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逆行懐古録Ⅰ しあわせなリーナ  作者: 黒川杞閖
一月 「しあわせなリーナ」
34/52

都合のいい他人

 状況にすっかり呑み込まれた俺の手は、アリーシャによってあっさりと振り払われた。情けない話だ。無論、抵抗などしようもない。『こんなふう』になってもなお、俺はたったひとりの少女にさえ敵わないのだから。

 少女、アリーシャは気だるげに髪をかき上げる。

「ああ、もう――」

 彼女はひどく苛立っている様子だった。彼女は乱雑に涙をぬぐって、俺に再び背を向ける。ちらりと見えた彼女の頬は――擦れて赤くなっていた。

 窓辺のアリーシャは問う。

「サトリさん、さっきの私の言葉の意味が解る?」

「――解らない」

 アリーシャの言う『私の言葉』がどれなのか、俺は実のところ判っていない。ただ、今の彼女にそんなことを尋ねられるわけもなく、こうやってごまかすしかなかった。我ながら、最低だ。昔から、いつでも。俺は臆病者のうそつきだ。ただ、だからと言ってどうすればいい? 昔から、ずっと昔から大事なものを求めては取りこぼして、壊して、守れない。そんな自分を今更どうやって救ってやればいい? あなたは俺をどうしたいんだ。こんな術まで与えて、正義の味方にでもしたいのか? 俺にはあなたが解らない。教えてくれ、先生。

 俺の独白は、決して彼女に刺さらない。当たり前だ。俺は彼女にそれを向けていないのだから。アリーシャは俺の言葉に納得した、あるいはがっかりしたようだ。低いトーンで、ぽつりぽつりとつぶやいた。

「そう、ならそれでいいわ。その方がいい」

 アリーシャはうつむいたまま、どこかぼんやりとした頼りのない足取りで、とぼとぼと窓辺に向かった。窓枠に両手を置いた彼女は、首だけでこちらを振り返りながら口を動かす。ただ、その美しい眼は俺を捉えていなかった。

「でもね、サトリさん、たとえ解っていなくても、あなたが私の共犯者なの」

 彼女は再び涙を流した。光の一筋が高くなりつつある陽に照って、凶暴なまでにまばゆく輝いた。筋はみるみる伸びていき、赤い頬から細い顎を伝って、やがて、ぷつりと、死んだ。

「私はもう限界なの。だから、すぐにでもリーナを殺して楽になりたいの。巻き込んでごめんなさい、でも、他人のあなたじゃなければ巻き込めないと思っているから」

 涙でぼやけた彼女の眼が、再び俺に焦点を合わせてくる。そして、決して逆らえない暴力的な視線を以て、うそつきに答えを求めてくる。

 逆らえない。

 たとえ彼女のことなど何ひとつ解らなくても、答えを出せと言うのか。だとしたら、返す言葉は決まっている。

「――他人、だものな」

 俺たちは、互いを拒絶し合うことで初めて寄り添った。それは、彼女と彼女の妹が必死に守ってきた虚像――リーナ・アールスを否定するための呪文にほかならなかった。

俺たちは、リーナ殺しの共犯者だ。


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