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逆行懐古録Ⅰ しあわせなリーナ  作者: 黒川杞閖
一月 「しあわせなリーナ」
29/52

しあわせのためのリーナのためのしあわせ②

 腕を天に向けたまま、彼女は話を続ける。

「――でもね、でもねお兄さん。あたしはここまで言っても、大嫌いだといくら言っても、それでも昔話にすがらなければ立っていられない。こうやって逃げてこないと、絵のひとつも完成させられないのよ。これじゃリーナ失格、ううん、リーナの部品失格だね」

 メルティーナは大げさに商売道具の腕を下ろす。遠くを見ていた瞳は、きらりと光ってこちらを向く。ガラス玉のように輝くそれは、至って真剣だ。決して卑屈になっているわけでもなく、ただ『自分が至らなかったこと』を事実として受け止めている、そんな目だった。

 彼女は真摯に語る。彼女にとってのもうひとつの現実を。その語り口もまた、至ってクールで、諦めも高望みもない、地に足の着いたものだ。いっそ、不気味なくらい。

「もうひとつの部品――お姉ちゃんはもうすぐ壊れちゃいそうなんだって。そうしたらもう、リーナ・アールスは終わりだね」

 メルティーナは笑う。また、笑う。ころころとした笑い声が、乾いた空に響いた。

 どうして、この娘は笑っていられるのだろう? 俺は嫌悪に近い疑問を抱いた。

「あーあ、終わったら、どうしちゃうのかな? お姉ちゃん、どんな顔するんだろ」

 またしても笑う。屈託なく笑う。果たしてこのメルティーナはアリーシャの気持ちを知っているのだろうか? 妹の才を認め、自らをサブキャラクターと称したアリーシャのことを。妹を愛し、自らは壊れても構わないとでも言いたげだった彼女のことを。どうにも、彼女たち姉妹はすれ違っているように聞こえてならない。

 どうして、この娘は笑っていられるのだろう? 俺は怒りに近い嫌悪を覚えた。

 そっと唇を噛む。彼女はまた、遠くを見つめてささやいた。

「――リーナのためにならないおもちゃなんて、早く壊れちゃえばいいのに」

「――――!」

 その瞬間に何かが切れる音がして、俺はそいつに名前を付けるより早く立ち上がっていた。ベンチが乱暴に音を立てて軋む。彼女は驚くでもなく、焦るでもなく、ただ不思議そうに首をかしげて、拳を握りしめる俺を見上げていた。

「――お前は、お前はっ……!」

 それに続く言葉は出ない。

 怒りにまかせてこの娘を罵る言葉が出てこない。

 いくらでも思いつくはずなのに。頭の中には雲のように浮かんでいるのに。実際にはひとかけらだって出てこない。

「どうして、どうしてだよ……!」

 どうして判らないんだ。どうしてそんな風に、どうして、どうして! やるせない、腹立たしい、もの悲しい。情けない、信じられない、反吐が出る。恐ろしい、気味が悪い、人間味がない。いくらでも、いくらでもメルティーナを罵倒する言葉は浮かんでくる。溢れて、喉が詰まって、息が苦しくて――やがて、怒っていたのか悲しんでいたのか、憐れんでいたのかすらも判らなくなって、俺は拳を握るのを止めた。

 残ったのは、ため息ひとつ。

 メルティーナは、俺の心の内を知ってか知らずか、目を細めて微笑んだ。そして、あの明るい声で、無邪気に語りかけるのだ。

「あと一度だけ、あなたに来てほしいな」

「――ああ」

 笑みの裏にある奇妙な強制力、逆らい難いエネルギー。俺に彼女の誘いを断る余地は、用意されていなかった。

 なし崩し的に彼女の願いを受け入れそれから、俺たちは何もなかった公園を後にした。あそこでの出来事にはできれば今後触れたくなかったし、あの公園自体にも当面近づきたくないと思った。俺は『今日はもう帰っていい』という画伯の言葉に甘え、広場のあたりで彼女と別れた。この短時間で彼女への印象はまったく変わってしまったし、見たくもない臓物を見せつけられたような気持ちがした。言葉を選ばずに言えば彼女の人格の問題点、異常性、欠陥に血管、見て見ぬふりをしてきたそんなものが、唐突に一気に見えてきてしまったのだ。あまりの堪え難さに正直、ひどい頭痛がして倒れてしまいそうだった。

 誰もいない路地の片隅で、俺はそっとえづいた。


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