昔話は好きですか?
「ここに、何があるんだ?」
先に沈黙に耐えられなくなったのは、俺の方だ。しばらく保たれていたそれを打ち破って、俺はメルティーナに尋ねた。こちらに顔を向けた彼女は、子供のように屈託なく笑っては、ただのひとこと、こう答えるのだ。
「いいえ、何もありませんよ」
あまりにも迷いのない回答に、俺はしばらく返す言葉を見つけられなかった。彼女は石のように固まる俺のことなどお構いなしに、自分の言いたいことだけを表現し続ける。決して多くも少なくもないが、旅の中ではこういう種類の人間に出会うこともあった。懐古する。少し、なつかしい。
「まあ、強いて格好よく言うなら……あたしとあなたが出会った事実だけを持っている、ってところでしょうかね」
「本当に、無駄に格好よく言い表したな」
「この前読んだ本の受け売りです」
メルティーナは自慢げな表情を作ってはまた、ころころと笑う。ひとり楽しそうな彼女から逃れたくなった俺は、景色をのぞむふりをして視線を公園の外にやった。小高い丘になった公園を囲む木々の隙間から、わずかに街の景色が覗いている。
レンガの街と、そうでないところ。芸術都市はいくつかの色に分かれていたが、そのすべてはおおむね小粒の家々で作られていた。例の広場がわずかに塗り忘れられたようにぽかりと空いている。こうして上から眺めると、都市と言いつつ、この街が決して大きくないことがよく判る。その中で、この狭い世界で、双子の姉妹がひとりのふりをして生きているのは奇跡的だと思った。あるいは、みんな知っていて黙っているのかもしれない。仮にそうだとして、それを知った当人たち――特にメルティーナはどんな顔をするのだろう。
この数週間、彼女の『芸術』に付き合っていてはっきりと感じられたことがある。それは彼女が、ただ絵を描くことだけを目的にしているということだ。月並みな言い方だが、彼女にとって『それ以外』はさほど重要ではないらしい。俺と二度目に会ったときのように、リーナ・アールスの秘密を守ることについては熱心なようだが、それとそれ以外ではどこか地に足のついていない、四六時中でも絵のことを考えているような人間だった。そんな彼女を、彼女のことを『本物』と呼んだ姉のアリーシャが支え、メルティーナはそれを知ってか知らずか姉に甘え、いつもきらきらと輝いていた。そんな気まぐれな『本物』を支え守る姉は、ときに非常に疲れた表情を見せては、申し訳なさそうに余所者の俺に向かって微笑んでいた。まるでメルティーナが姉の生き血を吸っているかのようだと、実は一度だけ思ったことがある。
その点アリーシャは極めて普通の人間的人間だったように思う。『本物』の妹に振り回され、疲弊しながら必死に彼女を支えている。あのくすんだ微笑みからは、妹に搾取されることに対する無抵抗、それどころか搾取されることを誇っているような色さえ見えた。彼女がそう言ったわけではないが、俺には心の底からそれを信じることができた。
ああ、そうか。同じ顔の姉妹が不気味なほどに似ても似つかないのは、そういうわけなのかもしれない。彼女らは決定的に対等ではないのだ。
「ね、お兄さん」
ある地点に行き着いたときだ。メルティーナに呼び掛けられ、意識がぐいっと現実に引き寄せられる。声の方を注視すると、メルティーナが小さなベンチに腰掛け、俺を手招きしている。隣に座れ、と言いたいようだった。
促されるままに俺が腰掛けたことで、彼女の痕跡を持っていた小さな木製ベンチが音を立てて軋んだ。痕跡が示していた彼女自身がそこに座ったことで、このベンチが本来の役割を果たすべく、俺とメルティーナを縛り付ける。どうやら俺に、ここから逃げることは許されないらしかった。
「昔話は好きですか?」
メルティーナが、また笑った。




