二章 隣国からの訪問者5
少しだけ困惑の色を浮かべた二人が口を開くよりもアーシュが口を開く方が早かった。
「ダメだ。この二人はうちの売り子たちだ。てかおまえ客とか言うんならさっさと注文しやがれ」
アーシュはいつの間にかメイリーアの隣に来て、彼女の肩に手を置いていた。二人が『空色』に通い続けるのは突っ込みたかったが、かといってレオンの店に二人を取られるのもなんとなくだが面白くないのである。アーシュ自身もわからないのだが。
「あー、はいはい。ええとじゃあ今日は…」
そんな様子のアーシュを目の当たりにしてレオンは少し大げさに肩をすくめて見せて店の中を物色した。カウンターではなく窓の横に置いた棚から紙に包まれた堅焼きのクッキーを選んで小銭をメイリーアに渡した。
「15シリィ銅貨ちょうどです。ありがとうございます」
「メイリーアちゃん、うちにも今度遊びに来てね。アーシュのケーキじゃなくて、今度は俺お手製のトリスティ・ブレッドごちそうしちゃうから」
そう言い残してレオンは名残惜しそうに店を後にした。
ようやく面倒くさいのが店から去ってすっきりしたが、扉の外からレオンが大きく手を振っているのを見てアーシュは憮然とした。あいつは昔からあんな風なことをするような輩だっただろうか。横を見やればメイリーアもちゃっかりと手を振り返している。
ずいぶんと親しくなったようである。
「トリスティ・ブレッドって何かしら?」
レオンの姿が窓からも見えなくなり、メイリーアはレオンの最後の言葉の意味が分からずに最後の単語を反芻した。
アーシュはといえば最後の言葉を聞いて口がへの字に曲がるのを止められなかった。人のケーキを脇に置いておいてちゃっかりと自分のお手製の菓子を進めたのである。菓子職人としてそこが面白くなかった。
「ルイーシャ知ってる?」
「いえ…」
トリスティ・ブレッドは主に庶民に親しまれている菓子、というか料理である。メイリーア達が知らないのも無理はなかった。もちろんこのあたりに居を構えている人間ならば子供のころから食べ慣れているに違いないが。
「おまえらもそんなことどうでもいいからちょっと配達に行ってこい。おい、フリッツ」
アーシュの声に反応して厨房の方から「はーい」というフリッツの返事が聞こえてきた。先ほどからフリッツが仕上げをし、包装していたのだ。
「わぁい。さっそくケープ着て行っちゃおうね。ルイーシャ」
「遊びじゃねーんだよっ!さっさと行ってこい」
新しい制服が嬉しいのかお使いだというのに浮かれた声を出すメイリーアに声を荒げたアーシュなのであった。
本日の届け先は『空色』から歩いて五分ほどのレーシスタ通りにある下宿屋だった。なんでも下宿人のうちの一人が大学の大切な試験に合格したとかでお祝いの為にアーシュにケーキを注文したとのことだった。基本的に『空色』では一つ売りのケーキは扱っていない。細長い型を使用したケーキは一切れずつ切って量り売りを基本にしている。もちろん一切れとはいわずに丸ごと買うこともできるのだが。今日売れるかどうかも分からない大型のケーキは完全予約注文せいなのである。
「ただいまぁ~」
「ただいま帰りました」
二人して店に戻ると、バターの溶ける良い香りが鼻腔をくすぐった。厨房で何か調理しているのだろうか。焼き菓子が焼けるときとはまた違った芳香にメイリーアとルイーシャは二人して顔を見合わせた。
「ああ、おかえりなさい二人とも。迷わずにいけましたか?」
「はい。フリッツさんの説明がよいおかげです。最近では随分とこのあたりにも慣れてきました」
店番をしていたフリッツが二人を笑顔で出迎えてくれて、彼の質問にルイーシャが丁寧に答えた。
メイリーアはつつつ、とカウンターの中へ回り込み好奇心いっぱいの顔をフリッツに向けた。小さな店の中に充満する正体不明の匂いが気になって仕方がないのだ。しかも自分の勘が告げている。これは絶対に何か美味しいもの、しかも甘いものの気がする。「ねえ、この香りはなあに?とってもいい香りね」
「メイリーア様、お行儀が悪いです」
ルイーシャがすかさず咳払いをした。こういうとき、年下の侍女兼話し相手は途端にかしこまった態度を取るのだ。もちろんメイリーアはこのくらいの言葉は気にしないのだけれど。
「なによ、ルイーシャだって気になっているんでしょう」
「そ、そんなことありません。ここはお店なのですから、何かお店に必要なものを作っているのでしょう」
「でもこんな香りいままでしたことなかったじゃない。クッキーが焼ける香りとも違うようだし」
そう言ってメイリーアは奥の厨房へと続く扉のノブへと手を掛けて、扉を開けて厨房の中を覗いた。
「ああああ、もう。メイリーア様ったら」
ルイーシャも慌ててメイリーアの後を追うべくカウンターの方へと急いだ。
「アーシュ。何を作っているの?」
「お、もう帰って来たのか。今日は道草しなかったんだな」
アーシュは機嫌よさそうな声で振り返った。手には重そうなフライパンを持っている。軽々と片手で持ち上げて、ちょうど中身を白いお皿へと移したところだったようだ。あんなのを普通に持ち上げるんだから男の人は力持ちだ。『空色』に通うようなって、お菓子作りの様子も何度かこの目で見てきて思ったのは、職人たちはみな力持ちで、菓子作りは案外体力勝負なのだということだった。




