二章 隣国からの訪問者1
秋も深まってきた日の午後。グランヒールの北に位置するアルノード宮殿の一角。王太子の執務室でトリステリア次期国王でもある第一王子レイスハルトは政務に励む、ではなく盛大に机の上に突っ伏していた。
御年二十三歳、亜麻色の髪の毛に済んだ青い目を持つ未来の国王たる彼は国中の貴族の令嬢たちあこがれの対象でもあるのだが、今のこの姿は見せられたものではないだろう。執務机の上には投げ出された書類の山、そして聞こえるのはうめき声だ。
側に控えた執務官は慣れっこなのか微動だにしない。
王太子のこのような姿は日常茶飯事であったし、良い部下というものは仕える主人のどんな姿を目撃しても平然とかまえているものなのだ。たとえそれが妹恋しさにさきほどからうんうんとうめいていても、である。
レイスにとって妹は癒しであり庇護する対象であり、全てであった。十二歳の時に当時の王妃、彼らにとっての母親を病気で亡くした時、妹たちはまだ小さかった。ほんの子供だったのだ。とくに末っ子のメイリーアはまだ死という概念を頭では理解していなくて、突然消えてしまった母をさがしてよく泣いていた。自分もまだ幼い身ではあったけれど、幼少のころより母に妹たちをよろしくね、と常々言われていたこともあったしレイスのことを純粋に慕ってくる妹たちに愛情を傾けるのはごく自然なことだった。
一つ年上の姉とは違い二人の妹はごく普通のおしとやかな女の子で―あの頃から姉のアデル・メーアは趣味がナイフ投げだった―兄であるレイスに良くなついていた。
幼い妹を守るのは兄として当然のこと、それが当の妹本人から重たいと言われても可愛いものは可愛いし守りたくて閉じ込めておきたいのだから仕方ないのだ。
そう、あのときは衝撃的だった。もう一人の可愛い妹であるシュゼットは一昨年、アデル・メーアとの見合いの為にトリステリアを訪れていた北の隣国の王子と恋に落ちてしまいそのまま縁談をまとめあげてさっさと嫁いでしまったのだ。「お兄様の愛は重すぎます」という言葉を残して。まだまだ子供だと思っていたシュゼットの結婚はレイスに衝撃をもたらした。そうなのだ、愛する妹たちもそういうお年頃になってしまったのだ。あと残っているのは末の妹メイル・ユイリィアのみ。
レイスはつい先日城に届いた手紙の内容を頭に思い浮かべた。以前から再三に渡って手紙を送りつけてきたのはトリステリアの東の隣国ガルトバイデンの王太子ノイリスである。今までは王太子の権限を使って勝手に握りつぶしていたその書状がついに先日姉と父王にばれたのだ。しびれを切らしたノイリスが使者をアルノード宮殿へ寄こしたのだ。
トントン、と扉をたたく音がしたがレイスは無視をした。悪いが今は人と会う気分ではない。執務官が取次に向かい、何かを話している様子だったが、彼の制止も聞かずに訪問者は部屋の中へと侵入してきた。
「なにやさぐれているのかしら、可愛い弟君は」
その声はどこか面白そうであった。
声の主は金色の姫君、レイスの姉のアデル・メーアである。一つ年上のこの姉は残念ながらレイスの庇護対象には入っていなかった。どちらかというと頭の上がらない存在、苦手なタイプなのである。
「あら、全然読んでいないのね、陳情書」
「…姉上。これらを読むのは本来役人の仕事では」
力なく首を起き上がらせたレイスが反論すると、アデル・メーアはふふん、強気に笑ってみせた。
「未来の国王たるもの、今からしっかりと国民の生の声を聞いて読んで、かれらが今どんな悩みや不満をもっているかしっかり感じとらなくては。普段からしっかり視察やら執務をしていれば、近衛兵をグランヒールにばらまいて市民をびっくりさせることもないし、すっとんきょうなお触れをだすこともなくってよ」
「いや、あれは私の可愛いメイリーアが城から消えてしまったからであって」
つい二週間前にメイリーアが城を抜け出した為、レイスは自分の近衛を総動員して城下の探索に当たらせた。自分とのお茶の約束をやぶるなんてあり得ない、ということはどこぞの曲者に誘拐されたに違いない、と息まいて捜索させたのだが結局は空振りに終わった。姉のところにずっといました、とアデル・メーアを伴って現れたメイリーアは姉と遊戯に興じていてすっかり時間が経つのも忘れてしまったと消沈顔をしてみせた。いや、宮殿の中は探しまわったのに見当たらなかったのだ。姉のところになどいなかった、と喚いたところで肝心の姉であるアデル・メーアがメイリーアの肩を持てば黒も白にひっくり返る。そういうことにされてしまい、おまけに無駄に城下を騒がせたと言いがかかりをつけられこうしてアデル・メーアからの嫌がらせで普段は下っ端役人の役目である陳情書読みなどをやらされる羽目になったのだ。
一応王太子なはずなのに、物心ついたころからこの姉にはさっぱりと叶わないレイスなのであった。
「まだ言っているの。夢でも見ていたんでしょう」
「そんなことない!」
「うるさいわね。わたくしが夢と言えば夢なのよ。だいたいあなた昔も城を抜け出したメイリーアを心配するあまり「今日から金髪の女性に男性は一切触れてはならない」とかいう意味のわからない触れをだしてみたりするし。前から思っていたけれど、あなたほんとうにメイリーアのことが絡むと馬鹿になるわね。気持ち悪いわ~」
「嫌味を言うためにわざわざ来たのかい、姉上は」
レイスは一向に口では勝てないアデル・メーアに膨れてみせた。王子の威厳もあったものではない。
「あら、せっかくメイリーアとのお茶に誘ってあげようと思ってわざわざ来てあげたのに」
「姉上、今日もお美しい」
レイスは素早い身のこなしで立ち上がると姉の手を取って自ら扉を開いてみせた。




