、自分たちが取り仕切ると言っているのだ。

 アーシュは早くもげんなりとしてきた。

 なんという面倒なことを押しつけようとしてきているのか。この場に来たのが間違いだった。

 もともとクレイス地区などに居を構える高給菓子店の連中とはそりが合わない。確かに彼らの腕は悪くない。老舗に恥じない味を提供しているのは認めるが人柄が合わないのだ。自分たちの菓子が本物、それ以外の地域で店を出しているやつらは二流三流のまがいものといった空気を隠そうともしないのだから。

 要するに誇りが高すぎるのだ。そんなものやりたいやつに任せておけばいいものを役人は彼らの要求をあっさりと棄却した。「今回王家が主催するお菓子の祭典は競技会ではない。グランヒール市民が楽しめるよう王女殿下が考えられたものである。色々な地域のお店が一堂に集まれば訪れた市民も楽しいのではないかというお考えの元、決められたことだ。おまえたちが王女殿下の決定にあれこれ意見する権限はない」さすがにこの言葉に反論できる者はいなかった。

 反発をしていた連中もしぶしぶといった体で口をつぐんだ。

 別の担当官の「ではそなたが直接王女殿下の御前で今の言葉を進言してみるか。王女殿下思いの王太子の逆鱗に触れたいのであれば止めはしない」という言葉に恐れをなしたようだった。

 かくしてそれぞれの地区ごとに集まり話し合うこととなった。後日結果を報告といかなかったのは単に日数的に日が足りないからだった。

 そしてトーリス、クレスモールやモルトンなどの下町と呼ばれる地域代表はあっさりと『空色』に決定してしまったのだ。しかも満場一致である。

 アーシュは激昂して反発したが多勢に無勢だ。

 取りつく島もなかった。

 確かに王家の催事に参加したという名誉は下町地区の人間にとっても悪い話ではないし、参加をすれば自慢になる。

 しかしかかる負担と利益を天秤にかけたとき報酬が実質経費のみという事実が負担のほうに重りが傾いたというだけだった。

 年末といえば書き入れ時なのだ。年末風物詩の菓子を増産して売りさばかなければいけないのに別のことに人員を割く余裕はないというのが彼らの言い分だった。

「だったらうちも同じだろ!うちは俺とフリッツしかいないんだから」とアーシュが主張すれば「確かにそうだが。最近売り子の女の子がいるじゃないか」と返されてしまう。

「あいつらは不定期勤務なんだよ。家の事情があってそんなに来れないんだ。とにかく困る、面倒くさい。なあハデルさん、『猫の金貨』なら大きい店だし、なんとか人も回るだろう。そっちでどうにかしてくれよ」とアーシュはトーリス地区の取りまとめ役でもあるハデルに声をかけた。

 割と大きな店でトーリス地区で菓子店を初めて十数年の古い店だ。「とはいってもなぁ…」ハデルもまんざらではなさそうなのだが歯切れが悪い。

 アーシュは皆をぐるりと見渡すがアーシュと目を合わす間もなく下を向いてしまう。

 ハデルもひげをなでながら弱り切っている。

 アーシュの方を向いて、そしてちらりと別の集まりの方に視線を動かしてまたアーシュに目線をあわせた。

「まあ俺たちもできればやりたいんだが…。なんつーか、クレイス地区のやつらの嫌味を聞きながら仕事をするのが面倒なんだよ。その点アーシュなら威勢もいいし物怖じしないし、強いし。精神面でもなんとかなるだろう。腕も悪くないし。だから頼むよ。俺たちあいつらの嫌味聞きながら年末過ごすのかと思うと…、そっちの方で胃が痛くなりそうだ。新年早々医者にかかりたくない」というなんとも下町の菓子店らしい本音を最後の最後に漏らしたのだった。


「なんというか、らしいといえばらしいというか」

 詳細を聞き終えたフリッツの感想である。結局のところ年末の商売の方が大事だとか何とかいいつつ高級菓子店を名乗る連中と足並みを揃えて何かをするということにビビっているだけなのだ。なんとも府に落ちない理由で選ばれたアーシュはしぶしぶ引き受ける羽目になった。


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