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逆行懐古録Ⅰ しあわせなリーナ  作者: 黒川杞閖
一月 「しあわせなリーナ」
9/52

夢現

 パンフレットを一通り読み終えた俺は、色とりどりの人波に合流しつつあの少女のことを考えていた。

 朝の少女は絵の具を持っていた。彼女もやはり絵描きなのだろうか。だとしたら、今度の作品展に彼女も参加するのかもしれない。

 ――会えるだろうか、彼女に。返せるだろうか、この夕陽色を。

 ――何をばかなことをと、俺はすぐに現実に引き返した。そんな方法は手段として不確実すぎるし、第一そこまで長くここに滞在する気もない。そもそも、彼女にそうまでしてこだわる必要なんてないじゃないか。絵の具なんて、それこそこの街で調達するのに困りはしない。

 歩きながら、少しだけ頭を横に振って冷まそうとする。後ろに束ねた分の髪の毛があるから、こういう人ごみの中で頭を振るときは気をつけなければいけない。

 ひとつのところに長く留まっていたって、いいことなんて全然ないんだ。

 俺は今の暮らしが気に入っている。見る人が見れば根なし草なのだろうけれど、それでいい。ひとところに長くいられないのだから、これでいいんだ。

 さっきから、どうにもくだらない雑念を取り払えない。どうしてか名前も判らない彼女のことばかりが気になって、歩くことにさえ集中できなかった。美しいはずの景色も意識に入ってこない。寒さが頬を打っても、人々の足音が耳をくすぐっても、何故だか、何故だか――。

 先生が、妙なことを言うからだろうか。

『お前はこの一月に太陽のような娘に出会うようだ』

 正しくは、俺に先生の言う『娘』の心当たりがあるからだろうか。ミアの読み上げる伝言を聞いて、真っ先にあの少女のことが思い浮かんだから?

違う。それだけではない。俺は経験的に知っているからだ。自分が再びあの少女と出会うであろうことを。そしてそれが、必ずしも幸運な形の再会ではないことを。

『お前の求めるものは彼女が持っているが、彼女には触れることはできない。触れようとすれば、彼女は三つに割れてしまうんだ』

 そう、先生の夢見はよく当たるんだ。俺の知っている限り、外れたことはほとんどない。

 そして、先生が俺に夢見の話をしてくれるときは、決まって俺を心配してくれているときだ。俺と彼女との間できっと、誰か――多くの場合当人たち――にとってつらいことが起こる。それを知って、あのやさしい魔術師は、また要らぬお節介を焼いてくれているに違いない。あるいは敢えて苦難の存在を伝えることで、俺を試しているのかもしれない。俺がどう動くのか。ひいては、どう生きるのかを。

 先生の真意は、昔から判らないままだ。ただしもう、知ろうとも思わない。

 ああもう、こんな状態でいつまでも街をぶらついていてもダメだ。気がかりがいろいろな感覚を阻害して、さっきから人にぶつかりそうにばかりなっている。危ない。こんなことではダメだ。また、振り回されている。

 ――ひとまず、昼食を買ったらさっさと宿に戻ろう。幸い、広場の反対側の方に短い行列をくっつけた屋台が出ている。パンか何かを焼く、香ばしいにおいがここまで流れてきているのだ。

 両の頬をぱしりと叩いて前を向く。しっかりと意識を保てと、用心深く自分に言い聞かせて。大げさなまばたきの後、目をきっと見開いて、覚悟を決めて屋台を目指す。まるで、昔のようにどこかの戦場に突っ込むときみたいだ。自分でも、たかが人ごみを突っ切るためにここまでするのはあほらしいと感じつつも、そうせずにはいられない気分だった。俺は、昔からどうも芯の部分がぐらつきがちだった。それでも以前はもっときりりとしていたものだが、もしかしたら近ごろは平和ボケしたのかもしれない。

 大股で一歩一歩踏み出して波の切れ目をうまく縫うように進み、俺は広場のオブジェを挟んだ反対側へと抜けた。幸運にも、通行人には一切ぶつからずに済んだ。そのことにささやかな達成感と満足を胸に抱えて、目的の屋台でホットサンドのパックを購入した。

「お兄ちゃん、観光の人だろう? オマケしておくよ」

 屋台のにこやかな主人は、そう言ってサイドメニューのポテトをタダで付けてくれた。ただ、所詮は屋台価格であるからして、それでも割高感は拭えなかったが。何でも、この時期に観光客が来るのは珍しいとのことだ。まあ、新年とは言え何もないもんな。

 胸に焼きたてホットサンドのぬくもりを抱いて、俺は再び広場を突っ切った。今度はただひとりだけ、太ったおばさんと肩がぶつかった。

「あらやだ、あたしにぶつかってくるなんて、昔のお父ちゃんみたいにあたしを口説くつもりかしら?」

 顔を赤らめた上にわざわざ立ち止まってこんなことを言うあたり、あのおばさんに深く関わるとなかなか面倒そうである。

 焼きたてのおいしさを味わうこと、いいにおいをかいでいるうちに腹の虫がわめき始めたことを考え、一刻も早くサンドにかじりつきたいところであったが、また雑念に思考を持っていかれないうちに部屋に戻りたい想いを優先して、まっすぐ宿に帰ってから食べることにした。もう少しだけ、張りつめた意識を保とう。――それでもいつまでもつか判らないから、ちょっとだけ走ることにした。


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