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王女殿下と菓子職人   作者: 高岡未来
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二章 隣国からの訪問者12

 メイリーアは慣れた様子で辻馬車を拾って、行き先を告げて乗りこもうと踏み台に足を掛けた。そのまま乗りこもうとした瞬間、後ろ手をゆるりと掴まれて、驚いて振り向くとアーシュの顔があった。

「また、来いよ」

 耳の近くにふわりと落ちてきた声は少しだけ柔らかかった。いつもはあんなにも意地悪なのに、今日は一体どうしたのだろう。踏み台に足を乗せていたのでアーシュの顔が正面にあった。長い前髪から除く瞳は柔らかな薄茶でまっすぐにこちらに視線を向けられていていた。口の端が少しだけ持ちあがっていて、そんな顔が間近にあるものだからメイリーアは落ち着かない気持ちになってすぐに目線を逸らしてしまった。

 アーシュは特にメイリーアの返事を待つでもなく、するりと手を離しそのまま馬車から離れた。言葉を発する機会を逸してしまってメイリーアの口は中途半端に空いたままだった。それでも、思わず間近で見つめたアーシュの顔が眼裏に浮かんできて、それが口元を緩めた柔らかな顔だったからなおさらメイリーアを奇妙な気持ちにさせた。ルイーシャがいなくて良かったかもしれない。きっと今とっても変な顔をしているに違いないから。なんだかとっても変な気持ちだった。自分の心なのに、どこか水の中に浮かんでいるように掴みどころのない不思議な感情が波打っている。きっとアーシュがいつもよりも優しいかったからビックリしてしまっただけ。きっと次叱られたらいつものように落ち込んで、それでも納得できないことには意見して、いつの間にか喧嘩になっている、なんてことに落ち着くのだ。




 結局メイリーアがアルノード宮殿に帰りついたのは当初想定していた帰宅時間よりも遅れてのことだった。いつものように宮殿の人気のない場所を人目に着かないように注意を払って忍び込んで―どこから忍び込むかは企業秘密だ―、迂回して宮殿奥の庭園の方に回り込んだ。騒ぎになっていないことを祈りながら道なき道を進んでいる最中であった。植栽のあたりをガサガサさせて、よっこらせと通り抜けたところを人に見られてしまった。しかも相手が悪かった。

 ガルトバイデン王国の第二王子ノイリス殿下である。

「あれ?こんにちは、メイル・ユイリィア姫」

 しかも相手は呑気に挨拶までしてきた。一方のメイリーアは頭に葉っぱをつけていた。こういうときは見て見ぬふりをしてくれたっていいのではないか。なにしろこちらは侍女もつけずに一人きりだ。髪も簡単にしか結っておらず着ているドレスはは飾り気のない簡素なつくりのものだ。どうみたって外行きの格好ではないのだから、空気を読んでほしい。

「ご、ごきげんようノイリス様」

 メイリーアは仕方なしによそいきの笑顔を作って取り繕った。こうなったらやけくそだ。真正面から挨拶をされたのだからこちらも返さないわけにはいかない。いくら表向きはライツプラージェ侯爵を名乗っていてもこちらは彼の正体を知っているのだ。無下にはできないのである。

 宮殿の外れの庭園、というかうっそうと茂った木々の近くで王女と王子の相対である。メイリーアは逃げ出したかったが相手は呑気にさらに会話を続けてきた。隣に空気のように控えている騎士の視線が冷たいのは、多分気のせいではないだろう。

「メイル・ユイリィア姫とまさかこんな所でお会いできるとは。てっきり姫は自室にて休んでいるとばかり思っておりました。さきほどお部屋まで窺いにいったところ、侍女のベルテン嬢が本日姫は勉強のしすぎて頭痛が激しいのです、と話していたものですから」

「え、えーと…」

 のほほんと話すノイリスに対してメイリーアは言葉に詰まった。ベルテンはルイーシャの姓である。とっさのいいわけが勉強のしすぎで頭痛とは、ルイーシャの中のメイリーアの扱いはどうなっているのか。一度問い詰める必要があるかもしれない。

「頭痛を治そうと思って、ちょっとお散歩をしていましたの」

 こうなったら話に乗っかるしかない。メイリーアはさらにやけになって言葉を紡いだ。こうなれば進むだけだ。

「そうなんですか。確かに外の空気を吸った方が気分もさっぱりするかもしれませんしね」

「そう、ですのよ。おかげで大分元気になりましたわ。外の空気は美味しいですもの」

 ふふふ、とメイリーアはかわいらしく微笑んだ。葉っぱを頭に付けたままでは全然様になっていなかったが。ノイリスはともかく彼の傍に控えている騎士は内心この茶番に対して呆れているに違いない。なんとなくだけれど、不自然に顔を斜めに背けている。

「姫、その手に持っている箱はなんです?」

 ノイリスの指摘にメイリーアは慌てて自身の手の中にあった箱を後ろに隠した。白い簡素な箱の中にはメイリーアに、と買った焼き菓子が入っている。働いていたときにはしっこを欠けさせてしまったクッキーもしっかりとお買い上げしてきた。そんなにも大きな箱ではなかったけれど、ノイリスの目はちゃんと捉えていたらしい。にこにこと笑っているが、底知れないものを感じてメイリーアは少しだけ後ずさった。

「ええと、その…」

 どうしようかとメイリーアは言いあぐねた。

「そういえば姫はずいぶんと人気のない場所がお好きなんですね」

 相変わらず愛想のいい笑顔を浮かべているが、なんとなくメイリーアは思うのだ。ノイリスの笑顔はどこかから借りてきたもののように少しだけ異和感があると。なんというか、仮面をつけているような本物の笑顔じゃない気がするのだ。さきほど屈託なく笑ったアーシュの笑顔を間近で見てしまったからなおさらそうやって思うのかもしれなかった。なのでいつも彼の真意を測りかねる。

「そ、そうかしら。このあたりは確かにあまり衛兵も身回りに来ませんものね」

「僕もつい物珍しくて色々と見て回ってしまいました。先ほどまでは本当に人気もなかったのに、がさごそ物音がしたと思ったら姫がいらしたので驚きましたよ」

 ということは見られていたのか。宮殿の奥から執務棟へと抜ける格好の抜け道のためメイリーアはよく、この二つの区域を分けるように植えられている植栽の脇を愛用していた。

「ちょっと、外を散歩していたんですわ」

「外、ですか」

 得心がいったかのようにノイリスは笑みを深めた。外が単純に庭園という意味ではないことを感じたのだろう。少しだけ瞳の中に面白がるような色が混じっていた。

「もしかしてそれはお土産、のようなものでしょうか」

 ノイリスの視線はメイリーアが後ろ手に隠した箱に向かっていた。メイリーアは息をひとつついて観念した。おそらく彼は宮殿内でメイリーアの評判を聞いたのかもしれない。

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