硝子の魔物と魔王
ヒロイン不在です。
聖女から魔王が封じられた硝子玉を奪い取るのは思いの外簡単だった。
「うれしーなぁ」
狂ったように笑いながら硝子玉に頬擦りする。
ひんやりとして心地好い。
頭が可笑しいとでも思われるかもしれないが、それでも構わなかった。
だってやっと彼女を手に入れたのだ。
それに、虫酸が走る同族とも離れられる──なんて言ったら半分くらい殺されそうだから言わないけど。
聖女の顔は絶望しきっていて真っ白く血の気を失っている。
仲間だと思っていたのに、ってところかなぁ。
「ごめんね、ボクの目的は最初からこれだけでしたぁ」
「ど、して……」「彼女を愛してるのはボクだけでいい。彼女の目に映るのはボクだけでいい。彼女の真名を知っているのも彼女が憎悪するのも彼女に関するすべてをボクのモノにしたかった。だからぁ、聖女と呼ばれてたキミの仲間になって魔物を滅ぼして回ってたってわけだよ」
愕然としている聖女。
それからハッとしたように口元を押さえてからボクを睨み付ける。
「じゃあ、ヴェルギアが裏切り者で魔王の手下だって言ったのも嘘なの……?」
その瞳は微かに潤んでいる……うん、まあ魔王である彼女以外はどうでもいい。
彼女と同じ世界からやってきた、ってところに嫉妬せずにはいられないけど、それはあっちも同じだろうし。
「うーん、それはどうかなぁ」
「それに、魔王がいるから、皆が、困って……いるんでしょ?」
聖女はすがるような眼差しでボクを見つめる。
同時に別方向から刺し殺さんばかりの殺気が注がれる。
「村とかに流れてる瘴気の話? あれは魔王の仕業にすると都合がいいからねぇ。ね、ヴェルギア」
一時でも早く硝子玉の中に封じられている彼女と二人きりになりたくて、ボクを睨み付けている奴に話を振る。
ボク以外が彼女に傷一つでも付けないように奴には戦闘開始早々裏切り者として死んだフリをしてもらった。
ボクと同族だからそう簡単には死なないから本当に斬った。聖女の戦闘意欲を削ぐためにも必要だから。
万が一にも聖女が手を出して封じる前に彼女を殺しでもしてしまったら困るから。
「ロハンス、俺の聖女に余計なことを言うな」
「ヴェルギアっ!」
希望を見つけたように明るくなった聖女の表情。
──それが絶望に変わる瞬間はそう遠くない。
「俺の聖女……これでもう何者にも邪魔されることはない。そうだな、ロハンス?」
「っ、え……」
「そうだねぇ、でも村とか町を滅ぼしたのはキミだけどぉ?」
聖女の顔から、また血の気が失われていく。
頭の回転が早いって不幸なこともあるんだね。
「うそ、うそよ」
「ぜぇーんぶ本当だよぉ」
「もういいだろう。俺の聖女の視界に貴様のような気狂いを映すのも、本当は嫌なんだ」
「あははははぁ、今はすごーく気分がいいから背後からいきなり襲い掛かったりしないからさぁ……早くそっちのオヒメサマ連れて出てってよ」
これ以上の言い争いは時間の無駄。
どうせお互いを罵り合って殺し合いに発展してどちらも死ねずに終わるだけだから。
「わかっている──魔王様を、壊すなよ」
力なく床に座り込んでしまった聖女を抱き上げながらヴェルギアは言った。
ムカつくなぁ、でも、まあ、壊してしまったらボクが欲しい彼女じゃなくなるから、気を付けないといけないのは事実だ。
「はいはい、そっちも頑張ってねぇ」
「言われるまでもない」
ぐにゃりと歪んだ空間に、二人は消えていった。
これで、二人きり。
「レーラ」
答えは返ってこない。
当たり前だ。聖女に封じられた彼女は硝子玉の中でただの人間に変わるために分解再構築されているんだから。
「レーラ、これでキミは逃げられなぁい」
彼女を魔王様と慕う魔物どもが邪魔だった。
──だから狂わせてやった。本能のまま人間を襲うように仕向けた。
彼女を魔王だからと殺したがる人間どもが邪魔だった。
だから狂ってくれなかったヴェルギアに取り引きを持ち掛けた。
「もう世界を渡る“門”も永久に開かない」
準備が完了したら、ボクはレーラをこの硝子玉から出す。
魔王としての力を完全に失いただの人間に変わった彼女はボクだけを見つめる。
邪魔なものは、ぜぇんぶ壊した狂わせた。
「泣いて、嫌って、恨んで、そうしてボクに復讐でもすればいい」
身体だけが欲しいわけじゃない。
一番欲しかった彼女の心は、いつも元の世界にあるようだった。
彼女は、帰りたがっていた。
ボクでは世界を越えられない。
それでも、心に消えない傷を刻み込むことは出来る。
「ボクはキミに、殺されたい。最期に見るものはレーラがいい」
──だけど本当は、もう少しだけ、生きていたいとも思う。
『ロハンス』
脳内に繰り返し再生されるボクを呼ぶ声。
そんな幻聴が聞こえてしまうくらいにボクは彼女に囚われていた。
「『愛なんて不確かなものよりも憎悪のほうがずっと確か』、かぁ。確かにそうかもしれないなぁ」
いっそボクがレーラを憎んで終われたらよかったのかもね。
そうすればボクはこんな風に矛盾した想いを抱くことなんてなかった。
『硝子の魔物? 綺麗ね、だけど──』
レーラの声が聞こえる。
ぽたり、ぽたりと何かが硝子玉に落ちた。
涙だ。あれ、どうしてボクは泣いているんだろうか。
『だけど──私は貴方がいつか壊れてしまいそうで心配だわ』
ごめんねレーラ。
ボクは魔物だ、人間にはなれない。
ボクは魔物だ、王には逆らえない。
ボクは──君を愛したただの男になりたかった。
でも出来ないから、ね、ボクを憎んで?
「愛してるよぉ、麗羅〈れいら〉」
全部を壊してやっと、ボクはたった一つを手に入れた。