三章 動き出した王太子7
メイリーアの陰からはちょこんとルイーシャも顔をのぞかせていた。今日は二人一緒に抜け出してきたらしい。メイリーアは長い髪の毛を後ろで編み込みして器用にまとめていた。
「よう、よく来たな」
アーシュはレオンを無視してメイリーアに声をかけた。前回の勤務から四日ぶりの再会である。
そしてメイリーアの来訪は都合が良かった。何しろ今日は色々と立て込んでいるのである。猫の手も借りたい状況なのだ。メイリーアがいればレオンも機嫌よく働いてくれるだろうと見込んでアーシュはこれからの段取りを頭の中に描いた。
「メイリーアちゃんルイーシャちゃん久しぶり~」
「ひさしぶりねレオン」
「お、お久しぶりです…レオンさん」
メイリーアは明るく、そしてルイーシャはまだ腰が引けているのか小さい声であいさつをした。あのレオンを前にしてちゃんと挨拶ができるのだからルイーシャも大物かもしれない。レオンは少女二人から挨拶をされて傍から見ても分かるくらい頬が緩みっぱなしだ。もじもじしているのだが本気で気持ち悪い。
レオンがカウンターの前に陣取ってなかなかメイリーア達を離そうとしないのをようやくアーシュがカウンターから回って三人の間に割って入らなければならなかった。つくづく営業妨害が得意な男である。さっさと追い出さないと他の客の来店の妨げになる。
しばらくしてメイリーアとルイーシャが制服に着替えて戻ってきた。ぱたぱたと駆け寄ってくる二人を確認してアーシュはフリッツの方を見やった。さきほどフリッツに地図とメモを書かせたのだ。
「さっそくだがメイリーアとルイーシャには配達に行ってきてもらいたい。その帰りにマインツ商会ってところに寄っていくつか品物を受け取ってきてほしい。菓子の材料を仕入れている店だ。荷物持ちにレオンを貸してやるからよろしく頼む」
「ちょ、聞いてねーぞ。てめえで行けよ」
間髪いれずにレオンが反発した。
「今日は菓子店組合の緊急招集があるんだよ。メイリーアら二人だけに留守番させるわけにもいかないし、だったら彼女らに外出てもらった方がいいだろう。前からこのあたり一緒に歩きたいって言ってたんだからちょうどいいだろう」
「それは荷物持ちとかじゃなくて一緒にカフェ入りたいってことだよ!」
「どっちでも一緒だろう。つーかここでびしっと決めてカッコいいところ見せておけって」
その言葉にレオンは素早く反応した。カッコいい自分を見せる機会というやつでも想像しているのだろう。途端にやる気になったようだ。根は単純なのである。
「菓子店組合ってなあに?」
興味を引かれたのかメイリーアが質問してきた。しかし時間がないのは本当のことである。会合の時間も迫っている。
「悪いその質問は後で答えてやる。レオンと一緒だけど一応気をつけろよ。変な奴に因縁つけられたら『空色』のアーシュの名、出しておけ。あとレオン売られたケンカは買うなよ。じゃあ行ってくるわ」
アーシュは白い作業着姿のまま慌てて店を飛び出した。組合が会合を開く会館までは辻馬車を捕まえて十数分といったところだろうか。晩秋、いや初冬の空気がぴりぴりと冷たい。時間が押していたとはいえ上着くらいは着てくるんだったと後悔しても後の祭りである。せめて首元くらいは暖めようとアーシュは後ろで結わえていた髪の毛をほどいた。一本にまとめているよりかはましである。
それにしても急な話である。菓子店組合とはその名の通りグランヒールに店を構える菓子店らが集まった集団である。商人との仕入れ値の交渉や情報交換などを行ったりしている寄合のようなものでアーシュも一応組合員として席を持っている。やはり横の情報網を持つことは何かと便利であり、グランヒールで菓子店を営む身としては参加していて損はない。その組合の緊急集会とは一体何事だろう。今年は別段小麦が不作とかではなかったはずである。例年ならばこの時期は来る年末の祝いの為のケーキやクッキーなどの販売の為各店大わらわははずだ。アーシュが『空色』を開店して約三年、この季節に緊急で招集など初めてのことだった。馬車の中なかからせわしなく移り変わる景色を見るともなしに眺めながらアーシュは今日の会合について考えた。
その日の夜である。会合は延々と長引きアーシュが『空色』に戻ったのは日もどっぷりと暮れたあとだった。当然メイリーアは帰宅した後だった。店を閉めたアーシュはフリッツを呼びだした。といっても二人の住んでいる『空色』の二階、住居として使っているへやであったが。元々備え付けてあった木製のテーブルに椅子、戸棚くらいしかない簡素な部屋だ。狭い部屋の真ん中に置いてあるテーブルに座り手元には葡萄酒を置いている。飲まないとやってられない、といった心境だった。ちびちびと酒をあおりながらフリッツはアーシュから説明された事の次第を頭の中で整理をした。
「なるほど。王家の思い付きのとばっちりを師匠が受ける羽目になった、と。そういうわけですね」
フリッツの要約にアーシュは不機嫌な顔でうなずいた。眉間に寄った皺は深く普段の三割増しくらいには凶暴な顔つきである。アーシュはうつわに残っていた酒を一気に仰ぎ飲み深々と息を吐いた。
「まったくやってられねー。このくそ忙しくなるときになんだって何の得にもならねぇことで時間取られなきゃならねぇんだ」
「王家主催の毎年年末恒例の慈善事業なわけですね。それで今年は初めての試みとして菓子店を一堂に集めて市民に菓子を振る舞うと、そういうわけですか。で、師匠が下町トーリス・クレスモール地区代表に選出されたということで。確かに面倒ですね」
詳細を聞かされたフリッツも困ったように眉根を寄せた。なんでもグランヒールをいくつかの区域に分け、その地区の代表となった菓子店が当日は宮殿近くのグラン広場に一堂に会して菓子を振る舞うという趣旨の催しらしい。
「ああ本当に面倒だ。グランヒールを七つの地区に分けてそこから各代表店を選んで、あとはよろしく、と。丸投げにもほどがある」
今日の集会とはその七つの店を選出することが一番の目的だったのだ。宮殿の執務機関である宮内府の役人立ち会いの元、「お菓子の祭典」と名のつけられた催しに協力することを半ば強制させられたのだ。準備期間は一月半あるかどうかといった急すぎる要求で、だ。




