終章、ある今の話~小さな問いと小さな課題~②
「――お姉ちゃんのことは、聞かないんだね」
俺の引っかかりを察してか、メルティーナは自分からそう言った。
「気にならないのかな? だとしたら、お兄さんも大概、変わった人だね」
メルティーナはころころと笑った。その屈託のない笑顔が妙にくすぐったくて、俺は彼女から目を逸らした。
「お姉ちゃんとは、あれから普通に過ごしてる。びっくりするくらい、今までどおり」
俺がアリーシャを責めなかったこと、そしてメルティーナに姉を責めないでくれと頼みこんだこともあって、姉妹は見かけ上これまで通りに生活を続けているようだった。
ああそういえばと、メルティーナは思い出したかのようにつぶやく。
「ひとつ変わったことと言えば、お姉ちゃんの音がアリーシャの音になったくらい、かな」
「……?」
音楽に疎い俺には、彼女の言っている意味が解らない。
「もう、リーナはいないってことだよ」
そう言って、隣を歩く彼女は笑った。姉と同じ、とても晴れやかな笑顔で。
「ねえ、お兄さん」
俺がこの街で出会った、同じ顔をした少女たち。絵描きのメルティーナ・フラウ、楽器弾きのアリーシャ・フラウ、そして、この世のどこにも存在しないリーナ・アールス。俺に彼女たちのしあわせを定義することはできないけれど、それでも考えてしまう。今まで続けてきた『ごっこ遊び』を壊されて、彼女はしあわせだったのか? 姉のやるせない心のうちを他人にあばかれて、彼女はしあわせだったのか? そして、その存在そのものが掻き消えてしまった彼女は――。
リーナ・アールスはしあわせだったのか?
俺には、いつまでもいつまでも、解らなかった。
「――そういえば、お兄さんの名前って、なんだったっけ?」
*
――この時代、アンゼの芸術都市ヴェーシスで活躍したリーナ・アールスという芸術家がいた。後年登場した覆面作家、メルティーナ・フラウの作風がアールスのものに酷似していたことから、このふたりは同一人物であったとする説が有力である。なお、フラウは若くして筆を折り、そのまま消息不明となったため、彼女に関する資料および現存している作品は数少ない。なお、フラウの代表作として知られる油彩画『しあわせなリーナ』は、彼女の熱心なコレクターである西の魔術師が所有している。また、これはあくまで噂でしかないが、幻の作品と化している『しあわせなリーナ』のプロトタイプもまた、彼女の手元にあるという話は、愛好家の間ではあまりに有名である――。
――『しあわせなリーナ』完




