追想、とある魔術師について
結局アリーシャに招かれるまま、俺はメルティーナのアトリエに再度足を踏み入れることとなった。数時間ぶりに訪れる部屋は、相変わらず水を打ったように静かなものである。そう、その静けさがいっそ不気味であるくらいに。部屋に到着するまでに俺たちが交わした会話といえば、メルティーナが俺たちの間にあった出来事を知らないことについての、わずかな確認だけだった。
アリーシャに無言のまま促され、俺はメルティーナの仕事場のドアを開ける。するとそこには、一切の汚れのない白いシャツを身にまとった絵描きの彼女が、澄まし顔で佇んでいた。窓枠に寄り掛かる格好の彼女の服や顔には、絵を描いている最中と違って一切の汚れがない。部屋に差す陽に照らされた彼女の素肌は、まるで透き通っているかのように思えた。もしかして、風呂にでも入ったのだろうか。メルティーナの髪は、わずかに濡れている。
「お兄さん?」
メルティーナはわざとらしく驚いたようなポーズをとってみせる。
「それに、お姉ちゃんも。元気だった?」
少し前に会ったばかりだろうに――姉のアリーシャに至っては、一緒に暮らしている家族であるのにもかかわらず――メルティーナは奇妙なことを言った。そもそもここに俺を連れてきたアリーシャの意図も掴みきれないままの自分だが、妹も妹で、何を考えているのかまるで理解できなかった。それどころか、もはや自分が何をしに来たのかさえも見失いそうだ――自分の恐ろしいまでの不出来さに、何だかめまいがする。
そう、忘れてはならない。俺は俺の一月を終わらせるためにここに来た。覚悟を決めよう。今度こそ一月を終わらせよう。俺は自分の決意を再確認するように、心の中で何度も何度も繰り返した。
一月を終わらせる。
先生――西の魔術師との約束を果たすため、今度こそ一月を終わらせるんだ。かつて、先生は俺に言った。俺が先生との約束を果たすことができれば、俺の願いは一片残らずきれいに叶うのだと。
俺が心の中の淀み濁りをかき混ぜる横で、姉妹は平然と会話を続けていた。
「私は元気よ、メル。あなたも、お疲れさま」
「ありがとう。あのねお姉ちゃん、今回の絵、旅のお兄さんに手伝ってもらったお花の絵、すごく楽しく描けたんだよ。見に来てくれた人たちにも喜んでもらえるといいなぁ」
それは、まるで普段通りの会話だった。俺の目の前で、姉が殺そうとした男の目の前で、自分のふりをしていた姉の前で、存在を明け渡した妹の前で、ごく普通の姉妹の会話が行われていた。この状況を異常と言わなかったら、何とすればいいのだろう。俺には、解らなかった。
「きっと大丈夫よ、メル。あなたの楽しい気持ちは、きっと伝わるもの」
「えへへ、そうだといいな。お姉ちゃんは相変わらず褒めるのが上手だよね」
同じ顔の姉妹が、笑顔で語らっている。歯の浮くような言葉で、姉が妹の才に愛をささやいている。どうしてか俺は、その光景を――。
「私はあなたが誇らしいわ。本当、自慢の妹よ」
「もう、むずがゆいよ! お姉ちゃんはいつも褒めすぎだってば――」
その光景を、心底気持ち悪いと感じた。
そして俺自身の勝手な感情の高まりと同時に、メルティーナはにわかに声色を変えた。
「ねえお姉ちゃん」
低く、しかし媚びるような甘ったるい声。
「お姉ちゃん――た?」
彼女は、その薄気味悪い声で姉に問いかけた。後から思えば彼女の言葉こそがすべての始まりであり、踏み込んではいけない『どこか』への入り口であり、同じ顔をした姉妹を知るためのすべてだった。言い換えればそれは、俺が一月を終わらせる――すなわち『誰かの人生を切り開くこと』の、たったひとつの鍵であった。
問いを受けたアリーシャは口をぽかんと開けたまま硬直している。そんな彼女に対して、メルティーナは繰り返す。
「ねえお姉ちゃん、リーナは殺せた?」
彼女の知るはずのない事実、その残酷な言葉を。




