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逆行懐古録Ⅰ しあわせなリーナ  作者: 黒川杞閖
一月 「しあわせなリーナ」
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告白~リーナの肖像②~

 メルティーナは、物憂げなまなざしで俺の腕の行方を見つめている。やがて彼女はそっと目を伏せ、小さく息を吐いて、吸って――再び目を見開いたとき、彼女はまた、直前までの恐ろしい魔女に変わっていた。

 メルティーナは淡々と、アリーシャを責め立て続ける。アリーシャはそれを、空っぽになって聞き流している。俺は何もできないまま、透明になって部屋に融けている。

「アリーシャは嘘ばっかり。あなたはリーナのことなんて想ってない。昔からそうよ。結局、自分の境遇に耐えられなくなったんでしょ? 自分よりずっと大きくなったリーナの名前に、押しつぶされそうなんでしょ? あなたは自分の限界に絶望しているんでしょ? はっきり言いなさいよ、嘘つき」

 空気は凍る。わずかに吹き込んでくる風に、温度は感じられない。冷え切った部屋の中、メルティーナはふいにこちらに向き直り――鋭い目つきで俺を一瞥すると、彼女は再度アリーシャに、さらには俺に強い言葉を投げかける。

「あなたはリーナの価値を殺そうとした。それなら、あたしが殺すのもリーナだよ。あなたが引きずっているリーナの影を、ひとつ残らず暴いてあげる。ねえお兄さん、あなたが証人。あなたが共犯。いい? ここまで来たら、最後まで帰さないから」

 そう言い切った彼女にそのまま腕を取られて、俺は絵の具のにおいのする作業部屋から引きずり出される。思えばこの瞬間まで、自分がこんなにもきつい画材のにおいをついぞ感じなかったことに、俺はぞっとした。メルティーナの力は、見た目よりもずっと強い。一方でアリーシャは――。

「メル……それだけはやめて」

「黙りなさいよ嘘つき」

 俺のもう反対の腕に弱々しくすがり妹に赦しを乞うも、一切の情けさえ掛けられることなく打ち棄てられて、ただただ涙を流すばかりだった。

 取りつく島もない。まさに言葉どおりだ。今のアリーシャには、心を折られた彼女には、きっともう抵抗する力も残されていないのだ。

 結局俺は、目の前にいながらこの姉妹を救うことができなかったのだ。俺はふたりの顔を見ないようにしながら、唇をきつく噛みしめた。廊下の真ん中、アリーシャが俺の腕から脱落したが――彼女を拾い上げることは、メルティーナが許してくれなかった。彼女にとって姉はもう、本当の意味で『壊れた部品』に成り下がってしまったのかもしれない。

 メルティーナは、俺をアトリエの奥まで連れて行く。とはいえここは狭いつくりのアパートだ、もったいぶる暇もないほどあっという間に、俺たちは最奥の扉の前へと行き着いた。そこは、姉妹たちの居室で通りがかった『あの扉』――誰かの気配を感じた扉――と、同じ配置の場所だった。

「あのね、お兄さん。あなたはリーナが誰なのか、知ってる?」

 メルティーナは腕を一層強く引き、問う。俺は素直に、知らない、と答える。

「そうだよね、知らなくて当然だよ。むしろ知らないでいてくれて、うれしいくらい。あたしとアリーシャが、今まで必死に守ってきたんだもの」

 メルティーナは、ドアノブに手を掛ける。背後から衣擦れの音が響いてきたが――ほどなくして、ついえた。メルティーナはそれを確かめるかのように首を振り、ドアノブをひねり――。

「リーナはメルティーナ・フラウとアリーシャ・フラウの共同名義。そして」

 ひと思いにドアを開け放った。

「アリーシャ・フラウの、大事な妹」

 扉の向こうの世界に広がっていたのは、変わったところのない小さな部屋だった。そこは驚くほど何もなく、何の変哲もなく、ただの一箇所以外異様に片付いていることを除いてはごく普通の部屋だった。暗くなりつつある空間の真ん中には、イーゼルに立てかけられた一枚の絵画が置かれていた。

「これは……?」

 見えぬ見えぬと目をこらす俺に、メルティーナは穏やかに笑いかけた。とても久々に、彼女の顔を真正面から見た気がする。

「お兄さんが探していた女の子だよ」

 メルティーナは部屋の灯りをつけ、俺を伴ったままキャンバスの傍へと歩んでいく。今度は光に目がくらんでしまって、それはそれでよく見えない。木枠のふちを撫でた彼女は、いとおしげに絵画に語りかけた。

「ねえ、リーナ」

 アリーシャの妹、俺の探していた女の子。まぶしさに目が慣れたころ、メルティーナの言っていた意味が俺はようやく理解できた。

 そこに在ったのは、彼女たちふたりにそっくりな、髪の長い少女の肖像画だった。

 ただし、『彼女』は、

「あたしが誰なのか解ってないの?」

 彼女の描かれたキャンバスは、ビリビリに引き裂かれていた。


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